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こころと身体を一緒に見つめたら

昔は(?)、1年前くらいまでは
悲しいことも嬉しいことも
できるだけあまり感じないように
生きていたかったみたいです。

悲しいことに耐えられないから
どうにかこうにか傷を浅くしたくて

うまく自分の中で納得させようとしたり
自分が悪いしな、
でまとめようとすることが多かった。

自分が我慢すればいいかな、
のようなところに落ち着かせようとする
(結局落ち着かないのだけれど)

でも事実、
悲しいことはめちゃくちゃ悲しいし、
(そうそう、めちゃくちゃ悲しいのに、
「悲しくなんかない!」と
言い聞かせるような)

嬉しいことより
ものすごく印象に残っていたので、
何かと悲観的な気持ちになりやすくて、
それすらも責めることの繰り返し。

そのループって、
めちゃくちゃ
苦しかったし、
そういう自分にも気付いてたから、
できることを始めたんだとおもう。

身体のことやったり
自分と向き合ったり

ただただ、
わたしは自分をもっとしあわせに
してあげたかったし、
シンプルな事実を複雑にしてしまう
思考から抜け出したかった。

これを今書いてるのは
メモとして、
こうだったよ、を思い出せるように
自分のために書いています。

身体のことを1年あまり調整して
身体と仲良くなろうとしている時に

「身体のことをやると、
感情は色鮮やかになりますね。」と
言われたことを覚えている。

「これ以上悲しみを
感じることになるのか…嫌だな」と
おもったことも覚えている。

ただ、そこで見落としていたことは
感情は悲しいだけではなく、
楽しいも、嬉しいもあること。

それらも同時に色鮮やかになること。

心と向き合うことと
身体と向き合うことを同時にすると
その解が身体の体験ベースと
心の体験ベース同時に起こって

「言っていたことってこれか」
と腑に落ちやすくなりました。

身体がいい感じになっても
日常まで落とし込めてないなあと
思っていたから、
こういうところに響いてくるんだと
実感したことと、

(こういうところとは、自分の感情が
揺れた時の瞬間の自分の対応)

悲しみも感じていいし
それをすることで
喜びもはっきりと感じられる。

身体のところでいうと
刺激を感じ切るなんだとおもうし、

心のところでいうと
感情を感じ切るだとおもう。

頭で理解しても肚落ちせず
わからないことがたくさんある中で
それがわかる体験が身体からも
心からもインプットできたのは

今年の大きな収穫のひとつ。

たくさんの種も蒔いた気がするし
たくさんの芽が少しずつ出始めている。

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