見出し画像

30歳で自立したくなった話⑪/家族の呪縛なんてないと思ってた

別れたいわけがない。
こんなに大切で愛おしい存在を手離せるわけがない。じゃあなんで?なんでその存在から距離を置こうとするの?

彼と私の関係性は、一緒にいる間に様々な側面を持つようになっていった。親友であり、兄妹であり、親子であり、飼い主とペットでもあった。
でも、「恋人同士」という関係性は、いつのまにかなくなってしまっていた気がする。


私は両親から甘やかされたり褒められたりした記憶がない。
お遊戯会で上手に踊れても、テストで良い点数をとっても、絵や作文が入賞しても、通信簿がオール5でも、友達がたくさんいても。
私とは反対に問題ばかり起こして成績も良くなかった姉は、いつも怒られていた。その姿を見て怒られないようにするにはどうしたらいいか、要領よく過ごすことが身に付いた。
でも、姉は怒られる代わりに甘やかされてもいた。自分から甘えることが上手で、何かあれば両親に相談し、思春期になっても母親に抱きしめてもらっていた。

私はその姿を見て羨ましいと思ったことはない。どちらかというと冷めた目で見ていた。
家族に自分の話は極力したくなかったし、相談事をするなんてもってのほかだった。
父や母に褒められるより学校の先生や友人に褒められる方が、嘘のない社会からの評価に感じられて嬉しかった。

私が高校生の頃、父が鬱病になって仕事を辞めた。同時期に、姉も鬱病になって家にひきこもるようになった。
私には何も知らされなかったが、部屋に置いてあった薬袋で知った。

母はひとりで必死に働いて、病気を理解して、ふたりを支えていたんだと思う。
私はあまり知らない。知らされていないのだから知らないふりをした方がいいのだろうと思った。その辺りから、より家族という社会集団への帰属意識が薄まった。
私の人生は私のものだ。幸い、学校もバイトも恋愛も楽しくて最高な青春を送った。

両親から愛されていないと思ったことはない。ふたり姉妹を比べたら、そりゃ頼ったり甘えたりしてくる方が可愛いよなぁと当時も今でも思う。それよりも、家族外から高い評価を受ける自分が好きで、どこかで姉を、そして家族を見下していた。


でも、もしかしたらそんな自分ではなんとも思っていなかったようなことが影響を及ぼしているのかなぁなんて思う。

実際、私は彼に父親や母親のような役割を求めた。
何をしても可愛いといってくれ、些細なことですごいと褒めてくれ、嫌なことがあると甘やかしてくれる。可愛がってほしくて、褒められたくて、甘やかされたくて、どんどん子どものふりをした。今日はこんなことしたよ、こんなこともできるよ、見て見て。すごい?

同時に、彼も「子どもの私」だけを可愛がり始めた。「大人の私」の意見や言葉を受け入れられなくなっていった。

もう、うまくバランスが取れなくなっていた。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?