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なぜ田舎者はダサいのか

 なぜ田舎者はダサいのか、という話をします。結論から言うと、田舎のコミュニティではファッションによる意味づけの必要が無いからです。ファッションの意味が田舎では弱いし、その意味の受け取り手もいない。

 さて、その前提として、ファッションとは「意味」である、という説明をします。服は、意味です。現代社会におけるファッションは、暑さ寒さを防ぐという目的よりも、意味としての目的の方が、ずっと大きい。


 意味というのは、他者に対して、「私はこういう人間です」というメッセージを送る、ということです。

 背広を着ていれば、きちんとした人間に見える。流行に乗った服装をしていれば、流行に敏感であり、また、流行の服を買えるぐらいの経済力があることも示せる。僕はファッションに疎い田舎者ですから、あまり例えが出てこないけど、不良なら不良なりのファッションがある。

 そして、意味というのは、誰かが発すると同時に、相手が受け取ってくれないと、意味として通じない。ファッションは、コミュニケーションの一つです。だから受け取れる人が必要です。

 英語を喋ったところで、聞く側が英語が分からなければ、意味が通じないのと同じです。ということでファッションも、その意味を受け取る人がいて、初めて成立します。

 無人島でファッションは成立しない。ま、自分が受け手になるという意味のファッションも、あるには、あるけれども。この服を着るとテンションが上がる、とか。ただ、普通は、意味の受け手は自分以外の人です。


 ファッションの「意味」においては、小さなグループがいくつもあります。女子高生のファッション、二十代男性のファッション、アラフォー女性のファッションは違う。なので、その情報をアップデートし、固定化して伝えるための、ファッション雑誌という媒体もある。

 というか、雑誌やネットなどの情報媒体が無ければ、ファッションは広がりません。情報を作り、リアルなモノとしての服を作り販売する。ということで、アパレル産業の半分ぐらいは「情報産業」だろうと、僕は思っていますが。


 さて、このような、ファッション雑誌を中心とした小グループにおける流行こそが、文字通り、流行っているファッションです。で、このような小グループは現代では、年齢や性別で細かく区切られる。

 ファッション雑誌が全国で販売するためには、地域で区切るよりも、年齢や性別で区切った方が良い。となると、例えば「女子高生」という、それなりのボリュームのある小グループが生まれるわけです。それが、各地域の、リアルにファッションを見せられる相手として、数百人とかいないといけない。

 なぜ「数百人」規模のグループが必要かというと、そもそもファッションというのは、最初に言ったように「意味」です。「自分がどういう人間か」と、相手に伝えるためのものです。

 では逆に、自分のことをすごく分かっている相手に対しては、ファッションは意味をなさない、ということでもあります。お母さんの前で、いくらおしゃれをしたところで、お母さんが「あら素敵、あなたはそういう人だったのね」と、見直すわけが無い。すでに、お母さんはあなたに対する情報を山ほど持っているからです。


 というと、ファッションの意味が通じるのは「そんなに知らない相手」に対して、です。では、女子高生というグループの人数が10人ぐらいだったら、どうでしょうか。ほとんどが知っている相手ですね。となると、ファッションの意味が無い。

 ファッションというのは「薄い情報」です。リアルな長年の生活における「濃い情報」の前では、意味をなさない。田舎の、10人とかの顔見知りの小グループでは、ファッションというのは意味をなさないということです。


 ですので、ファッション雑誌が対象とする性別・年代という小グループにおいても、グループのメンバーが互いを知らない、というぐらいの数的ボリュームが必要になる。

 ここで言う「知らない」というのは、全くの他人ではなく、知っているけど、生まれ育ちとか、本当の性格とかは知らないぐらいの関係性、ということです。そのぐらいの関係性において、ファッションという情報は最大の効果を発するのです。この服を着ているから、こういう人だ、というように相手が思ってくれるわけです。


 そして、人間関係がこのような「薄い関係」に依存しているからこそ、人はファッションに依存します。人間関係を保持しておきたい、広げたい、というのは、本能的な欲求です。

 群れから外れる恐怖を、いまだに人間は持っています。で、その人間関係が、ファッションの意味が通用するほどの「薄い関係」ばかりであると、ファッションの意味は、その人にとってめちゃめちゃ重くなる。となると、シーズンごとの「流行の服」を買って、人間関係を維持しなければならない。そして、ファッション業界の経済は発展します。


 ちなみに、一般的に、男性よりも女性でファッションの意味づけが重いのは、日本では男女の経済格差が激しくて、男性は経済力による意味づけが行えるからです。というか、経済力の意味づけが重いから、経済力があるにしろ無いにしろ、ファッションにおける意味づけが弱くなるんです。

 年収1千万円だったら、本人がTシャツだろうが構わない。逆に、年収200万円の人が、いくらファッションで魅せようと、経済力が無いという意味の方が重い。ということで、男性はファッションの意味づけが弱いのです。


 なぜ田舎者はダサいのか、という冒頭の話でいえば、田舎ではコミュニティが小さく、個人に対する情報量が多い。お互いに、よく知っているということです。

 となると、お母さんの前で格好をつけても意味が無いように、ファッションの意味が薄くなる。さらに、そのファッションの意味を理解してくれる受け取り手もいない。

 そして、ダサいとかダサくないとかを決めているのはファッション雑誌を中心とする情報業界ですから、その意味の中心にあるのは、当然、人間関係の薄い、ファッションの意味が通じる「都会」となるわけです。


 ファッションの本質にあるのは「人間関係」の欲求です。ということは、人間関係が満たされれば、ファッションなんてどうでも良くなるのです。タンパク質が足りていないから甘いものが欲しくなるようなものです。

 で、本質的な欲求が満たされていないから、いつまでも追い続けてしまい、お金は無くなるし、その分、働かなきゃいけないし。ってことでファッション沼にハマっても、そんなに良いことありません。なので、密な人間関係を作ろう、ということです。周りの人と仲良くしよう、という話です。またあした。

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