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地雷拳(ロングバージョン6)

承前

 メキシコ、オアハカ州郊外。真夜中に一発の銃声が響いた。住民はカーテンの隙間から外の様子を窺う。メキシコシティに比べてオアハカは滅多に銃声が鳴り響かない。慌てた野良犬が通りを走りぬける。片足を立たせてよたよたと走り抜ける野良犬への関心は街の住人にはない。
 銃声の出所は、通りに面した家からだった。家は大きな平屋だった。白い外壁は太陽に当たると柔らかな光を反射する。よくある家だった。むしろ、そうでなければならなかったのだろう。
 住民は平家に住む人物はオアハカの人間ではない。ある日、何台ものバンを連れて高級車から現れたのは、身なりのいい男だった。サングラスをかけ、毛皮を着るような男だった。部下を何人も連れており、ギャングで間違いなかった。抗争が激しい北部から、何かあってやってきたのだろう。
 二発目の銃声がした。三発目、四発目は間を空けずに響いた。男の怒号が方々から聞こえてきた。叫び声があがる。銃が連射され、壁の漆喰が剥がれるところさえ想像できそうだった。
 住民はカーテンを隙間から覗いていた。
 やがて、平屋の扉が開いた。月明かりに照らされ、人影を照らした。
 住民はカーテンを閉じた。自分が知るべきことではないと判断したからだ。ギャングの家へと一人で乗り込む者が、慈悲を持ち合わせているとは思えなかった。
 通りを歩く音がやけに大きく聞こえた。
 住民たちの家からは物音ひとつしない。できるだけ音を立てないようにしていた。死神の気を引こうとする命知らずは、この街にはいない。
 雨の中、山道をジープが進む。
 フロントガラスには雨粒が爆弾のように落ちてくる。水滴で歪んだ視界の中、ヘッドライトの光源を頼りにハンドルを切っている。
「セニョールラポール、メキシコは暑いでしょう」
 運転手が後部座席に向かって言った。
 座っているのは糸目の青年だった。どこか気品が漂い、見ようによっては新興企業の代表にも見えなくない。仕立てたスーツが身体に合っている。
 ラポールと呼ばれる乗客は窓から外を眺めていた。隣にはアタッシェケースが置かれていた。
 道は狭い。アクセルはうまく機能していないのか、時々、低い唸り声をあげる。空調は壊れて効いていない。運転手は汗まみれだ。助手席に投げ出した水のタンクを掴み、飲んでいた。
「本当にいいんですかい」
 ラポールは手を振って辞した。彼は少しも汗をかいていなかった。
 死体に乗り上げたように車体が跳ねた。バックミラーにかけたロザリオが揺れた。
 傍に置いたアタッシェケースをラポールは押さえた。
 霧の中を走り続けていると白い建物が現れた。小さな教会だった。
「到着ですよ」
 ラポールは運転手にチップを渡した。
「帰るといい」
「ここら辺はいつ崩れちまうか分かりませんぜ」
「それより酷いことになる。何も知らずに帰ることがお前の最善の選択だ」
 ラポールが冗談めかして言った。
 運転手は会釈して車を出した。危険を嗅ぎ分ける嗅覚がなければここでは生き残れない。
 傘を雨が打つ。泥で革靴が汚れた。
 教会の扉の前にラポールが立つ。オーク製の重厚な扉が、招き入れるように開いた。
 教会の中は、薄ぼんやりと明るかった。洞窟に入ったときのひんやりとした感覚がした。ずらっと並んだ蝋燭の火が揺れ、マリア像を照らし出す。カルテルの男たちは信心深い。自分の信じる神に対して真摯だった。
 蝋燭の火に照らされる一人の男がいた。
「ごきげんよう」
 彼はドゥラスノ《桃》と呼ばれていた。名前の理由は、彼に会えば聞く必要はなかった。
 身体は風船のように膨らんでいた。大きくせり出た腹をぴったりとスーツが覆っている。相当な仕立て屋の技術だ。鼻の下に生やしたヒゲも相まってひょうきんにすら見えるだろう。
 ラポールは慇懃に目礼した。
 アタッシェケースを開くと、照準器が鎮座していた。
「ぜひ、お試しを」
 ラポールはお辞儀した。
 ドゥラスノは照準器を銃に取り付ける。銃を構えた。離れた位置に備え付けの長椅子がある。上には缶が5つ乗っていた。ドゥラスノは並んだ缶を無造作に撃った。小気味良い音を立てて全ての缶が弾け飛んだ。
 おお、と周りを囲む部下たちからも歓声があがる。
「ハガネの商品は素晴らしいですな」
 銃の照準器は、覇金グループが作り出した商品だった。瘤川博士がカンフーロボを作り出す際に生まれた技術は多い。照準器は正確なカンフー技を実現させる目とセンサーから作り出された。
「それがあれば、いかなる骨董品でもたちまち最前線で活躍できます」
 ドゥラスノ達はラポールを囲んでいた。
 周囲を固めるのは2メートル近くある男達だ。揃いの襟付きの服はやけに大きい。服の下にプレートを入れているのだろう。アサルトライフルを抱え、剣呑な眼差しでこちらを睨んでいる。
「引き続き契約を結んでいただけるということで」
 ドゥラスノは常に笑顔だ。人を殺す時もそうなのだろう。
 今、彼の目尻は普段より皺を深くしていた。
「もう少しお話しませんか」
「……といいますと」
「セニョールラポール。私どもの願いは分かっているのでしょう」
「……ほう」
「あなたはまさしくディアボロだ。銃も使わずチョルーラカルテルの屋敷を血の海にしたのはあなたの仕業でしょう」
 ドゥラスノの目が僅かに光った。
 もう知っているのか、耳聡い奴らだ。ラポールは、数日前に覇金の商談に首を出した蝿を潰したばかりだった。
 男たちがラポールの前にボストンバッグを五つ置いた。バッグのひとつひとつがはち切れそうだ。
「……なんのつもりです?」
「バッグ一つで国を買えます。我々は覇金ではなくあなたを欲しているのですよ。ミスターラポール」
 ドゥラスノは丸々と肥えた腹をさする。
「ハガネよりも報酬は弾みますよ」
「私は断れます?」
「もちろん自由ですとも」
 好々爺然とした表情の奥に潜む目は笑っていない。ラポールは気づいていた。この男は自分の欲しいものは、手元に置かないと済まないのだ。
「もし3分後に私から連絡がなければ、ここ一帯を爆破しろと命じてあります。あなたは私との取引に応じるしかない」
 ラポールの脳裏には狭い山道と濡れた岩肌がよぎった。逃げ出す術はなかった。いくら鋼の身体とはいえ、険しい山岳地帯を瞬く間に逃げおおせる技術は存在しない。
 ドゥラスノは分かっているようだ。欲しいものに自分の命を差し出さなければならない時がある。彼にとって今がその時だ。
 ドゥラスノは命懸けで、ラポールを屈服させるつもりなのだろう。
 だが、甘い。
 ラポールは心の中で笑う。
「何か問題でも?」
「いや……、同僚に同じような真似をする奴がいるんですよ。わざと命を天秤に乗せて無理を通すんです」 
「ひょっとしたら仲良くなれるかもしれませんな」
「はっはは。無理ですよ。あなたじゃ、まるで話にならない」
 ドゥラスノは片眉を上げる。
「心根は奴の方が人間臭い。自分で追い込まれなければ、そいつは発起できないのです。なんとも馬鹿な奴です」 
 語るほどに懐かしくなった。覇金の練習室で技を磨く毎日がよみがえった。
「……御託に付き合うほど、気長じゃねぇんだぜ」
 ドゥラスノの声にはドスが効いていた。男たちは殺気だった。ライフルの銃口をラポールめがけ突きつけている。
 ラポールに焦りの様子はない。
 ドゥラスノは長年の経験でわかった。何か切り札を持っている。
 そう思っても止められなかった。
「やれ!」
 答え合わせをするように、ドゥラスノは命令した。辺りは静かなままだった。
 部下は誰も発砲していなかった。
 こ……
 そんな音がした。
 信じられないことが起こった。
 ライフルを構えていた男たちが一斉にラポールから狙いを外したのだ。
「聴勁という」
 狼狽するドゥラスノに、ラポールは言った。
「中国武術には相手と触れただけで力の流れを読む術がある」
 朗々と語るラポールを、ドゥラスノは見ているしかなかった。
「俺には心が読める。身体と繋がった心の機微がな」
「何を言っている……」
「俺の身体は特殊な鋼でできている。心に響くも響かすも自由なんだ」
 狼狽は部下たちに伝染していく。
 ドゥラスノは何が起こっているのか掴めなかった。
 男のひとりが銃口を上に向けた。そのまま自分の口に運んだ。
 一体なにをしているのか。
 男たちは互いを見つめ合っていた。ラポールとドゥラスノ以外が、自分でない動きをしていた。ドゥラスノの部下たちは皆、ライフルの銃口を咥えていた。
 朝霧に乾いた銃声がした。
「自分を高く見積もるお前たちは勝てない」
 手下たちが死んだ。ドゥラスノもまた、こめかみに銃口を突きつけていた。
「……お前だけは悔やんでいたようだな」
 ラポールはドゥラスノから拝借したスイッチを押した。
 引き金が引かれ、銃声が響いた。
 マリア像は教会を爆破しようとした者たちを変わりなく見下ろしていた。
 ここにも覚悟のある奴はいなかった。ラポールのカンフーが通じなかったのはただひとりだった。
 HG-16。破滅を背負う奴には到底及ばない。
 ラポールは教会を出た。雨があがっていた。雲間の向こうから、低く唸るような音が聞こえてきた。
 目の前にいるのはジープだった。運転手がクラクションを鳴らす。
「あんた! 早く乗るんだ!」
 考えるより早くラポールは車に乗った。
「逃げられたはずだ」
「教会の前じゃ無理だ。神様が見てる」
 ラポールは可笑しかった。見ず知らずの自分を助けようとするとは。
 ジープは行きが嘘のように軽快に走った。木の隙間としか言いようがない道を枝に擦らせながら進んでいく。
 視界が揺れるほどの爆発音がした。距離からして教会に爆弾が落ちたのは間違いない。
 ドゥラスノの決定は関係なかったのだ。
「チップは弾んでもらいますよ」
「3食つけてやる」
 ラポールの言葉に、運転手は口笛を吹いた。
 長く続く下り坂を走り続けた。ようやく見つけた一軒家で電話を借りた。通信を傍受されないように回線を切っていた。秘密の番号を入れると、瘤川教授が出た。
「ドゥラスノが死んだ」
「メキシコのルートが藻屑となりましたか。恋一郎殿はどう思うでしょうな」
「相変わらずな奴だ。処分は受けよう」
「そんなヒマはありません」
「仕事か?」
「点数稼ぎにうってつけの仕事があります。日本に戻りなさい」
「いまさらあの国で何をするんだ」
「如月博士を殺しました」
「だから」
「私たちは如月博士の妹をマローダーに保護させました」
「奴なら上手くやる。俺が行く必要はないだろう……」
 誰が見ずともラポールは頷いた。
「……この後に何が起こるかわからない。紅室長のお考えです。一度本社に戻りなさい」
「社長の鷹揚さを引き継がないもんかね」
「……急いでください」
「ふん、分かったよ」
 ラポールは電話を切った。
 次の日の夜、マローダーは一人のホス狂いに破壊された。その時、ラポールは空港に降り立ったところだった。
(続く)

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