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”ジェントリフィケーション”地方創生という問題

地方創生に関わる身として、最近特に考えていることが、『地方を活性化しよう』ということを【上から目線で語る、関わる】人が増加していることに関する懸念だ。

そもそも、地域にとって新しいことをしていくこと、若い人が帰ってきてくれることはとても大切なことなのだが、その若い人が全て『地方においても都会的な仕事をする(できる)』ことを求めているかのように発信することは違うと思う。

また、地方創生の肝である「経済活性化」施策については、それ以上に【上から目線で語る、関わる】人が多くなっていることを感じる。ここでいう【上】とは、【東京】の事だ。

地方の経済を活性化させるために、東京からヒトやカネを引っ張ってきて、経済を回す、地方に仕事を与える、、、これ自体はもっともなことではあるが、そのやり方はそれぞれの地域独自のカタチがあってよい。しかし、そのヒトやカネのひっぱり方が、どこの自治体もコモディティ化している。それは、東京、正確にいえば霞が関、さらに正確にいえば地方創生を謳う政治家がとにかく頑張っている風に見せなきゃならないから突如つくられた補助金、そしてその補助金内容を十分に理解した主に東京に住むコンサルタントが地域に入りこみ、地域に『霞が関が(アリバイ作りとして)喜びそうな』計画作りや案件を作り、提出させ、補助金を獲得していく。

しかし、そういった案件の多くはその地域の経済循環に好影響を与えるかどうかまでの練り上げはできておらず、またその地域の特性を十分に引き出しているようなものではない(コンサルタントが作り上げた企画書には、両方に十分配慮したように見せる文言が並んではいるが、実際は商工会や地元の数事業者に声をかけただけの話であったりする)。

そういったお金によるプロジェクトが地方各地で行われ、地方は『画一化』しつつある。これを私は”ジェントリフィケーション”地方創生と呼んでいる。

ジェントリフィケーションとは、上記リンクなどにもあるように、「都市の富裕化現象」や「都市の高級化」を指す。また、高級化に従って労働者階級が住んでいたエリアに中間階級者が住むようになり、家賃が高騰して労働者階級が立ち退きを迫られたできごとを指す言葉である。もちろん高級化によって治安の向上などのメリットも図れる。

しかし、昨今の地方創生に関しては、このジェントリフィケーションの負の側面がどんどん増してきているように見えてならない。

①グランピングの乱立
②高級宿泊場所、富裕層向けサービス推奨施策
③ワーケーション企画
④逆参勤交代とか官学連携とか地域おこし協力隊という名のもとで「都会の若い人のリソースを地方で格安で使い倒す」
⑤若い人が地方に移り住んで、新しいことを起こしたり、地域の暮らしなどの情報発信をナリワイとしていくことを創り上げる

どれもこれも、東京目線で『地方を活性化させなければならない』という取り組みばかりである。もちろん、地方活性化は取り組まなければならない課題ではあるが、何もかも「東京の人が考えている通りに」しなければならないというものではない。

例えば、①②のような高級宿や富裕層向けコースが少ないのは前から言われているが、富裕層コースを作るのと、ややお金に余裕がある人の観光客が年間通して一定数来てくれるのを作る方の、どちらが経済効果があるのか検証したうえでの富裕層なのか。年間数回来るかどうか、またそのような富裕層を「だれが、どうやって」集客するのか。プライベートジェットで来るというのであれば、地方空港(例えば兵庫県のこうのとり但馬空港や和歌山県の白浜空港)に直接降り立つということも希望するかもしれない。検疫や入国手続きなどの対応はそこでできるのか。いったん成田で降ろさせ、そこで手続きなどさせる手間があるならそんな国に行ってられるかということになりかねない。国を挙げて法律面から検証し、重点的にこの場所を富裕層向けのコースとして創り上げる、ということをしないと無理だろう。

現在総務省で富裕層向け観光地化を取り組む自治体を募集しているが、『募集』程度で何とかなるものではないのではないだろうか。また、募集しても、結局上記のような入国の問題から、結局は『空港が近くにあり、ある程度集客の実績がある』ところが総務省の公募で選ばれるのであれば、自治体に自ら手を挙げさせないでTOPダウンで進めた方が早いではないか。

③に関しては、東京からヒトが来るきっかけにしたいという意気込みでいろいろな自治体も考察しているが、結局絵に描いた餅で、実はワーケーションをする人が日本にそんなにいないという落ちが見えてしまった。

とはいえ、コロナだ都会の通勤ラッシュだなどといって、地方での働きを促すような仕掛けを行おうというコンサル会社の企画が色々な自治体にばらまかれている。実際、それをやって集客できる見込みもないのに。

④⑤に関しても、色々なところで目にする。
地方創生がらみで「ビジネス」になるのは、『ヒト』の斡旋であったり提供であったりする。都会の人を地方に送り込もうという『ビジネス』である。
しかし、人材派遣や人集めのビジネスは、昔から一番儲かるのは胴元、派遣会社なのである。かといって自ら地方自治体や地方企業が東京で人集め、獲得などはできない(できるために、いろいろな地方移住・暮らし相談会があるが、無料で開催しているがゆえに、そこに参加してくる人の質の悪さは正直酷いものがある。私もかつて農業で地方に就職しよう!というテーマの人材マッチング会でとある会社のブースをお手伝いしたが、そこに来る人は農業などの作業以前に、人間としてもう少しマナーをどこかで学んだ方がいいのではという人がとても多かった。とあるIT企業で求職者支援訓練をしている時にも思ったが。)
人材派遣などの会社目線ではなく、別の事業者が関わって地方に目を向ける人を増やしていく方が現段階ではベターのような気がしている。

たちが悪いのは、地方の暮らしや姿を若い人が情報発信で「都会」にのみ発信しようとするようなビジネスモデルをやることだ。見た目はとても立派な仕事に見えるので、若い人からの注目も集まりやすい。しかし、そういった若い人が地方に移り住んで、物珍しげに地域の事業者を歩き回り、きれいにトリミングされた写真とともに東京の読者に向かって発信する情報は、それ自体が「トリミング」されていて、実際その地域に人が移住した時にはまるで役に立たなかったりする。

ありのままの情報をしっかりと丁寧に発信しているプロジェクトやメディアも確かにあるのだが。

地域での暮らしを、その土地でまだ数か月しか暮らしていない若者よそ者が全て発信できるわけでもないし、分かるわけでもない。水利権の管理のややこしさ、地域から出ていってしまって2度と戻らないと思っている人の声、地域の政治家と自治会長や権力者との関係性(ある意味某宗教団体と政治家の関わりよりややこしい)やそこで発生する選挙への協力依頼のわずらわしさなど。


地方には、『煩わしい生活』がたくさんある。東京など都会にも、稠密さ、情報の氾濫、高い家賃など『煩わしい生活』がある。
どちらの方がいいとか悪いとかではなく、どちらも100点ではない
。よく、SNSには「日本は北欧に比べて生活しにくい国だ」という批判が沸き起こるが、そういう北欧の国でも別に課題がないわけではなく、不満に思っているかの国の国民も多い。

つまり、隣の芝生は青く見えるのだ。

”ジェントリフィケーション”地方創生とは、地方の様々な「煩わしい生活」を、なかったかのように・無くせるかのように『地方創生で新しい地域が産まれる』ように見せる手法である。実際はそんなことはない。地方にあった歴史や文化を上手く育んでいく必要がある。しかしそれには時間がかかる。その切り口を作るために人が「協力隊という、短期間のちょっとした仕事で」移り住んだり、東京から通ったりすることで何とかなることは少ない(できないわけではないが、相当難しい)。

実績がうまくできている地域は、中長期的(最低20年スパン)な目線で、地域を活性化させるためのプロジェクトを立ち上げ、その軸として人を協力隊として募集したり、補助事業を作ったりしている。3年間の任期や補助金が終わっても、その後その人員を基礎自治体で必ず雇用するくらいのプロジェクトでないと、成功には至らないと思う(ただしこれが首長選挙で変わってしまったりするのが自治体の泣き所ではある)。

地方創生においては国からの予算がばらまかれることで、多くの「東京の描いた姿で地方創生を」しようというプロジェクトが多く生み出されやすくなっている。能登町のイカキングのように自治体が独自性独創性を出そうとしても、「こういった方が補助金がとりやすいですよ」ということばかりが地方で行われてしまう。結果、地域で本当に頑張っている人が排除されたり経済的恩恵を受けられなかったりする(これが今回表題にジェントリフィケーション、と題した理由でもある。東京主体のプロジェクトで、結局東京から来た会社が儲かるようでは地方創生としては効果は得られない)

個々の自治体の取り組みをもっと伸ばせるような仕組みを霞が関には行ってほしい。そして、その取り組みがしっかり効果を生むための専門家(≠コンサル)の「伴走支援」が必要であり、それには数年間必要だと思う。その為の支援や、確実な地方創生取り組みを企画するための「データ獲得基盤整備」にこそ投資をしていくべきなのだ。
データ獲得基盤の必要性については後日書くが、地方創生を霞が関主導で行っていくのは、霞が関自体も限界だということに気が付いているはずなのだ。

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