あの男と過ごした幾多の夏の思い出

夏の日常

七月も終わる
蝉の鳴き声は五月蝿く
休暇の子供達が外に溢れる
冷房にあたり冷えた身体を
男の匂いの染み付く毛布で包む
著名人の不倫でざわめくワイドショーが
女に再度愛を意識させる

昼過ぎ、
惰性で男はまたこの部屋にくる
車の中で着替え
車の中に置いていけぬ昔の家庭の空気を
女の部屋に持ち込んで
また女は怒りを押し殺し昼食を用意する男の手元を見つめる

夕立の音で目が覚めた

男と少年、三人で海岸を歩いていた

見覚えのある海岸、あの夏に男と訪れた海の景色だ

潮の匂いと、貝殻の破片の散らばる細かい砂の上を

耳馴れぬ少年の話し声が馳ける

私は夢の中で母になったのか、女はふとした安堵に身を置き

男の背中に顔を埋め夢の続きを見たいと願い

夢と程遠い現実からさっと目を背けるのだ

背景

 女のワンルームには午後、昼下がりに仕事を終えた男が必ずと言っていいほど訪問してくる。何をするわけでなく、男は女が予め購入しておいた麺類を手慣れた様子で茹で上げ、仕上げにキノコ類を入れ、昼ご飯としていただく。キノコ類の嫌いな女はそれを横目に甘い菓子パンを食べ食欲を満たす。食べ終わると世間話も早々に男は換気扇の下でタバコをふかし、日本が平和ボケしている事を暗に伝えるワイドショーの司会の声を聞きながら、次のサスペンス劇場が始まる頃には女は男の隣に横たわり、そのままシエスタを始めるのだ。

 それは二人にとって日常的な行為であり、女にとってはそこに男だけが存在する狭い世界での人間生活なのである。社会に出たこともなく、男の他に男など知る由も知るすべも無く、取り敢えず女の人権は尊重されている風ではあるが、側から見るとまるで箱の中で飼育されているかの如きおかしな生活実態である。

 女は夢を見る。それは現実世界においても、睡眠中の出来事であってもだ。この女の望むことは長期的に男と単なる交際関係を持つことではなく、婚姻関係を結ぶことだときっと女が口にしなくても、男は既に理解しているに違いない。男には以前妻子の存在があり、その後離婚を経験している。男の煮え切らぬ態度は、果たしてその元嫁と妻子の影響によるものなのか、一度失敗を経験しているからこそ慎重に行動しているだけなのか、それとも天性のものなのか。社会を、人間、また自らを知らぬ女には真実が見抜けないのだ。

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