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匿名のミュージシャン 【ショートショート】

 夕方頃、大きな駅から程近い場所で男は歌っていた。その男は、ここ数年その場所で、ずっと路上ライブをしているのだ。ギターをかき鳴らし、自分の音楽を信じ歌っている。
 だが、男の歌に耳を傾け、立ち止まってくれる人はなかなかいない。スーツを着た人たちは、馬鹿に夢を追っている若者だという目でこちらを見ながら、足早に前を通り過ぎていく。

 その日も、男は歌っていたが、足を止めてくれる人はいなかった。冷たいギターケースにギターを入れ、駅の方に歩いて行く。西日の嫌な眩しさが、男の目に刺さる。

 駅に向かう途中、人集りを作っている路上ライブがあった。男は足を止め、その様子を覗き混んだ。
 女子高生などに囲まれて甘い声で歌っていたのは、男性二人組のミュージシャンだった。顔もスタイルも良く、楽器を持たずにただ純粋な愛を歌っていた。
 男はしばらくして、また駅に向かって歩き出した。

 電車の中は、帰宅ラッシュで混み合っていた。満員の電車の中では、男の背負っているギターを周りの人は、煙たそうに見ている。男は、ギターだけでなく自分自身もそう見られているように感じていた。

 最寄り駅から、自宅のアパートまでの帰り道は色々なことを考える。重たい足で階段を登り、六畳半の部屋にギターを置き、ため息と一緒に座り込んだ。
 誰かと戦っている訳ではない。ただ、今日も誰かに負けた気がしていた。

 その夜、男は空虚な気持ちに身体を預け、布団に寝転がりながらスマホを触っていると、ある質問相談サイトを見つけた。
 そのサイトは、匿名で質問ができ、誰かがその質問に答えてくれるのだ。
 パソコンの操作方法の質問もあれば、恋愛関係の相談もある。すぐに解決できるものから、答えのないものまで、幅広く多くの人が質問や相談をしていた。
 そして、数人がその質問に答えてくれているのだ。

 男は、両親にミュージシャンになることを反対されていた。その反対を押し切り、田舎から上京してきた。
 未だに両親は反対しているだろうと、上京してから十年程、一回も実家には帰ってはいない。連絡すら取っていない。つまり、男には帰る場所がないのだ。
 コンビニで夜勤のアルバイトをしているが、深夜のなんとも言えない沈んだ空気からは、バイト仲間というものが生まれることはない。
 男には、これといった友達もいなければ、悩みを相談する相手さえいないのだ。

 男は、その相談サイトに相談を書き込んだ。意思ではなく、気がつけば文字を入力していたという感覚だ。

「私はミュージシャンをしています。十年間程、毎日のように路上ライブをしていますが、誰も聴いてくれません。私には才能がないのしょうか?」

 そう書き込んだ。しかし、男はこれに的確な回答が来ないことなどわかっていた。ただ、誰かにこの気持ちを共有したもらいたかったのだ。

 その後は、いつものようにバイトでもらったコンビニの弁当を食べ、夜勤のバイトに向かった。
 バイトが終わったのは、朝の七時。そこから、自転車で家に帰る。
 街には、これから会社に通勤するのであろうスーツ姿の大人や、キラキラとした学生がチラホラといる。
 バイト終わり、眠気に差し込む眩しい朝日は、何年経ってもなれないものだった。
 男は家に着くと、無気力な身体でシャワーを浴び、すぐに眠りについた。

 十四時頃、男は気怠い身体を起こし、路上ライブに行く準備をし始めた。その時、スマホの通知音が鳴った。「みかん大好き男さんの質問に回答が来ました」と表示されている。
 あの、相談サイトに書き込んだ相談に誰かが回答をしてくれたのだ。
 みかん大好き男とは、その男のサイト内のユーザーネームである。これと言ってみかんが好きな訳ではないが、適当に考えそれにしたのだ。
 回答にはこう書かれていた。

「夢を追いかけるのはとても素晴らしいことだと思います。努力すればいつか叶うと思います。頑張ってください。応援しています」

 当たり障りのない回答だった。しかし、男にはそれが十分嬉しかったのだ。誰にも、認められず、応援されずにミュージシャンをしてきた。
 どんな歌を歌っているのかもわからない、匿名のミュージシャンの夢を応援してくれる人がいる。そんな人がいるということを知れただけで、男の励みとなった。

 「ありがとうございます」

 と回答を返し、ギターを背負い六畳半の部屋に少し光を残し、男はいつもの駅に向かった。

 数週間後、またいつものようにその男はギターをかき鳴らし歌っていた。その日も、足を止めてくれる人はいなかった。
 ギターケースにため息を詰め、ゆっくりと駅へと向かって行った。
 毎朝、今日は何か起こるかもしれないという希望を抱き、帰る頃にはその希望が馬鹿の絵空事になる。そんな日々に、慣れてしまっている自分が怖くなってきていた。

 駅から少し離れた場所で、人だかりを作っている路上ミュージシャンがいた。そのミュージシャンは、男と同じくギターだけで自分の音楽を歌っていた。
 年齢は、少し若いように思えたが、ルックスなどは然程変わりはない。男は、自分自身とそのミュージシャンを比べ、言い訳を探しながら帰った。

 そして六畳半の静かな部屋で、コンビニ弁当を食べる。食べるというよりかは、空腹を満たすために腹に何かを入れているという感覚に近い。色々な種類はあるが、毎日コンビニ弁当を食べていると、流石に飽きてくるのだ。
 食べ終わった弁当の匂いが充満している部屋で、男は今日のことを振り返っていた。そして、あの相談サイトにまた相談を投げかけた。

「私はミュージシャンをしています。年齢も、そんなに若くありません。ちゃんと就職した方がいいでしょうか?」

 この質問の回答で決めるなど、男は微塵も思っていない。ただ、やり場のない不安をその相談サイトに吐き出しているのだ。

 バイトから帰ると、「みかん大好き男さんの質問に回答が来ました」と通知がなった。男は、座り込みもせずに、回答を読んだ。

「あなたが、それでいいなら就職するのも悪くないと思います。ただ、少しでも迷いがあるなら夢を追いかけ続けるべきだと思います」

 回答を読み、男は座り込んだ。またも当たり障りの無い回答だ。しかし、男はこんな回答を待っていた。ただ、社会から冷たい目で見られる自分を励まして欲しかったのだ。
 男は、ふと目を細めた。二回の相談に回答してくれたのは、どちらも同じ人だったのだ。あじさいさんというユーザーネームの人だ。
 偶然なのか、それとも相談を投稿していないかとわざわざ探してくれたのだろうか。男は、そんなことを考えた。
 誰かに見守られているような感じがしたのか、男は立ち上がりいつもより少し軽い足取りでバイトへと向かった。

 それから、半年の月日が流れた。あの日以降、男は何度かあの相談サイトに相談を投げかけた。そしていつも、あじさいさんが回答してくれたのだ。
 何処の誰かはわからない。ただ、何かあれば励ましてくれていることに変わりはない。男の中で、あじさいさんは心強い存在になっていた。
 そして、男はたまに考える。あじさいさんとは、どんな人なんだろうと。会社で働くサラリーマンか、それともお金に余裕があり余生を謳歌している年配の人か。もしかしすると、同じように夢を追いかけ成功した人なのかもしれない。匿名の向こうには、いろんなイメージが広がっていった。

 その日も、男は路上ライブをしていた。いつものように、多くの人が足早に前を横切る。それでも、男は歌っていた。
 すると、一人のスーツ姿の男性が足を止めてくれた。男は、それに気付き必死に歌い続けた。意識はしていないが、途中から男は、その男性に向けて歌ってるようにも思えた。
 そして、曲を歌い終えるとその男性は話しかけてきた。

「失礼致します。私、こういった者です」

 そういって、男性が差し出した名刺には、誰もが知るレコード会社の名前があった。男は何が起きているのかわからず、ただお辞儀をした。
 そして、男性が立て続けに話し始めた。

「私は、この会社でスカウトマンをしております。今度、うちの事務所内で新しいアーティストのデビューを決めるオーデションがございまして、宜しければ参加してみませんか?」

 男の中で、色々な感情がぐちゃぐちゃになり言葉が出なかった。ただ、息を荒くし頷いた。

「ありがとうございます。詳細は日時などは追って連絡させていただきます」
 スカウトマンの男性は、その男と連絡先を交換し、一礼をして駅に向かって歩いて行った。
 男は、その場にしばらくの間立ちすくんだ。ほんの一瞬の出来事のように感じ、ただスカウトマンが向かった駅の方面をじっと眺めている。

 男は、ただ呆然と家路に着いた。少し、窮屈な六畳半の部屋が現実に引き戻してくれたのか。男は、少しずつ実感が湧いてきた。
 これまで、スカウトされたことなど一度もない。十何年の思いが、マグマのようにゆっくり込み上げ、男は喜びを爆発させた。
 息は荒く、噛み締めたと思うと、また叫ぶ。それを何度も繰り返した。

 しばらくして、男は冷静になった。ただ、何かの緊張か、武者振るいなのかずっと手は震えている。
 男は、この喜びを共有したく、あの相談サイトに投稿した。

「あじさいさん、今日オーディションのスカウトをされました」

 それは、ここ半年間の間に、何度も相談に回答してくれた、あじさいさんに向けた投稿だった。

 男はそれが終わると、いつものようにコンビニの弁当を食べ始めた。しかし、それは食べるというよりかは、空腹を満たすために腹に何かを入れているという感覚に近い。
 以前までのように、味に飽きからではない。頭の中は、スカウトのことでいっぱいなのだ。味などを感じれる余裕などない。
 食べ終わると、軽い足取りでバイトへ向かった。

 バイトが終わり帰ると、「みかん大好き男さんの質問に回答が来ました」という通知がきていた。男は座り込み、幸せそうにその回答に目を通した。

「みかん大好き男さんおめでとうございます。いつか、チャンスがやってくると信じてました。オーデション頑張ってください。応援しています」

 男の中で、何か少しの恩返しができたような気がしていた。

 数週間後、オーディション当日の日を迎えた。男の表情からは、緊張しか溢れ出ていない。いつものギターを背負い、オーディション会場である、その事務所へ向かう。
 話によると、男のような路上ミュージシャン五組程が、オーデションのスカウトを受けたらしい。その五組でオーデションをおこない、一組がそのレコード会社からメジャーデビューするというものだ。
 男以外に、どの様なミュージシャンがスカウトされ参加するのかは全くわからない。ただ、男は自分に信じろと言い聞かせている。

 オーデションが始り、その男の順番が来た。
 部屋には、そのレコード会社のお偉いさんであろう人や、音楽プロデューサーの様な人が七人程座っている。
 ある程度の質疑応答があった後、男はギターを鳴らし歌い始めた。言葉一つひとつに魂を込め、その曲が刺されと言わんばかりの思いで、歌い上げた。その後、またいくつかの質疑応答があって、オーデションは終了した。

 初めてのオーデションだったため、これが上手くいった方なのか全くわからない。後は、信じて祈ることしかできない。

 普段よりも、少し鼓動が早い。緊張ではない何かの緊張感に包まれながら、数日がたった。

 家で何も手に付かずソワソワとしていると、男のスマホが鳴った。電話番号はあのレコード会社だった。変に力が入り、鼓動の高鳴る音は口から漏れていた。男は電話を取った。
 電話越しから、スカウトしてくれた男性の声が聞こえた。

「もしもし、先日はオーデションにご参加いただきありがとうございました。大変申し上げにくいのですが、不合格のご連絡をさせていただくため、電話させていただきました。また、ご縁がありましたらよろしくお願いします」

 ほんの数秒で男性の話が終わった。男は、何も考えれず。

「ありがとうございました。また、お願いします」

 と絞り出すかのようにお礼を伝え、電話を切った。
 男は、ただ茫然とした。身体が変に浮いている様な気持ちの悪い感覚になった。そして、この六畳半の部屋が、嫌な哀愁を漂わせてきた。

 ずっと地獄の様な生活をしてきた。だが、そこに蜘蛛の糸のように、希望が見えた。その希望を逃すまいと、自分に手繰り寄せたが、切り捨てられた。それは、元いた地獄に戻っただけだが、地獄にいるずっとより苦しかった。変に希望を見たせいだ。

 その後、数日間は路上ライブすることもなかった。男の中で大きな音をたて、少しずつ夢が崩れ落ちていく。

 そして男は、ミュージシャンの夢を諦めようと考え出した。普通の仕事に就けば、反対している家族にも会える。収入が安定すれば、恋人ができた時に結婚もできる。幸せな家庭が築けるだろう。そう思っていたのだ。
 そんな諦める理由の様なものは、男の中で崩れ切らなかった、少しの夢への希望に覆い被さった。

 男は、少しやり切った表情で、あの相談サイトを開き、こう投稿した。

「あじさいさん、前に言っていたオーデション落ちてしまいました。これを機に、僕はミュージシャンの夢を諦めることにしました。色々と相談に乗っていただいてありがとうございました」

 これは、諦めるなと止めて欲しいわけではない。本当の感謝の気持ちと、労いの言葉をかけて欲しかったのだ。

 しかし、投稿に回答が無いまま、数日が過ぎた。
 少し気にしながらも、男が部屋で就職専門サイトを見ていると宅配が届いた。何かをネットショッピングで買った記憶もない。少し怖かったが、男は受け取った。
 届いたのは、小さく少し重たい段ボール箱と手紙だった。

 机の上に置き、送り主を見ると、出て行ったきり連絡を取っていない実家からだった。
 何故、このタイミングで送られてきたのか、男はわからないまま手紙を空けた。
 そこには、

「もう少し頑張ってみるのもいいと思います。ずっと応援していますよ。母より」

 と優しい字体で書かれていた。
 その手紙の裏には、あじさいの絵が描かれており、段ボールには少しのみかんが入っていた。

 次の日、その男はいつもの場所で路上ライブをしていた。いつか、誰かに届くように、名前も知らない匿名の誰かに届くように、男はギターをかき鳴らす。


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