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映画日記:王と鳥

ジブリ高畑宮崎両氏が絶賛してたらしいってことで観たフランスのアニメ。サムネイルの絵柄が好みじゃなくて期待せずに観たら、鷲掴みされてしまった(鳥だけに、ってすんません)。
監督はポール・グリモーというアニメーター、『天井桟敷の人々』も書いた詩人ジャック・プレヴェールが脚本。
製作時間がかかり、資金難であせったプロモーター?が、未完成品を無断編集して発表した『やぶにらみの暴君』が、実はジブリ2人が絶賛した方らしいけれど、そっちは監督によりお蔵入りにされている。

ネタバレあらすじ

全てが気に入らずひっきりなしに家臣を罠で奈落へ落とす、タキカルディ王国の王様(シャルル5+3+8=16世)が主人公。気を許す相手は飼ってる子犬一匹だけ。
妻を王に撃ち殺され復讐を狙う雄鳥とその4羽の小鳥が、王宮の屋根に巣をなしている。子の1羽は毛色が違い、好奇心で動き回ってはすぐ罠に生け捕られる。
孤独な王は、誰にも入らせない王宮最上297階の自室で美術品コレクションと暮らしていて、絵の中の羊飼いの娘に恋をしている。
娘は側に飾ってある絵の煙突掃除夫の若者と両想いで、王や口を出してくる老人の像に邪魔されないよう、ふたりで絵から飛び出す。
部屋にかけられた肖像画から偽の王様も抜け現われ、本物の王を仕掛け罠で奈落へ落とし、本物との入れ替わりが起こる。
恋人達は、初めて見る外界で空の美しさに酔いしれる。ふたりは城内のお尋ね者となるが、逃げる途中で罠にかかった小鳥を助け、鳥と仲良くなる。鳥の助けを借りて逃げる途中で、地下牢の中の街へ出る。
地下の暗闇の街には、空に憧れる盲目のアコーディオン奏者など、外の様子を知らない庶民達が暮らしている。
地下街に王の巨大ロボットがやってきて、ふたりも鳥も捕まる。羊飼い娘は恋人だけでも助けようと王の手を取る。煙突掃除夫と鳥は強制労働にまわされるが、隙をついて逃げ出す。
地下牢の防壁代わりに飼われていた飢えたライオンの群れを、鳥が言葉巧みに味方につけ、偽王の結婚式を開いている地上への逆襲を仕掛ける。
偽王は娘と巨大ロボットの上に乗りこんで逃げるけれど、ロボットの操縦桿を鳥が奪い、コントロールが効かないままにロボを大暴れさせて王宮を粉々に破壊する。
薄明の世界の中、地下の民と動物達は荒野に逃れ彷徨う。ナイフで恋人達へ襲いかかろうとした偽王を、ロボットがつまんで彼方へと吹き飛ばす。
朝、瓦礫の中に考える人の形でロボットが座っている。またもや罠にかかっていた小鳥をロボが出してやり、空になった罠を叩き潰したところでエンドロールが流れる。

感想

キュビズム要素を入れた造形やアニメーションならではのSF道具の動き、それとマッチした音楽がたまらない。石造の形、犀の時報、天使の装いの喇叭吹き、絶妙に神経を撫でながらずれていくファンファーレ、あんまり素敵で毛が逆立ち叫び出したくなるような、何とも言えない感覚に陥った。(つい最近同じ感覚を味わったのは、ラジオでFrikoというシカゴのバンドの曲を聴いた時。)
フランスだけあって濃い政治哲学的寓話だけれど、そこを完全無視しても魅力的で痛快冒険譚だから、子どもにもきっと喜ばれるだろう。
城など造形的モチーフはカリオストロ、政治や哲学科学的題材はラピュタやもののけ、同根から分岐した光と闇の婚姻モチーフはカリオストロとラピュタ両方に受け継がれている(普遍的寓話だけど)。絵画の活用という点も含め、かぐや姫もかなり影響を受けているのだろう。カリオストロのルパンの服の配色は、罠にかかりやすい小鳥と同じだ。
太田光氏も書いてる通り、半端な考察は無粋なのだけれど、自分が考えたこと感じたことをすぐ忘れてしまうが故のメモとして書きます。

王について。偽王が絵から抜け出る瞬間の姿はヒトラーそっくりで、王は美術を愛し、「労働は自由への道」の言葉も飛び出すけれど、ナチスドイツだけを描いてるとは限らない。
権力者の肖像が大量生産され取り巻く状況は、『一九八四年』でも現われるし、アラブの春寸前のシリア旅行時にわたしもアサドのそれを見たし、スターリンや毛沢東、大日本帝国時代の御真影も思い起こされる(江戸時代まではなかった風習)。全てのファシズムの象徴。
高畑勲は、王を二次元を愛でる中二病患者と評している。その点は、羊飼いの娘の絵を眺める際に流れる唄に凝縮されている。
「ロバと王様と私
 明日はみんな死んでます
 王様は退屈で、ロバは飢えで、そしてわたしは恋で
 時は5月
 人生はさくらんぼ 死はその種
 そして恋は さくらの木」
ロバは誰?
内心で終末を待ちながら、生身の人間を遠ざけ絵画を愛する王。そこまでは似た者として理解できるんだけど、結局この王は女性や部下達に救ってもらいたいのか、外へ気持ちも暴力も向かっていて、何だ認めて愛してほしいと言えないだけなのか、何というエネルギーの無駄遣いと思う。王ともなれば周りがフランクに接してくれないから、色々大変なのだろうけれど。
本物の王も含め、奈落へ落とされた家臣達もどこへ消えたかは分からない、高度を考えるとまず助かっていないだろうけど、こうの史代さんが指摘するように、そこを描かないのは確かに不気味。生者の視野の狭さの反映か。
王は、現実のファシスト群を参照すると、自らの不安・欲望・物語に呑み込まれて別人へ変容したと考えてもいいだろう。本物と偽物を見比べても、行動の変化はあまり無いけれど、今回が初めてでなくもう何度も入れ替わりっていた、と妄想するとより面白い。
協力し合えば王を静止できるけれど、権力が形成する流れに従う方を選び続けていたのは、家臣達だ。
ロボットに扇風機で飛ばされた偽の王は、いずれ違う形で蘇りそう。
王の子犬は、王に懐きつつ子鳥を匿いもするし、無邪気にやりたいことをやり、善悪の区別をせずただ遊びを生きている。王にとっては理想の姿、受け取り方により善にも巨悪にも映り得る存在か。
親鳥は、復讐や友を救う為に意識的に嘘をつき、革命暴徒を扇動しロボットで街を破壊もする。社会を変える為に世間が必要とする存在で、彼の中には善悪の感覚は希薄なように思える。すぐ罠にかかる彼の子はどこかで次代扇動者になりそう、親鳥自身は革命後役目を終えたら追放されそう。
羊飼いの娘を含め、女性は誰かのパートナーである為だけのキャラという感じがこのアニメの中ではする。しかし、煙突掃除夫も、子鳥を助ける以外ほぼ受け身なので、ふたりは若者を代表してのイメージか。
王のパートナーは代々羊飼い娘から探されるという設定は、血を薄める以外の何を意味するのだろう。
巨大ロボが印象的。自動演奏装置まで内蔵している。操縦者達にろくでもない破壊活動へと使われた後、自らの意思で動いて罠を破壊する。考える人となり自律した科学技術は、善?悪?超越してそれこそが神?いずれ暴走しそうでもあり危うい。或いは、ロボは科学の象徴ではなく、王の機械となって心を消して働いていたけど最後に我に返る人、とも考えられるかも。
地下に暮らしていた民衆は、レジスタンスの象徴ではないのか、思想的背景が一切感じられなかった。暗さや閉じ込められていることは、象徴的なものなのだろう。
先日見たベルトルッチの『暗殺の森』でも、友人として盲人が登場した。
キリスト教において、盲人は純粋な犠牲者で「見えなくさせたのは誰で眼を開かせたのは誰か」との説話に繋がりがちらしい(https://efct.sakura.ne.jp/site/2015/08/09/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D9%E7%AB%A0125%E7%AF%80%E3%80%8C%E7%9B%B2%E7%9B%AE%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%80%81%E7%BD%AA%E3%81%AE%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%8B/)、
わざわざ書いたけど、映画ふたつはそこは踏襲していない?
『暗殺の森』イタロは、生存戦略の為に権力を支持し、戦後周りから声高に非難されたようで、偏見の少ない設定ではあるように感じた。(トラウマに左右される主役については、傷ついた結果だとしても犬の扱い方等最悪でどうにも嫌だった。)
このアニメの盲人アコーディオン奏者は、ただ外に憧れ夢を語る無邪気な芸術家のようだ。自分の聞きたいこと以外に興味がなく、現実や目の前の人に関心を向けるのではなく自分の望みだけを投影して見る人、という感じ。
ただの比喩として盲人を出すのは非常に無神経な気がするけれど、時代的なものなのだろうか。
ライオンは、暴力的な力の化身だろうか。それは革命をむしろ危うくする存在のような気がするけれど、映画では途中で存在が消えてしまう。
巨大ロボも出て来るけれど、科学技術と人間の関係が重要テーマという感じではなく、社会が変わる時はどんな風かと、技術の使い方も含めた人間のどうしようもなさと逞しさが描かれてる。何が起きていても、夜空や夜明けはやはり美しい。

映画解説はジブリのページが詳しくて、それぞれの視点の違いが面白い。意外な人達がアニメーションについて熱く語ってる。岩井俊二が『花とアリス殺人事件』をロトスコープでつくった理由も垣間見える。
「「やぶにらみの暴君」が発想されたのは第二次大戦の終結直後。そして「王と鳥」が公開されたのはロシアの社会主義体制にほころびが見えてきた1980年です。」とあるのは、結構重要そうだ。
日本人としては冷戦での西側対東側の対立でつい眺めてしまうけれど、革命を起こしたことはフランスという国のアイデンティティになっていて、その共和国革命とロシア革命は現実に連動していたのだ。
高畑勲さんが書いた『漫画映画の志 『やぶにらみの暴君』と『王と鳥』』という本には、もっと深いことが書いてあるだろうと思われる。
https://www.ghibli-museum.jp/outotori/movie/
その他に、
映画の題材となったアンデルセン童話の分かるもの
https://greenelement.xsrv.jp/hitsuzikai-entotsusouji/
(考察部分、山羊は牧神と関係あるかも。悪魔像の山羊の角も、元々は邪神としてのそれから由来しているはず。)
ジブリファンの方のブログ、熱量があって良い。
https://purplepig01.blog.fc2.com/blog-entry-252.html

ジブリが紹介ページにあるキャッチフレーズ読むと、ため息が出る。
「気をつけたまえ。この国は今こそ、罠だらけだからな。」
映画宣伝時は「こそ」がついていないので、こそで強調された「今」ってのはHP公開時、これを書いている現在は更にその後に当たるのだ。

ヘッダ写真は、近所の木に止まってた鳥たち。鳥の振舞い方には、その土地や住む人の在り方も反映されているのです。


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