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学校のチャイムは工場を模したもの?労働者を量産するために始まった公教育

「この歳になって学校の教室に入ってびっくりしましたね。黒板があって教卓があって、一律に前を向いた机と椅子が並んでて、後ろには棚があって、その隅には掃除道具入れ。タイムスリップしたのかと思いましたよ。何十年もこの景色が変わってないことに違和感しかありませんでした」

あるパネラー(登壇者)が言いました。2017年渋谷で行われたフォーラムを聴講するために気仙沼から上京したときのことです。そのときの私はまだ学校に関わり始めた頃でした。「こんなに社会は急激に変わるのに、それでいいんですか?」と呆れた様子だったのが印象に残っています。

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「学校の教室の風景は明治から150年変わっていない。ヤバい」

「そしてそれは今変わろうとしている」

最近よく言われることです。きっといい方向に変わるんだと思います。わくわくしますね。そこで疑問。じゃあその150年前から続く公教育の「当たり前」って、そもそもどこでどうやって始まったの?

引き続き、この本を読んでいて衝撃だったことをかいつまんで紹介していきます。

当時は教育のスタンダードは存在しておらず、地域によって子どもたちの知識レベルにかなりの差が生じていた。そこで(中略)プロイセンによって世界で初めて手がけられた公教育モデルが参考にされた。

(同書 44p)

これは19世紀中頃のアメリカの話です。プロイセンは当時ヨーロッパにあった国ですね。

プロイセンのモデルとは、子どもたちが年齢ごとの学年に分かれ、科目ごとに決められた標準的なカリキュラムをこなしていくといった、近代教育として世界中に広がり、現在も多くの国で続いているやり方である。

(同)

そうか!「学年」という概念も発明品なんだ。じゃあ19世紀中頃のアメリカはなんでこのモデルを導入したのでしょう。ある大々々々事件が起きていたのです。なんでしょう。そう、イギリスから海を渡って「産業革命」がやってきたのです。Society2.0「農耕社会」からSociety3.0「工業社会」へ、社会ががらりと変わります。

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それまで自宅や地域コミュニティで働いていた人たちは労働者として都市の工場へと集まります。時間どおりに出勤して、マネジャーという新しい職種の人が出す指示を聞いてちっきりこなせる労働者が「いい労働者」でした。

それまで教育は家庭や教会で主に行われていたのですが、時代がこうなると資本家や工場経営者にとってみれば「完璧な工場労働者」を育てる教育が望まれます。そこで前述のプロイセンのモデルを導入した、というワケです。

このモデルは標準化された学校の仕組みを展開することが可能であり、全国のどの学校にも平均的な学力水準、社会性や倫理観を期待できるという点で多くの資本家の支持を得た。工場がどの土地にあったとしても、読み書き計算ができ、時間通りに出社して真面目に働いてくれる人材が確保できるというのは当時画期的なことだったのである。授業の終了時にチャイムが鳴るのも、工場での実態を模していた。

(同)

ちょっと鳥肌が立ちます。そういう目的だったのね。頭の中で再生される学校のチャイムでした。時代が変われば教育が変わる。まさにSociety3.0の到来がそうだったんですね。「自分らしさ」とか「独創性」とかは労働者を管理する上で不要なものでむしろ抑制されていたんですね。

その後「単位」制や学力の評価方法も標準化されていきます。経済成長とともに大学進学率も上がり「いい大学、いい会社」に入るための学力絶対主義が確立されていきます。

その上で竹村さんはこう書いています。

正解のあるテスト教育に最適化しすぎた学生は、受動性が高く安定志向が強い。(中略)地球の存続すら危ぶまれる現代において、求められる教育は、平均的な学力を持ち、安定思考の強い生徒を育てることではない。クリエイティブ・リーダーシップを発揮し、自分の個性や得意なスキルを活かし、世界の課題に果敢に挑戦できる新・エリートを育てる必要がある

(同書 50-51p)

さっそく妻に話しますと「でも時間守るとか約束守るとか社会で生きていく上では必要だよね」と。たしかに。「教育が変わる」と書きましたが、何かから何かに「交代」するのではなく、「成熟」していく、「上塗り」されていくイメージなんですね。

なるほど、それゆえに学校の先生は時代が進めば進むほど教えることが増えて忙しくなる運命なのでしょうか?そんな問いも考えていきたいです。

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