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社会問題へのアプローチについて:トレードオフの境界線と価値の軸

この記事では、社会問題に対するアプローチについて考えてみたいと思います。具体的な話ではなく、そもそもの考え方についての話になります。

現代社会の問題はシンプルに解決することができるものではなく、解決するために新しいイノベーションを必要としたり、利害関係の調整によって改善するといったことが必要になります。ただし、その前にしっかりと問題を把握することが何よりも大切だと考えています。

問題の把握は、問題の構造や仕組みを明らかにするだけでなく、そこに関係する人たちの価値観を明らかにしていくことでもあります。この視点なしに問題を解決したり調整しても、それは新しい問題を生み出すだけかもしれません。また、しっかりと問題の背景にある価値観を理解したり、新しい価値の観点を見出すことができれば、技術的なイノベーションが無くても問題解決の糸口が見えることもあります。

また、どういうアプローチを採用するにしても、複雑化する社会とそれに伴う問題は、多様な観点から理解して対策を考える必要があります。このため、様々な分野の知恵を集め、学際的なコラボレーションが重要になってくると考えています。

では、記事の本文で詳しく見ていきましょう。

■トレードオフの境界線上にある社会

現代は様々な問題が解決され、その過程で様々な検討や調整が行われた結果、ほとんどの物事は既にトレードオフの境界線上にあります。

トレードオフとは、複数の価値が競合しあっていて十分に満たせない状況を指します。例えば、余暇に使える時間は有限ですので、友人と遊ぶ時間と家族との団らんの時間が十分に取れないかもしれません。

この時に、既に余暇の時間を、めいっぱい友人や家族との時間に充てていれば、トレードオフの境界線上にいることになります。一方で、もし全く関係のない、ただぼーっとしている時間があるとすれば、トレードオフの境界にまだ届いていない状態です。

もし、トレードオフの境界に届いていない場合は、まだ簡単に問題を解決する余地があるという事です。単に、余っているものを使えば、問題が解決することになります。

しかし現代社会のように既に物事がトレードオフの境界線上にある時には、このような単純な解決はできません。トレードオフの拡張をして余地を作るか、トレードオフの境界線上のどこか別の地点に移動させて問題を抑えるしかありません。

■問題解決のアプローチ

科学者やエンジニア、企業家や投資家は問題解決を指向します。

問題解決は、科学技術やエンジニアリングによる、機能追加や効率化や性能向上という観点での検討です。社会問題は解決の対象であり、機能追加、効率化、性能向上は、既存の枠組みにおけるトレードオフを打破して、より良い状態を作り出すことを可能にします。

このため、科学者や技術者は、科学技術やエンジニアリングによる社会問題の解決というアプローチを好みます。基本的に企業家や投資家もこうした問題解決を好みます。

■問題調整のアプローチ

一方で、社会科学や政治は、社会問題を監視し、トレードオフの調整による改善を試みます。

トレードオフの境界上にある物事を良くするためには、何か別の物事を少し悪化させる必要があるという事です。問題が大きくなった部分を改善するために、どこか別の余裕がある部分にしわ寄せがいくようにすることで、問題を改善するしかないという事です。

例えば、社会保障による医療費が不足するなら、税金を増やすことで納税者の負担を増やすか、例えば文化振興費を削減して文化の保護を我慢するなど、どこかで負担を吸収するしかありません。これは社会問題の解決というよりも問題の調整です。

■10個のリンゴ

ここで、一つのたとえ話をします。

10個のリンゴがあり、3人の子供がいるとします。リンゴを3個ずつ食べると、残りは1個になります。さて、これをどうしましょうか。

ジャンケンをして勝った人が残りの1個を手に入れるというやり方が簡単かもしれません。ナイフで3つに割るか、ジュースにして3等分して分けることもできるでしょう。あるいは今回1人が貰い、次回同じような状況になったら残りの2人が優先的にもらう権利があるという形にするのも良いかもしれません。これが、政治や社会科学的なトレードオフの境界線上での調整です。

一方で、このリンゴの種を植えたり、あるいはこのリンゴを使って何かビジネスをすれば、最初のリンゴを元手に、より多くを手に入れる事が出来るかもしれません。これが科学技術やビジネスによる問題解決です。

■問題理解のアプローチ

問題解決や問題調整のアプローチの他に、そもそもの問題を理解するというアプローチも重要になります。

問題解決や問題調整を考える時、私たちはつい、既に問題の全貌を理解しているつもりになってしまう事があります。私もそうなのですが、ビジネスや社会といった観点から客観的に物事を捉えてしまう癖があると、解決や調整に目を向けてしまいがちです。

先ほどのリンゴの例を考えてみましょう。

リンゴが目の前に10個ある時、おそらく当事者であれば、このリンゴをいかに美味しく食べるかを考えるでしょう。3個ともただ生でかじるのも良いですが、1つは分割のためでなく純粋にジュースにして楽しむのも良いでしょう。また、いくつかはアップルパイの材料にしても、おいしく食べることができるでしょう。

そして特に顔見知りでない他人であれば別ですが、仲が良い3人であれば、厳密に3等分するということよりも、いかに楽しい時間を作るかという事を考えるでしょう。

じゃんけんは、単に納得性の高いルールという意味だけでなく、そこに遊びとしての楽しさがあります。一緒にアップルパイを焼くことも楽しそうです。リンゴを植えて育てたりビジネスを考えるとしても、単に利得を大きくするだけでなく、3人の共同作業自体が楽しさがあり、関係性を深める良い活動になるでしょう。

当事者目線で10個のリンゴを見ることで、美味しさ、楽しさ、関係性の深さといった、新しい軸が現れました。単にリンゴという利得や平等性や納得性という観点だけで考えていた時と比べて、思考の幅が広がりました。

そして、特に新しい科学技術やビジネスを発明したわけではありませんが、こうした新しい軸が加わったことで、明らかにこの10個のリンゴから3人が得られるものが、増えました。これらの軸が加わると、残り1個をどう分けるかという話は、些末な問題であることに気づかされます。

このように、問題理解というアプローチを加えることは、私たちに本質的な問いを投げかけてきます。つまり、何を真剣に考えるべきかが、私たちにとって真に重要であるということです。

■新しい価値の軸の発見

新しい価値の軸が発見されたとして、その価値を満たす事に何の意味があるのでしょうか。

ある価値の軸を満たす事で、その影響が波及して別の価値の軸に良い効果をもたらすことがあります。アップルパイを作って美味しく食べたことでよりリンゴが好きになるかもしれませんし、また別の人とその楽しみを共有することで人間関係を深める事もできるかもしれません。

このように価値の軸を満たす事は、単にその軸においてのみ意味を成すだけではなく、影響の波及効果が望めます。もちろん、ネガティブな影響が生じることもあります。一方で、様々なポジティブな波及をする物もあります。広くポジティブに波及する価値の軸は、尊重され、再度同じように価値を満たすような選択が行われたり、別の人にも真似されたりすることで、広がっていきます。

■生物の進化の例

これは生物の進化においても同様です。進化はその生物が生きるために必要な既存の価値の軸の範囲で機能追加、効率化、性能強化を行うだけではありません。一見、それらには直接役に立ちそうにない機能や性質がDNAの変異によって現れることもあります。

新しい機能や性質が、既存の価値の軸に直接影響しない遊びのような部分だとしても、その無関係に見える影響が、巡り巡ってその個体の生存率や繁殖力を向上させる場合があります。

首が非効率に見えるほど長くなったことで、それまで戦う事を知らなかったキリンが首を武器として使えるようになり、生存率を高めることになったかもしれません。特定の蝶のくちばしでしか蜜が吸えない構造を持つ花は、その蝶が同じ種類の花の蜜しか吸えないことを利用して、競合が多い多様な花の群生地で、確実に花粉を同種の花に届けてもらえるようにしたのかもしれません。

このように生物がその進化の過程で、全くそれまでの価値の軸とは異なる軸における特性を手に入れつつ、それが予想できない経路で波及し、既存の価値の軸にポジティブなフィードバックをもたらすというのは、進化の醍醐味かもしれません。

■さいごに:窓を開いて風を通す

同じように、社会においても新しい価値の軸が、結果的に大きな意味を持つことがあると考えられます。そのため、問題理解のアプローチが重要なのです。

生物にしても社会にしても、新しい価値の軸が発見されていき、その中から有用な物が残り、それが強化されていくというプロセスを繰り返しているように見えます。そうして出来上がった複雑な価値の軸の集合の中で、私たちは生存し、生活をしています。進化も発展も、価値の軸を増加させていく方向にあります。

問題解決や問題調整のために社会をシンプルな側面だけで捉えようとしたり、様々な価値の軸を剃刀で落として自分が理解できるものだけに眼を向けるようでは、本末転倒です。

極端なことを言えば、価値観の多面性を無視した効率化や問題解決の議論の行きつく先は、人間の社会の否定や、人間全員のロボット化、といった話に陥ります。実際、解決の目途が立たない環境問題や、急速に進化するテクノロジーがもたらす影響について議論している人の中には、こうしたことを真剣に、あるいは無邪気に主張している人もいます。

そのような極端な結論が、私たちの社会の総意であるはずはありません。

社会は分業化を押し進め、得意分野を磨いて各分野に集中的に取り組む人たちを増やしました。これは高度化と効率化という観点からとても効果的ですが、一方で全体を把握することが困難なほど複雑な社会になり、かつ、全体に対して多面的に深く考える役割を持つ人があまりいないという状況も作っています。

これが、問題解決思考という罠を生み、問題解決するには極端な事をすれば良いという考え方や、誰かを悪者にしてその悪者が改心したり成敗されれば問題が解決するというようなフィクションが真剣に会話される状況を生み出しているように思えます。

こうした問題解決思考の罠に陥らないようにするためには、社会の様々な価値を理解するための能力が必要になります。これは現代までの社会で重要とされてきたSTEM(科学、技術、工学、数学)の能力ではカバーされていません。恐らく、人文科学やアートといった分野が、該当します。少なくとも、科学やビジネスには苦手な分野です。

全ての社会問題がシンプルな価値観で評価できるという幻想から離れて、今の社会にある多面的な価値を理解し、新しい価値の軸にも目を向ける必要があります。その理解の上で、新しい技術が既存の価値に与える副作用にも真剣に向き合い、人間が人間として生きる社会を前提にして考えなければならないでしょう。

これには多面的に物事を捉えていく能力が必要になります。そのためには、様々な分野がサイロを抜け出し、分野横断的あるいは学際的に協業することが重要です。

複雑なトレードオフの境界での調整を余儀なくされている現代社会に求められているのは、科学技術による急進的で向こう見ずな破壊イノベーションではありません。私たち人間が、人間自身のために、考えていく必要があるのです。その新しい風を通すために、閉ざされていた窓を開いていくことが、今、求められていると考えています。


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