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物を大事に使うという私のナルシシズム

今日は、以前革のメガネケースを作った時にお世話になった先生の元へ、この前購入したバッグの相談に。

先日のお話 ↓

非常に質が高くて状態もいい革のバッグなのだけど、usedだったこともあり、もう少しお手入れをしたらもっと美しいだろうなと思ったからである。

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20代の頃は、もう絵に描いたような大量消費を繰り返していた。(当社比)

新商品も買い、セール品も買い、とにかく気になったものは似合うかどうかも関係なく「可愛い!」で買っていた。
その上、「似合わなくても堂々と着ていれば着こなせるさ!」というガッツもあった。

これは、洋服に限らない。アクセサリーもコスメも日用品も、とにかく気になったものは手に入る金額なら次々買っていた。

まだ今ほどネット通販が当たり前でもなかった時代に、片田舎から東京へ出たことで私の購買意欲は爆発したんだと思う。

一度も着ない(使わない)こともたくさんあった。
めっちゃ買うくせに貧乏性だから、高いボディケア用品を買っても使い切れずに結局ダメにしたことは数えきれない。

今振り返ってもとんでもなく無駄遣いしていたと思うし、どうしてそんなにお金があったのかも都市伝説的に不思議だけど、正直そのこと自体はまったく後悔していない。

いろいろ試したから今があると思えるので。
あれはあれで、私の人生を彩っていた。

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ただ、以前と変わったなと思うのは、「ものを大切に長く使いたい」という気持ちが出てきたこと。

若い頃は、とにかく次々と消費して、常に新しいものに囲まれることが新しい自分との出会いだと思っていたけれど、平穏な暮らしの中でも新しい自分は見つかるものなのだとわかった

自分のことを無駄遣いする金遣いの荒いヤツだと評してきたけれど、ある時ふと立ち止まり視野を広げてみると、しっかり無駄遣いしてきた一方で、物持ちがいい自分もちゃんといたことに気付く。

たとえば、お裁縫道具はいまも小学生の頃に授業で使ったものを使っているし、上京した時に買った籐のベッドもまだ現役だ。

大学生のころ行った旅行で買ったお土産も大半は残っていないけれど、お気に入りは10年経っても残っているどころか、ちゃんと飾られたり使ったりしている。

「私のなかにも、使い続ける力はあるのか」と思うと嬉しかった

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とはいえ残念ながら、もとに人間性まで変わったわけじゃない。そんな簡単には変わらない。
相変わらず面倒くさがりだし、適当だし、欲しいものは尽きない。
元来の収集癖は根強く、ミニマリストやらシンプリスト系は違う星の話だと思っている。
昔より地球環境のことは少しくらい考えるけど、使い捨ての便利さは超えられない。

でも、あんなに大量に買い集めていた服も、アクセサリーも、雑貨類も、みんないつの間にどこへ行ってしまったんだろう?ほええ?
なんてとぼけてみたところですべて私が自分で捨てた。手放した。

ってゆうか現在進行形で絶賛手放し運動中。

物を捨てられるようになったことと、大切に使うようになったというのは一見矛盾しているように思えるけど、「厳選したお気に入りを大事にする」という点で私の中では筋が通っているのだ。

ただ、今まで好きだと思って買いまくってきたのに、後になればほんの少ししか手元には残らないのかと思った時、急に悔しいような虚しいような、悲しいような、なんとも言えない気持ちになった。

「買う」ことが目的になっていた頃は、物と一緒に、自分の心まで大量に消費していたのかもしれない

そう考えるようになったのは、お気に入りのものをメンテナンスして、つくろいながら使うと、誰かにとっては貧乏くさく見えるかもしれないけど、私の心はかなり気持ちいいことに気付いたから。

あえて下世話な表現をするのなら、”自分に酔う”的な感覚だ。

だから、私にとってはある種の内面的なナルシシズムを満たす行為なのかもしれない。
でも、それでいい。だって実際とても心地よいのだから。

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件のバッグを相談した結果、どうやらしっかりメンテナンスできそうだ。嬉しすぎる。

最高に気に入って買ったバッグを、自分の手でさらに素敵なものにできるというのは、買い替えることでは得られない私の楽しみなのである。

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