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立憲と維新の野合について

こんにちは、こんばんは、秋の涼しさに胸躍る渡邉坊です。

今回は、私に対して向けられている(であろう)疑問について、お答えしてまいりたいと思います。
いささか、自意識過剰気味な気も致しましたが、私としても考えを整理したいので、ここにしたためたいと思います。

令和の「薩長同盟」

まず、執筆の連携になったのが、これです。

巷では、「令和の薩長同盟」とか言われています(言われてない)が、
犬猿の仲である立憲と維新が、なんでも「共闘」をするようです。

政治を少しかじったことがある方ならば、もはや常識的な見解だと思いますが(この見解を持っていない人を非常識という意図はありません)、維新と立憲は水と油、これまでに散々の悪口を言い合ってきた間柄です。

この「妥協」に対して、違和感を持つ方は多いようで、立憲支持者、ないしは維新支持者の双方に、この共闘を批判する方は多く見られます。(賛同している方もおりますが)

私の見解と、それに対する違和感

それでは、私の見解はどうなのかという話となりますが、私としては、今回のこの共闘を好意的に見ています。

ですが、そうなると違和感も出てきます。あれ、こいつ(自分)国民民主と都民ファーストの連携を批判してたよなって。

ほら、国民民主と都民ファーストの連携を「野合」とまで批判していますし、なかなかおかしな話です。

確かにそうなんですね、維新と立憲のいわば「欺瞞に満ちた共闘」を「令和の薩長同盟」であるかのように肯定しているのに、国民民主と都民ファーストの、「親和性のある共闘」は「野合」として否定をしている。

これって、単に国民民主や都民ファーストが嫌いなだけなんじゃねとか、確かにそういう見方はできてきます。
全くその通りで、一見今回の私の主張は矛盾しています。それは紛れもなく否定ができないことであり、疑うべくもないことです。

謝罪します!

考えに矛盾がありますので、謝罪を……とも思ったんですが、ちょっと待ってください。

もしかしたら、この二つの考え方にはなんらかの共通項があるのかもしれません。
というわけで、この二つの考え方を同時に持っている整合性というものを考えていきたいと思います。

人によっては、これを自己正当化のための屁理屈だとか受け止める方もいるかもしれないですが、それはそれでやむなし。
全ては、私の不徳の致すところ。

ただ誰かからの評価は別として、私としての見解を記載することは必要だと感じましたので、考えを進めてまいりたいと思います。あくまでも、私としては私の考えを、愚直に申し上げていくのみです。

私の一番の理想

まず、私の一番の理想について考える必要があるように思います。
私が目指すゴールはどこにあるのか、どういった目的意識の中で、
政治的な考え方を表明しているのか、そこを踏まえたうえで、「維新と立憲野合」を肯定しながら、「国民民主と都民ファーストの親和性のある連携」を否定する理由を深堀りしてまいりたいと思います。

国民民主党を軸とした新しい野党ブロックの形成

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私の一番の理想は明確です。国民民主党を核とし、中心とした形での、新しい野党ブロックの形成です。間違えても、立憲と維新の野合でも、なんなら旧民主党の復活などでもありません。

え、そうは見えない?
うーん、まあ確かにそうだなあ。それも否定はできないですね。

私は同じアカウントで、真反対の主張を行っている。
これは単に、構ってくれない玉木代表への個人的な恨みなのかと思われても仕方がない。
確かにまあ、そういう感情は無いことはありません。そこを否定しても仕方がありませんよ。
ただ、そこまで玉木代表に入れ込んでいるかと言えば、そんなこともありません。私には明確な優先順位があります。

私の中での優先順位

上表が、私の中での理想の優先順位です。
最たる理想は、先述の通り、「国民民主党を核とする実質的に新しい野党ブロック」の形成。ここは揺らぐことがありません。今でも、それは変わらないことです。
その次に、「古いことに自覚のある古い野党ブロック」の形成です。具体例をあげれば、今回の立憲と維新の野合や、民主党のリメイクをなどがここに当たります。
そして最後に、「新しいと思い込んでいる、古い野党ブロックの形成」です。この具体例がそう、かつての国民民主党と都民ファーストの親和性のある連携を指します。

私の中での最たる理想は、国民民主党を核とする「実質的に新しい野党ブロック」の形成ですが、それはいまだ実現する見込みがありません。

それを実現するために、「新しいと思い込んでいる、古い野党ブロックの形成」である国民民主党と都民ファーストの連携については、明確に批判を行いました。

国民民主党には実質的な新しい枠組みを形成してほしいですからね。
そして今回、維新と立憲の野合、つまりは「古いことに自覚のある古い野党ブロック」の登場の傾向が見えたわけなので、国民民主党を核とする「実質的に新しい野党ブロック」の形成を最たる理想とはしつつも、国民民主党と都民ファーストの連携と比較して、好意的に受け止めているというロジックとなっています。

ではそもそも、「実質的に新しい野党ブロック」というものをどういったものと認識しているのか、見ていきたいと思います。

そこを深堀りすることによって同時に、国民民主党と都民ファーストの連携を「新しいと思い込んでいる、古い野党ブロックの形成」であるとする意味が見えてくるのではないかと思います。

国民民主党を核とする「実質的に新しい野党ブロック」

ではまず、優先順位の一位である「国民民主党を核とする実質的に新しい野党ブロック」というものについて、私がどう考えているかを述べてまいります。

具体的には、上の記事が詳しいですが、要すれば民主党とは全く違う、新しい政党を構築することが、「国民民主党を核とする実質的に新しい野党ブロック」を意味します。
民主党とは全く違うと言っても様々ありますが、その最たるものが「新しいフルスペック代表選挙」であると考えています。

国民民主党は現在、代表選挙はフルスペックで行っています。このフルスペックというのは、自民党並み、旧民主党並み、新立憲民主党並みの水準を指します。

フルスペック代表選挙だから問題ないじゃないかと、そう考えることもできますが、私はあいにく理想が高いもので、そこでは満足できません。それでは実質的に新しいとは思いませんし、単に民主党の遺産を流用しているだけです。
フルスペック代表選挙のその先を、私は求めています。

フルスペック代表選挙のその先

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さて、少々執筆がしんどくなってきましたが、もうひと踏ん張り。
常識的に考えて、フルスペック代表選挙が代表選挙の完成形と考える方は一般的だと思いますが、私はそのように思っていません。
現状のフルスペック代表選挙と呼ばれているものは、国会議員優位の代表選挙であると考えています。

今回言及しているのは、旧民主党並みの代表選挙(国民民主党の代表選挙)であるので、詳細は上記のWikipediaが詳しいですが、要すれば、以下の記述の点が最たるポイントです。

有権者の投票

有権者の投票は、有権者の種別ごとに異なるルールでポイントに換算され、各代表候補者の獲得したポイントの総数の多寡により勝敗を決する(党代表選挙規則10条2項)。

  • 国会議員は、臨時党大会で直接投票を行い、1票を2ポイントに換算する(党代表選挙規則13条2項)。

  • 公認候補予定者は、臨時党大会で直接投票を行い、1票を1ポイントに換算する(党代表選挙規則13条1項)。

  • 地方自治体議員は、全国単位で事前投票を行う。国会議員ポイント総数と公認候補予定者ポイント総数の平均値(小数点以下切り上げ)を割り当て、これを各代表候補者の得票数に応じてドント方式で比例配分する(党代表選挙規則12条1項、2項)。

  • 党員・サポーターは、所属する総支部にかかわらず、全国単位で事前投票を行う。国会議員ポイント総数と公認候補予定者ポイント総数の平均値(小数点以下切り上げ)を割り当て、これを各代表候補者の得票数に応じてドント方式で比例配分する(党代表選挙規則11条1項、2項)。

長ったらしくて申し訳ないですが、要すれば、代表選挙における国会議員の票の強さを問題視しています。国会議員の一票は、2ポイントになるのに対して、党員・サポーターの一票はドント方式という形で、比例配分されます。

対比として分かりやすいのが、維新の代表選挙。上記の記事が詳しいですが、維新の代表選挙における、党員・サポーターは一人一票となっており、国会議員の一票と、党員・サポーターの一票は等価となっています。

維新の代表選挙にも多々問題点はあるものの、一般有権者の一票が、国会議員の一票と等しいという点は、「実質的な新しさ」というものを私は感じます。
無論、先の代表選挙ではその弊害が顕著に見られ、結果的にはアンフェアな手法が横行したので、そのまま取り入れるのが正しいとは思いません。

しかし、旧来の古い民主党などと異なる「実質的に新しい野党ブロック」を形成すると考えた時に、民主党並みの水準の代表選挙に安住するのはおかしいと考えます。

一人一票にしないまでも、一般有権者の一票をこれまでよりも強化するという試み自体は不可能ではありませんし、緩やかに進めることは現実的かと思います。いきなり、一般有権者の票の比率を高めるということが趣旨ではなく、緩やかにでも、ここに向かって歩みを進めるのが、「実質的に新しい野党ブロック」としての国民民主党の理想の姿であると考えているわけです。

新しいと思い込んでいる、古い野党ブロックの形成

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しかし、今の国民民主とは、私の理想の姿にはないと認識しています。

国民民主と都民ファーストの連携の際、私は「合流を見込むならば、新しい党内民主主義を確立すべし」と考えていました。
立憲民主党や、旧民主党とは異なるような、名実ともに新しい野党ブロックを形成するためには、その最初が肝心。

当時、国民民主党と都民ファーストは、政策協議を重ねて行っており、これらの政策の一致を以って、当時の協議を「野合ではない」とする方が多くいたと認識しています。しかし、私とすればこれでは不十分。このまま行っても、「新しいと思い込んでいる、古い野党ブロック」が形成されてしまうと思いました。

最初から、旧民主党のような古い政党を作るという考えならば、それが旧民主党並みの党内民主主義でも、なんら問題は無いでしょう。よって、「古いことに自覚のある古い野党ブロック」というものは、私の中で次善の優先順位に位置付けられます。

しかし、国民民主党と都民ファーストの連携を「新しい枠組み」として位置付けているにも関わらず、新しい党内民主主義を形成する議論が積極的に行われないということは、私としては、意図しないものが作られていると考えます。
それが詰まるところの、「新しいと思い込んでいる、古い野党ブロック」の形成というところに至るわけです。
意図するものを意図通りに作ることが、枠組み作りにおいて、もっとも重要な要素と私は考えています。その次に、いかに新しい枠組みを作れるかという判断基準が出てきます。

よって、この表の優先順位に至るわけです。

意図通りに、新しいものを作れているということをもって、「実質的に新しい野党ブロック」を最たる理想に据えます。

その次に、古くはあるが、意図通りに作れているということをもって、「古いことに自覚のある古い野党ブロック」が次善の優先順位となります。

そして最後に、新しいものを作ると標榜しているのに、実質的にはそこまで新しくないものである「新しいと思い込んでいる、古い野党ブロック」が出てくるわけです。

結果として、今回の維新と立憲の野合は、かつての国民民主党と都民ファーストの連携に勝ると、私は考えるわけです。

以上、ご納得いただけましたでしょうか?
感想や疑問等ありましたら、この記事でも、ツイッターのアカウントでも、ドシドシお願いいたします。

では最後に、「世界は並び立つ、共に歩もう」
お読みいただきまして、ありがとうございました。


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