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第4回『「死の恐怖」とは?』

「自分は死なない」というのをご存知でしたか?

なぜなら自分で自分の死を認識できないからです。認識を持つのは自分が生きている限りの話ですよね?そういう意味では「死は認識できない=自分はどこまで行っても死なない」ということになるのです。

ともすれば、もしかして人間は、死ぬことが怖いのではなくもっと他に死の恐怖を駆り立てる何かがあるのではないでしょうか?

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こんにちは。思考帝です。急に暗い話をしてすみません。先週radiotalkにてこんな話をしたんです。talkが聞きたいという人はアーカイブが残っているんでぜひ概要欄のurlより聞いてみてください!今回はtalkで話した『死の恐怖』についてニセさんと語ったあの日を文字起こしします。

思考帝『私は大学1年の頃、「自殺は救済措置になりうる」というプレゼンをかましたんですよ。本当に言い方が悪いですし、今でこそ反省してますが、言ってしまえば今自殺者にインタビューしたらには「あー、あの時死んでよかった」って思っている人が一定数いるってことです。つまり、「自殺は悪」と捉えるのはあくまで生きている側の勝手な主張であって、救済措置としての機能には目を向けていないんじゃないかと』

ニセ『とはいえ、解放されたっていう感覚値が図れないという以上は「救済措置」っていう意見もエゴですよねw。どっちの世界も知っているって言う前提で話さないとその主張も意味ないのかなと思いますね。』

思考帝『確かにw。宗教観の側面から死を見ると少し恐怖の真相に近づけるかもしれないです。まず仏教では六道。最終的には極楽浄土。キリスト教だと天国ですかね?それらも人間が死という恐怖に耐えられず作り出した救済っていう意味合いが強そうですよね。そこから見るに死は昔から恐れられていた事実が導き出せますよね。さらに死の恐怖から生まれたのが「輪廻転生」という概念かもしれませんね。』

ニセ『宗教ってそういうところから生まれてるのかもしれないですよね。「死の恐怖」というより「生へしがみつく」って言う表現のほうが正しいかもしれないですね。」』

思考帝『そうですね~。また、日本て自殺大国じゃないですか?キリスト教において「自殺」は大罪なんですよ。信仰が自殺抑制の機能として働いているのかもしれないですよね』

ニセ『まあ日本が無宗教って言うのもここ最近の話な気がしますけどね。キリスト教とはむしろ真逆で神道から通じる武士道とかね。例えば君主に忠誠を誓う自決。戦国時代の切腹文化とか。太平洋戦争での集団自決とかもですね。日本では文化的に自殺が肯定されてた側面があると思いますけどね。』

思考帝『うーーん。確かに。日本文化の話をすると「霊魂思想」などもありますし、結局魂の浄化という意味では、肉体を燃やす葬式、魂はここにあるという「お墓」の文化も残ってますしね。』

ニセ『アジアに通づる「輪廻転生」という言葉も昨今は身近な言葉になりましたよね。欧州ではそもそも「輪廻」自体が否定されているのに。地域によって死の考え方が異なるのは、この問題提起の面白いところですかね』

思考帝『ちなみにニセさんは「輪廻転生」したい派ですか?』

ニセ『どちらかと言えばしたくない派ですが、強いて言えばフジツボになりたいですかねえ』

思考帝『あ、なんか長くなりそうなのでこの辺にしておきましょうw』

ニセ『www』

radiotalkのタイムリミット12分じゃこの程度の話しかできませんでしたが、いかがでしたでしょうか。

話の展開は雑多ですが、思考の入り口としては良い糸口をを多く生み出せたのではないでしょうか。皆さんもこのように思ったことをすぐ口にし(あってるかは別として)、思考を楽しみましょう!

それではまた次回をお楽しみに!!!さらばだ~

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