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「同担拒否」の心理

こんにちは、本日は、タイトル通り、「同担拒否」の心理について考えていきたいと思います。

詳しくは上のリンクに書いてありますが、「同担拒否」とは、アニメやアイドル趣味などで、自分の「推し」である対象を、同じように推してる人との交流を拒絶するみたいな感じで、オタク活動における「鎖国」みたいなものです。

自分自身、この傾向があると思っていまして、毎日毎日、同担拒否をしたくなる気持ちと陰ながら戦っております。
我ながら、自らの身勝手な感情に嫌気がさしますが、なぜ私は、同担拒否をしたくなるのか、今回はそれを考えていきます。

コンテンツ主義

他の人はどうか分かりませんが、私が同担拒否をしたくなる心理の大部分は、この「コンテンツ主義」が占めていると思います。

同好のアニメオタクと交流するということが世間ではよくありますが、私はそれすらも好みません。
もはや同担拒否以上の交流拒否のような状態なまであって、単に推している対象だけではなく、自分が楽しんでいる作品自体について、他の人と積極的に交流を深めたいとは思っていません。

というのも、私はコンテンツ自体を楽しみたいわけであって、コンテンツを媒介したコミュニケーションや共感を楽しみたいわけではないからです。

「夢」が壊れる

例えば、ディズニーとかでも同じ感じで、私はアトラクションやディズニーの世界観を楽しみたいわけで、列に並んだり人混みに飲まれたり、「人間」を感じたくはないのです。

その時点で「夢」が壊れてしまい、現実に引き戻されてしまいます。
私はディズニーという「コンテンツ」を骨の髄まで楽しみたいわけであって、「人間」を視界に入れたくはないのです。

どれだけコンテンツ自体が精巧な世界観であったとしても、そこに「人間」を感じてしまった時点で、「作り物」感が強まってしまい、萎えてしまいます。

コンテンツは一人では成り立たない

とは言え、私は富豪でも億万長者でもなく、コンテンツを一人で支えられるほどの資本を持っていません。
当然ながら、コンテンツとは売り上げがあってこそ成立します、その結果、私が好まない「人間的」な要素も増えるのは仕方がないことであり、私の言っていることは我がままだと思います。
私がコンテンツを一人で支えられるほどの富を持っていれば、「人間的」要素を排除できるのでしょうが、現実的にそんなことは不可能です。

電車にしても、満員電車が嫌だと言っても、電車に乗る人が居なければ電車自体に乗れないわけで、とても自己中心的な考え方だと思います。

でも仕方がない

しかしそうは言っても、嫌なものは嫌なのです。
私はあくまでも、「作り物」ではないコンテンツを楽しみたいのです。
そこで思い付いたのが、一次創作です。

一から、自分で作品世界やキャラクターを作り上げることです。
確かに、一次創作であれば「神」は自分ですし、「人間」を感じずに済むので、多少の効果はありました。
ただ、やはり、私は面倒な人間なので、程々に活気は欲しいのです。

一次創作ならば確かに、「人間」を感じずに済みますが、それは突き詰めて「一人遊び」のようなものであり、それはそれで満たされないところもあるのです。
「人間的」なものを嫌いながらも、少なからず「人間的」なものを求めるなんて、自分は本当にわがままだなあと感じます。

宣伝

わがままだとは思いますが、上のリンクから私が最後まで描き上げた一次創作の小説を読めるので、気が向いたお人よしの方は試しに読んでみてください。
なお、趣味趣向を全てぶち込んだ濃度が強く癖のある作品なので、無理な人は無理だと思います。大変厚かましいとは思いますが、私はわがままなので、宣伝して終わります。

なお、以下のようにスピンオフや外伝も描き上げるくらいには熱量があるので、合わせて宣伝しておきます。

以上、「同担拒否」の心理でした。結局最初から最後まで私のわがままを書いただけですが、心なしかすっきりした気がします。ありがとうございました。



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