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詩は翼を広げ、DNAは生命を展開する

■言葉と意味の増幅

頭の中に思い浮かんだ観念を伝えたくなった時、その観念に対応した言葉を生成し、それを話したり書いたりして、相手に伝えます。

このような形で使われるため、通常、言葉は、観念を指し示すラベルのように捉えられているように思います。

ただ、言葉には増幅効果があります。増幅とは、言葉によって直接示されている観念よりも、広い観念へと言葉が広がる効果です。

その増幅効果について、この記事では掘り下げていこうと思います。

■単語化による増幅

単語は1つの観念を指しているようでいて、多くの観念を内包することが可能です。例えば、シンデレラ、という単語は1人の架空の女性を指し示すと共に、童話のストーリーも内包しています。Aさんの靴、Bさんの馬車、と言っても特に大きな意味の増幅はありませんが、シンデレラの靴、シンデレラの馬車と言えば、多くの意味が含まれます。

人物名や物語だけでなく、科学法則などにも名前が付けられて単語化されます。三平方の定理、万有引力、相対性理論、などの単語は、その背後に学問的な豊富な意味が含まれています。

名前を付けていなければ、物語やエピソード、法則や理論について、長い文章で説明する必要がありますが、名前を付けて単語化することで、1つの言葉にその意味を凝集し、増幅させることで意味を再現させることができます。

■あいまいな表現による増幅

曖昧な言葉も、観念を増幅させます。抽象的で定義があいまいな単語は、受け手に依存しますが様々な観念を想起させます。愛や美や幸福といった言葉がその例です。

単語だけでなく、「らしい」「かもしれない」「ようだ」といった曖昧さを伴う言葉がつく文章も、想像を広げることがあります。

また、文の意味としてはっきりと対象を表現しないような場合も、観念の広がりを持ちます。「人影が見えた」「その裏に何かが隠れていた」といったような表現です。

■2つの文の連結

多くの場合、2つの文が連結されることで意味が増幅されます。例えば、「AはBの一種です」「BはEの性質をもちます」という二つの文は、独立している時よりも、連結した方が意味が増幅されます。

三段論法という言葉を聞いたことがあるかと思いますが、この2つの文章はまさにそれに当たります。この2つの文があれば、「AもEの性質を持つ」という明記されていない知識が増えます。

■増幅のパターン

増幅には、推論、推測、連想、補完などの様々なパターンがあります。

先ほど挙げた三段論法は、推論です。与えられた情報を論理的に組み合わせて、与えられていない情報を獲得することです。論理が明確に働く状況であれば、獲得した情報は、暗黙ではありますが、確実な情報になります。

推測は、論理がやや曖昧であったり、過去の経験則や確率など不確実性を含む、推論と言えます。一般に、その確度の度合いによって、推定、憶測、想像など、様々な言葉で表現されます。「A君がBさんを見つめていた」という情報から、「A君はBさんが好きだ」という推測をするようなものです。

連想は、明示されていないけれども関連する概念と結びつけることです。例えば「A君は大企業に勤めている」という情報から、「A君は優秀なのだ」「A君は豊かな生活を送っている」などと考えるのが連想です。連想も推論や推測から成立することが多いでしょう。

補完は、与えられた情報から、まだ与えられていない情報を取り出すことです。「りんごが2個ある」「A君が1個のりんごを1個食べた」という情報から、リンゴが残り1個であるという事は書かなくても、補完できます。補完も、推論や推測から成り立つことが多いと考えられます。

■詩のメカニズム

詩は、短い言葉で多くの意味や観念を読み手に想起させます。詩は、抽象芸術のようでいて、それでいてはっきりと言葉で表現する具象表現でもあります。そこには、言葉で具象を表現しつつも、増幅の効果によって多様で深い観念を読み手の中に広げます。

詩がそのような広い翼を広げて羽ばたくためには、詩の読み手に、増幅の能力がなければなりませんし、詩のフレーズから想起される観念を持っていなければなりません。詩の作者は、読み手の増幅の能力を強化させることも、読み手がもともと持っている以上の観念を与えることもできません。

そういった意味で、詩は読み手に大きく依存する芸術であり、詩人は読み手が持っている言葉の増幅の能力や、その言葉に対して読み手が持っている観念に依存するより他ありません。

■詩人の力

読み手の能力に依存するからと言って、詩人が無力というわけではありません。

まず、詩人は、読み手の言葉に対する増幅の能力と、言葉から増幅される観念について、しっかりと把握し、深く理解している必要があります。いわば、読者、つまり人間を深く理解している必要があります。

次に、自分の伝えたい広く深い観念を持っていることが重要です。伝えたいものが無ければ、詩を投げかけることは難しいでしょう。あるいは、特定の観念の伝達を強く意図せず、美しい言葉のリズムや流れを表現するタイプの詩人もいるかもしれません。その場合でも、言葉の美しさやリズムという抽象的なものを、伝えたいという気持ちはあるでしょう。

そして、短い詩の中に含まれる言葉やその並びから想起される観念が、読者の頭に次々と浮かんだ時に、その観念同士が作用しあって、さらに観念が広がるような仕掛けをする技術も必要になるでしょう。

詩のように短い文章では、単にその文から一次的に想起されるイメージだけでは観念の広がりに限界があります。そのため、一時的に想起された観念同士が、さらに二次的に観念を思い浮かべさせるような、そういった技術を駆使できれば、短い詩でも大きく観念を羽ばたかせることができるはずです。

さらには、その詩を読んで広がった観念の中で、読み手の中で結びついていなかったような観念同士に結びつきが生まれるようなことがあれば、読み手は深く感動を覚えるかもしれません。一種のひらめきの誘発です。ひらめきの誘発は詩に限った事ではありませんが、多くの言葉で読み手に直接伝達するよりも、少ない言葉から増幅された観念の中で読み手が気がつくことで、自分で考えてひらめいた時と同じ感覚を与えることができるでしょう。

■詩の探求の意味するもの

詩は単に読み手に感情や感動を与えるだけではありません。詩の探求は、即ち私たちの言葉の増幅の探求でもあります。言葉を投げかけて反応を見ることで、言葉と観念の結びつきや言葉自体が持つ性質などを、逆向きに読み解いていく作業と言えるでしょう。

その作業は、単なる言葉という枠組みではなく、人間の感情や感性の理解だけでもありません。詩の探求は、私たちの知の性質や言葉と観念という知識体系の探求でもあるのです。有名な詩人は、単に詩の専門家というだけでなく、学者や評論家でもあることが珍しくないようです。

これは、詩が知性や知識体系と密接に結びついているためだ、と考えると納得ができます。

その意味で、詩は、究極的には私たちの知性や知識が凝縮された曲面の鏡を生み出すようなものです。その曲面が正しく私たちの知性や知識に合致していれば、小さな鏡でも、隅々まで映し出すことができます。私たちの知性や知識は、即ち私たちの認知領域である世界を把握し、表現する物でもありますので、詩は、世界を映す鏡でもあります。

■さいごに:生物、そして生命の起源へ

詩や言葉が、増幅により観念を生み出すという関係は、DNAと生物の関係に酷似しています。

生物は、DNAを設計図としている事は良く知られています。設計図であるDNA自体は、二重らせん構造をした塩基の配列に過ぎません。それが、地球上にいる多種多様で複雑な生物たちをそれぞれ作り上げています。

DNAというものからの、生物が作り上げられていく様は、まさに増幅です。詩から生き生きとした複雑な観念が浮かび上がるように、DNAという塩基の配列から、生命が増幅されて浮かび上がるのです。そして、詩やDNAが静的で固定化されたものであるのに対し、頭の中に想起される観念やDNAから作り出される生物は動的な存在であり、やがて消滅する運命にあります。

浮かび上がった生物は、死滅するまでの間に条件をそろえることができれば、生殖により次の世代のDNAを生み出します。ある詩によって感銘を受けた読者が、その詩の体験から何かを引き継いで別の詩を作ったとすれば、最初の詩と新しい詩は、DNAの親子の関係に似ています。言葉は単にミームとして広がるという意味で生物的なのではなく、詩のように増幅と大幅な変異を含みつつの遺伝が行われるという意味でも、生物的です。

これは詩に限らず、小説やエッセイでも同様です。また、学問においても同様です。物理学の新しい理論は、ニュートン力学やアインシュタインの理論の子孫のようなものだったりしますし、生物学の理論はメンデルやダーウィンの子孫だったりするでしょう。

そして、言葉とその増幅作用の関係性は、私が探求している生命の起源にも関わりが深いと考えています。この関係を掘り下げていくことで、生命の誕生以前の有機物の化学進化の世界においても、類似するメカニズムが見つけられるのではないかと思っています。

そのメカニズムを見つけることができれば、謎の多い生命の起源の探求を、また一歩、進展させることができるでしょう。

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