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演じる者 【ショートショート】

 彗星の如く現れるとは、まさにそのことだった。その男は、とあるドラマの脇役で華々しいドラマデビューを果たしたのだ。
 その役とは、主人公がよく通うのパン屋の店員の役だった。

 そのドラマの撮影が始まる一年前、店員の役を決めるオーデションが行われた。その男も、何百人といる夢を見る役者の一人としてオーデションを受けた。
 小さな部屋で、ドラマ関係者数人の前で一人ひとり演技をしていく。オーデション内容は、ドラマのワンシーンのパン屋の店員を演じるというものだった。

 数十人がオーデションを終えた後、その男の順番が来た。
 その男が演技を始めた途端、ドラマ関係者達は息を飲んだ。その小さな部屋は、パン屋の雰囲気を醸し出し、どこからかオーブンから溢れ出る香ばしい匂いが感じ取れる気がした。
 何年も使っているであろう、調理器具が置かれた厨房や、少し印字が薄いレジのレシート。並んでいるパンの横に添えられている、手書きで書かれた値札。男の演技は、観る者にそんな些細なところまでイメージを湧かせることができた。
 その男の台詞の言い回し、息遣い、立ち振る舞いは演技という枠を大きく超えたものだった。

 男が、演技を終えると関係者達は唖然としていた。その男に礼を言い、次の人を呼び込んだ。次の役者が演技を始めるが、関係者達はその男の演技のことで頭がいっぱいだった。
 オーデションが終わり、早速関係者達はその男について調べた。その男は小さな事務所に所属しており、今までドラマの出演経験は一切無かったのだ。あんな逸材を、何故今まで見つけることができなかったのか。関係者達はすぐにその男に合格を伝えた。

 数ヶ月後、撮影が始まった。有名な役者などがいる中で、その男の存在を知る者は誰もいなかった。
 主人公がパン屋を訪れるシーンの撮影が始まった。その瞬間、その現場にいる全員がその男の演技に惚れ込んだ。
 その男の前では、有名な主人公役の役者でさえ霞んで見える。その男の演技は、その役の人生の全てを表現しているのだ。

 そして、遂にそのドラマの放送が始まった。パン屋の店員という脇役だが、主人公が毎回通うパン屋だ。従って、少しだがその男は毎週ドラマに登場する。

 一話目の放送が終わると、瞬く間にその男の話題で世間が溢れかえった。誰もが、その男の演技に惚れ込んだのだ。
 無名な役者というのにも関わらず、SNSではその男の話題が絶えず広がっていた。
 二話目以降は、皆その男の演技を観るためにドラマを見ていたと言っても過言ではなかった。

 そのドラマの一話放送が終了後、早速その男主演のドラマが決定した。高校生の恋を描いた学園ものだ。高校生の男女が互いを意識しているが、素直に慣れないという設定のドラマだ。
 その男が演技を始めると、撮影現場はまるで皆が高校生にタイムスリップしたかのような世界を作りだした。どこからか、チャイムの音や、練習する野球部の声が聞こえてくるようにも感じた。

 そのドラマも撮影が終わり、放送が始まった。その男が主役ということもあり、世間は大いに注目していた。しかし、そんなハードルを男の演技は安易と超えていった。
 ドラマを観ている者は、ただその男の演技に見入っていた。ドラマでは描いていない、その男が演じる役の男性の人生の全てが、皆の頭の中に浮かぶ。
 まるで、その役は、実際に存在している人物かのように感じた。
 毎週、そのドラマは話題となり。その男は一気に一流の役者の仲間入りを果たした。

 そして早くも、その男が主人公の新しいドラマの撮影が開始された。探偵もので、その男演じる名探偵が次々と難解事件を解決していくという物語だ。
 早速、撮影が始まると現場の空気は凍りついた。
 その男の演技は、見るに堪えない程、下手な演技だった。まるで、今までとは違った別人のように思えた。
 不自然な立ち振る舞いに、棒読みの台詞、現場にいる人たちは顔を見合わせた。しかし、男は至って真剣な眼差しで演技をしている。
 その男の演技に見慣れたのではないかと考える者もいたが、決してそうではない。その男の演技はあまりにも酷かった。
 何度も取り直しをしたが、何も変わらない。撮影は、数ヶ月に渡って行われたが上達する気配も一向になかった。

 関係者達は、このドラマを放送するかを話し合った。しかし、そのドラマには多額の製作費が使われている。
 また、その男の主役のドラマを多くの人々が楽しみに待っている。何度も審議をした結果、放送することになった。

 だが案の定、一話目を放送後クレームが殺到した。その男の演技の下手さは、やはりテレビを観ている人々でさえ気付いた。
 観るに耐えない男の演技は、視聴率をわかりやすく下げ、四話で打ち切りになった。
 皆は、不思議に思った。あれだけ人々を魅了する演技をしていた男が、なぜ途端に大根役者になったのか。

 その男には、誰にも話していないある秘密があった。それは、自分が実際に体験したことしか、演じることができないということだ。
 男は、今まで数多くのオーデションを受けてきた。しかし、それは観るに耐えない演技だった。もちろん、合格することは一度も無かった。
 だが、男が初めて合格したパン屋の店員の役は、実際に男がパン屋でのアルバイトの経験があったからこそできた演技なのだ。

 男が中学生の頃、父親が何者かによって殺された。それ以降、母親と二人で暮らしていたため、あまり裕福な家庭では無かった。
 よって、男は高校に通いながら、地元のパン屋でアルバイトをしていたのだ。

 そのため、男はパン屋の役を人を魅了する程に演じることができたのだ。
 また、高校生の時には、片想いをしていた女性と付き合うことができた。それが、二回目の学園物のドラマで上手く演技ができた理由だ。

 酷評しか無かった探偵物のドラマなど、男は演じれるわけが無かった。探偵などやった経験など一度もないからだ。
 男は、経験したことあるものは誰もが釘付きになる演技をすることができるが、経験したことのないことは、観るに耐えない演技になってしまう。それが、この男の秘密なのだ。

 そんなことを何も知らないドラマ関係者は、その男の扱いに困っていた。多額の製作費を注ぎ込んだ探偵ドラマは四話で打ち切りになった。そのテレビ局は大きな赤字を出した。
 しかし、関係者達は話し合いを行っていた。過去に二度、多くの人々を釘付けにする演技をしたことに間違いはない。そして、その男の演技のお陰で、探偵ドラマ以外は大成功に終わった。
 悩んだ末、もう一度その男が主役のドラマを撮ることが決まった。

 新しいドラマの撮影が始まった。関係者達は、やはり心配な表情を浮かべていた。
 しかし、そんな不安をその男の演技は一瞬で安堵へと変えた。また、誰もが引き込まれる上品な演技をその男は魅せてくれたのだ。
 ドラマを観た人々も、またその男の演技に引き込まれていった。
 そのドラマは一瞬で、世間の注目を掻っ攫った。前作の探偵ドラマは忘れ去られ、再びその男は一流の役者へと返り咲いた。

 それから、そのドラマは毎週驚くべき高視聴率を叩き出し続けた。人々は、ドラマでその男が演じる、父親を殺した過去を隠す息子役の演技に魅了された。


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