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NIKEのCM・マーケティングは何が間違っていて何が正しいのか ~分断を生むマーケティング論~

賑わいを見せているNIKEの人種差別を扱ったCMだが、いくつかの面においておそらく「NIKE的には」正しい部分がある。しかし、間違っている部分も多い。いちおう大学でマーケティングを教えている人間としては、以下の点を指摘しておきたい。

以前こんな記事も書いたが、マーケティングの目的が「物を買わせる」という目的である以上、ある程度の「射幸心」「欲求」を煮え立たせるものではある。ただ、今回のCMは、マーケティング的に言うと『社会的なメッセージを発信することによる企業のブランディング』を目的としたものである。

もちろん、差別をなくすことは大切である。しかし、そのための手法はいろいろな道があると思われる。人の意識が変わること、社会の仕組みが変わること、法律が変わること。国や地域によって、『変わらなければならない』レベルは様々だろう。

今回日本においてあのCMは、在日朝鮮人、ハーフの方々が取り上げられた。もちろん、CMにおいて取り上げられたような事件は実際にあったことだし、そういったことを是とすることはない。しかし、それを解決する手段として「スポーツ」ということは果たして『変わらなければならない』何かを解決することになるのだろうか。

地球上には様々な差別が存在している。宗教や人種、収入や地域による。阪神タイガースファンから見れば巨人ジャイアンツファン&球団は地球上に存在してはならないほどのモノで、聞くに堪えない罵声を浴びせるべき存在である(でもなぜか広島カープには優しい)。もし巨人球団が消滅したら阪神ファンの心のよりどころはどこになるのだろう?33-4の千葉ロッテであろうか。

話が脱線したわけでなく、「差別ということが発生するには『差別されている側』と『差別する側』が存在している」といいたいのだ(別に阪神ファンにトラウマを思い出させようなんて全く思っていない)。では『差別する側』はどんな人か。在日の方やハーフの人、もっと言えば「日本人でない人」を奇特に思い、『あいつらは俺たちと違う』という思いを抱く人々だろう。もちろんそういう人は日本にも残念ながら多く存在する。しかし、それを言いだしたら大小あれど『地球上にいるほとんどの人間が、自分たちと違うことに対して何らかの思いを抱くものである』。それが「アイデンティティ」にもなるのだ。

一方、マーケティングはある程度の理想的な「ステイタス」(それが家族の姿であったり、きれいな、あるいはカッコいい俳優やアイドルであったり、社会的に成功した人の姿であったり、ある程度の社会的集団)をつくり、その人たちが使うものをアピールすることで、『私もあんなふうになりたい=だからあれを買いたい』と思わせることが手法となる。

だから、NIKEのCMは、『俺たちと違う、という人間に根幹的に存在する価値観を否定するには、NIKEの靴買ってスポーツ上手くなって、誰にも負けないという「ステイタス」を手に入れることが必要だ』ということを言うている。差別なんて関係なく、NIKE商品が売れるためのただの口実である。その点に気が付いた人々が、このCMを批判しているのだ。

ただ、正しい点がある。NIKEのCMを見て、これでNIKEに対するイメージが上がると思われる人々がいる。それはBLMのような活動に賛同して「差別をなくそう!」というプラカードを掲げて、『差別というものの存在を認めない人を差別し、攻撃する』人たちだ。もしくは、差別というものを受けて大なり小なり「見返したい」と思っている人たちだ。とすれば、このCMはむしろ「差別という状況を深堀している、分断を助長している」ことに他ならないのだが、売り上げが上がる可能性がある、という意味では正しい手法なのだろう。ただ、このCMのやり方では、「差別の根源的な解決」にはつながらない。

差別ではなく、ラグビー日本代表が昨年教えてくれたように、違いを活かしながら、みんなで助け合って、とりくんでいこうじゃないか。そういったメッセージが求められるべきだと思う。NIKEが扱ったのは、スポーツの中でも陸上などほぼ個人競技であった。もしあれが、差別を乗り越え、日本人や様々な人種の人みんなで何か団体競技で頑張って、勝利の瞬間の喜びを分かち合ったり、敗戦の悲しみを共有しつつ努力をたたえあう、というようなCMであれば炎上どころか称賛されたかもしれない。スポーツの力はそういうものではないのか。

NIKEさん、私を広告アドバイザーとして雇ってください。

かつてマイケル・ジャクソンは「BLACK OR WHITE」「HEAL THE WORLD」などの歌や活動で「人の心が変わることによる根源的な解決を進めて」人種差別を乗り越えようとした。それから20年以上たつというのにこういうCMが流れるというのは中々この手の問題が深いことを表している。


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