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ビーガンは地球を救うのか

私は新社会人から食品の流通にかかわる仕事をしていて、今までいろいろなお客様、農業者漁業者食品製造者にお会いしてきた中で思うことがある。

それは、一人一人の食生活というのは非常に確固たるものがあり、それを変えていくというのは非常に難しいということだ。

好みの食べ物を、たとえ健康状況がそれを許さなくなったとしてもどうにかして食べたいと思うし、自分のずっと買っていた品物の値段がたとえ少しでも上がると「なんで高くなったの!!」という反応をする(その割には、ブランド物のバッグの値段とかが値上げしたり、携帯の料金が値上げしてもあまり関心がないようだが)。

そんなわけで、仮に「今の買い物を少しでも国の農業のために、あるいは地球の環境のために」変えませんか?というのは非常に難しい問題だと認識している。もちろん、変えてくれる人はいる。しかし、それはマジョリティーではない。日々小売りの売り場にいる人は、長い時間をかけてお客様の信頼を勝ち取り、新しい商品や、別の食生活への提案を行ってきているのが現実の話である。かつての私がそうであったように。


① ビーガンになることで地球の負荷は減るのか

Twitterでいろいろな議論がされているが、私としての判断は「多少はなる」という程度である。

よく見られる議論は、この埋め込んだツイートの中でTija氏が伝えているようなものだが、これは完全に誤解である。
地球上に農地はたくさんあるが、それはすべて人間が食べられる栄養価高い野菜などを生産してくれるものでもない。例えば、イタリアは有機農業の耕作地が非常に多いことで知られているが、その有機の農場は牧草地だったりする。

上記リンクの表2で見ていただければ分かるように、半分は牧草地と飼料用の畑なのである。ではここで食べる用の穀物や野菜は作れるのだろうか。結論から言うとそれは無理ではないが難しい話である。その分の耕作作業、堆肥など肥料、水の確保ができるのだろうか。特に水の確保が最大難関だろう。灌漑施設を広大な牧草地を転換する際に張り巡らせるなど、非常に難しいのではないか。そもそもの降水量もある。北海道で大きな農場を見た人ならわかると思うが、ある程度の面積を超えると灌漑施設などとても作りようがない(実際作ったとしてもメンテナンスが恐ろしくかかる。北海道で水のパイプライン作っても、一冬で役に立たなくなるのではないか。)。

簡単に言うと、飼料用の作物や牧草地にするしかない土地というのも多い、ということだ。そして、人間が生きていくためにはたんぱく質の摂取も必要で、今地球で飢えているという8億人の人の飢餓の理由は、そもそも「ちゃんとした野菜や穀物が育つ場所に住んでいるわけでなく、フードアクセスが非常に悪い。」という原因がある。その人たちにとっては、畜産というのは生きていくための大切な産業である。

ニュースでよく報道される、「ブラジルの森林を切り倒して畜産用の飼料畑にしている」ということがあるが、これについては後程述べる。下記リンクは読売新聞の記事であるが、おおむね平等な立場からの指摘としてとらえられる。
http://ieei.or.jp/2019/09/special201704016/

なお、ここで有機農業の話を持ち出したのは、ビーガンの方は、肉や魚を食べないだけでなく、野菜に関しても有機栽培での作物を求める傾向にあると思っているのでこの話をしている。肉食をやめて、牧草地や飼料用作物を人間が食べる野菜にする場合でも、有機栽培に変換ができるかどうかということで話をするべきだと考えているので。


② ビーガンはなぜ人にスタイルの変容を強制するのか

例を挙げればきりがないが、こういう投稿は非常に多く、ビーガンのこういった一面的な指摘や発言批判をする人をさらに攻撃するVEGANの人も多い。

例えば、この乳牛の例にしてみても、では本来種を子孫繁栄のために使うべきヒマワリの種を食べるのはNGなのかと、細かい議論を上げだしたらきりがない。

いろいろな議論を見てきたが、VEGANの人は、「今すぐにでも我々人類が生活を改めないと地球が危ない」という思想を持ち、「地球をけがしている産業はすぐにでも滅びるべき」という攻撃的思想を持つ人が多い。誰もその使命を与えているわけでもないのに。ただ、自分一人がVEGANになったところで地球を救えるわけではないことは分かっており、そのために他の人にも共感してもらい、変わってほしいと思うのだろう。しかし、冒頭で話をしたように食生活を変えるというのは相当のエネルギーがいる。


③ では、誰が食生活を変えられるのか

どうしたら人間は食生活を、生活様式を変えられるのか。

私は昨年の日本商業学会と一昨年の日本マーケティング学会で、「2018年、私は全国の農業者100人と消費者100人に、有機農業が広まらない理由、という題でアンケートを取っ」て、その分析をした。その中で分かったのは、有機農業にすることで農業者にとってメリットが明確でないことや、消費者に対して有機農業が正しく理解されていない、ということが有機農業が拡大していかない原因であるということだ。

有機農産物=無農薬でもないし、身体にいいということでもない(農薬も使う慣行農法の農産物を食べていたら、身体が悪くなる、ということは決してない)。有機農業の唯一にして最大の意義は「環境負荷を低減する」ということである。決して「美味しい」ということではない。むしろ、現代人が食べておいしいと思う野菜のほとんどは、品種改良され、厳しい管理の下で農業者が苦労して作ったものであることはあっても、有機だからということは本来全く関係がない。

慣行農業による堆肥の窒素や農薬が川に流れ、環境全体に影響を与えているという指摘もあるが、これとて30年前40年前とは農業は全く状況が変わっている。少なくとも日本では。そして、このことを言いだすと、農業だけでなく、公園や山林管理や道路の樹木管理に使われている農薬などはどうするのかという議論になってしまう。桜並木の管理にも大量の農薬が使われている。そうでないと、毛虫だらけになるばかりか、桜の木にも影響がある。日本におけるソメイヨシノはクローン栽培&ある時期に一斉に植えられたものなのでほとんどのエリアで寿命に近くなっており、樹勢の衰えとともに虫の発生が多くなっているという話も聞く。

殊更、慣行農業を悪者にする、畜産業を悪者にすることでVEGANにするということは説得の方法としても悪手であろう。

かといって、飼料栽培の拡大や牛の肥育というものがこれ以上広がっていいかというとそれは先進国においてはストップが必要であろう。日本人の食生活の指標を見ても、スーパーマーケットでの買い物は魚から肉にその消費金額がどんどんシフトしている(今では肉に対しての消費金額の方が多い)。

VEGANになるかどうかはともかく、食生活の改善は、現代人に必要である。これは、未病(主に生活習慣病の防止)の観点から見ても有効だと思われる。しかし、そのやり方として、いきなりステーキ、もといいきなりVEGANは急すぎる。日本人は150年前は穀物と野菜ばっかり食べていたという人もいるが、日本の江戸時代の農民だって、農作業繁忙時には肉を食べていたのである。そうでないとその過酷な作業ができない(参考文献は、百姓たちの江戸時代-ちくまプリマー新書-渡辺-尚志などが良いと思う)。

なんでもそうだが、人間は劇的な環境・食生活変化はかえって悪化を生む。

そして、VEGANや有機農産物を食べる生活による、「地球環境への配慮」は、いま現状の経済サイクルからの脱却を必要とする。それ自体は必要なことだが、今現実それで食べている人の生活を無視していいのかという問題がある。


今話題のこの新聞記事に対する反応の多くはこのツイートに見られるように、「今までいろいろ享受してきた人が何を言うのか」というものだ。「地球環境を守るためのESGにより、新たな雇用が生まれる」というレポートは多く見るが、それは具体的にどの産業でどのようなことなのか、ということはまだまだなのである。人口70億人の人が食べるためには農薬も肥料も、その肥料の産出者である豚や牛や鶏も必要なのである。その経済サイクルをどう変えていくかというのは、一人ひとりの意識であることも間違いないが、それに対してコストがどうかかるかということがまるで検証されていない。

例えば、日本人100万人(成人)が年間で牛肉を食べることを5キロ分減らし、野菜や穀物(この際国産とか遺伝子組み換えでないかとかは問わない)でその分必要なカロリーやたんぱく質で置き換えるとどうなるか、などの検証をしたらどうだろうか。これでどのくらい環境負荷が減るのだろうか。どれだけ生活習慣病のリスクを減らせるのだろうか。(ちなみにこれをすると、北海道の大豆だけではもちろん足りなくなるので、その分水田栽培から転換されると思われる。しかしそれでコメの需要バランスがどうなるかはわからないが)

そういった、事実ベースの話と、段階的な変容がどのようにその人自身にもメリットになるかを説明することが必要であろう。地球も大切だが、それ以上に自分が大切なのが人間というものだろう。

私はかつてツイッターで、種苗法改正に反対する人と議論したことがあるが、種苗法で農家が困るのは全く関係なく、むしろ日本人が国産野菜を買わないことにあり、世帯平均で野菜に対する年間使用額15万円を、18万円にする(野菜の価格が2割上がる)だけでも農家は助かるという流通事情を説明したが、「今そんな支出をすべての人ができるわけない」といわれてしまった。携帯電話を格安会社にするだけで年間3万円以上の節約になるのだが。しかし、このような思考回路は多くの人が持っている。

貧すれば鈍する。地球を救うのも大切だが、このような人を取り残すのか。それこそSDGsの精神に反しているのではないか。

VEGANの主張に多くの人が、とりわけ農業者や食に関わるものが賛同できないのは、
・慣行農業を不当に悪人にしている
・畜産業の世界的な姿が見えていない
食生活の変容というのは難しい。そしてその食生活は(貧しい土地で、栄養失調にあえいでいる人も含めて)経済的状況に依拠している。
ということを、多くのVEGANの人は全く理解していないか、誤解していると感じていることから来ているのではないかと思っている。

もちろん、Twitterで攻撃的なVEGANの人しかVEGANであるなんてことは思っていない。あれはTwitterおよびSNSの世界のVEGANさんであろう。

しかし、私はこの題である「ビーガンは地球を救うのか」という題にはNOと答える。そして、ではどういう人が地球を救うかというと、先進国においては正しい食生活を指導し、徐々に環境負荷にも配慮した野菜(総じて一般野菜より高い)の消費にも積極的になるように行動を変容させる人であり、発展途上国においては、栄養確保の方法と同時に、経済的収入獲得力向上のための活動をできる人である。しかし、これは本当に難しい仕事である。そのためのSDGsの理念でありESGであるが、まだこれも答えが出ていない。

少なくとも、今のままでは北風であり、上記にかいたような行動を変容させる太陽のような人が望ましい。しかし、そういう人のまがい物(有機農産物は身体にいいとか、ダイエット食品を売りつける人)の方が目立っていることがさらに悩ましいことなのだが。

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