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あなたに贈る、「好き」を消費していた頃の、偽りの恋の話

こんにちは、カタカナと申します。
お恥ずかしながら、今回は恋愛関連の話です。

30年近く生きていると、それなりに恋をしてきました。天にも昇るほど幸せな時から、この世の底が見えるんじゃないかと思うくらいの絶望に襲われる時もありました。

これはある意味、反省譚です。今だから綴れることです。どうかお付き合いください。

1. 愛の花束を付き返された、春のこと


私がはじめて男性ときちんとお付き合いをしたのは大学生の時でした。
どちらから告白したかとか、もう覚えていませんが、「恋人」という存在が出来た私は、その存在の心強さに、ただただ驚嘆しました。

私は彼に、私のどんなところが好きか聞くのが好きでした。返答はその時々で、「表情」だったり「優しい所」だったり。そのひとつひとつを集めると、自分のことが嫌いだった私は、自分の価値を取り戻せる気がして、幸せでした。
ある時、彼は「君の全てが好きだよ」と答えました。自己否定しかできなかった私が他人からはじめてもらった、私の存在をまるっと肯定する言葉。私はそんな風に私を愛してくれる彼が大好きで、二人はその時、幸せだったと思います。

けれど、段々、私達はすれ違い始めてしまいました。私は「君の全てが好きだ」と言ってもらったばかりに、わがままに振る舞い過ぎるようになりました。また、自分が満足するために、彼から「好き」を引き出してしまいすぎるようになりました。
私は彼を大好きでした。けれど、幼くて愚かで、自分を愛することすら知らない私は、彼を愛する方法を知りませんでした。ただ「好き」という彼の想いを受け取り続ける日々。そして「好き」という想いを、彼に毎日プレゼントすることが、私の生きがいでした。それを受け取った彼の気持ちなど、わからないまま。

ある日、彼は苦しそうに私に告げました。
「別れよう。このままじゃ僕は、毎日君のことを好きじゃなくなっていく」

私は泣いてすがりました。ダメなところがあれば治すから、もう一度、愛してと。しかし彼は首を縦に振ることはありませんでした。

彼とお別れをしてから、私は途方にくれました。この両手に抱えた「大好き」は、どこにやればいいの? あなたはもう受け取ってくれないの?

「私のすべてが好き」という言葉は、嘘だったの?

私が嫌いな私を「好き」と言ってくれる人がこの世界にいるんだ、という経験は、私の生きづらい世界に希望を与えてくれました。だからこそ、それを失った時、私は空っぽになってしまいました。

「好き」なんて、いずれは消える嘘なんだ、と絶望しました。

2. 3年間、枯れた恋と共に、私の時は止まっていた


「好き」なんて、いずれは消えると思いながらも、一度は「好き」で満たされてしまった経験が忘れられずにいました。ならばその「好き」を見つけて、消えたらまた別の「好き」を得ればいい。「好き」が消耗品なら、どんどん消費し続ければいい、という極端な思考に陥りました。

私は男性とお付き合いをしては、別れてを繰り返しました。どんな風に振る舞えば好きになってくれるかしら、この人はどんな「私」を好きなのかしら。ある意味マーケティング、ブランディング調査のような気持ちで、冷めた気持ちで恋愛をしていました。
はじめは好きになってくれても、本当の私をさらけ出したら、「思っていた君と違った」とフラれてしまう。それすら織り込み済みでした。だって「好き」なんて嘘で、いつか終わるから。そんな気持ちで私は彼らとお別れをし、別の彼を見つけては、恋という名の「自分の存在肯定ごっこ」をしていました。

そんな期間を、私は3年ほど過ごしました。「好き」を消費し続けて、私はもう疲れ切っていました。

3年経って引っ越しをすることになり、友人に手伝ってもらいながら片づけをしていた時のこと。私の家には、初めてお付き合いした彼との思い出が詰め込まれた、秘密の引き出しがありました。
季節は何回も回ったのに、捨てられなかった大量のレシート。日付は、彼とデートした日々で止まっていました。彼からもらったガムの包み紙、買い物をした時の紙袋、プレゼントしてくれたぬいぐるみ、片方失くしてしまったイヤリング。
すべてゴミ袋に入れました。ゴミ袋に詰め込んだそれらは、どう見たってゴミでした。私の唯一の本当の「好き」だったはずなのに
私が彼のために用意した「好き」の花束は、もうとっくに枯れているのに、いつまでも抱え続けていたんだ、と気が付きました。この枯れた恋を抱え続けている限り、私は本当の「好き」を誰にも与えれないんだ。

彼の思い出の詰まったゴミ袋と一緒に、私は3年間、ずっと抱えていた彼への「好き」を手放しました。

そこに残ったのは、「好き」をねだり続ける私ではなく、「好きを与えたい」と思えるようになった私でした。

3. 何度だって、愛の花束を贈ろう


それから私は、「好き」をもらいたいではなく、「好き」を与えたいと思えるような人と恋をしました。やはり恋はいつか終わってしまうものでしたが、不器用ながら、私はだんだん、人を「好き」になることの本当の意味を理解していきました。

空っぽの心を埋めたり、存在を肯定するために、恋を利用してはいけないことを学びました。恋に泣いた数だけ私は人の心を知りました。泣かせた分だけ、自分の愚かさを知りました。数々の恋は、私の人生を彩りました。

「好き」とは、相手のことを必死に考えること。相手を幸せにして、自分も幸せになること。そんなことを、私はたくさんの人に教えてもらいました。

こんな思いをするくらいなら、恋なんてしなければよかったと思ってしまう、そこのあなた。そうしたらこんなにも、失う悲しみをあじわうことはなかったのにと。
大丈夫、あなたが「好き」になる、そしてあなたを「好き」になる人は、必ず現れます。だから、失った彼のために用意した「好き」の花束は手放してしまいましょう。空っぽになることを恐れずに、自由になりましょう。

こんなことを気づけたのは、あの日、私の「好き」の花束を付き返してきた彼のおかげかもしれません。あの時ああだったな、こうだったな、と初めてお付き合いした季節が巡ってくるたびに、ほんの少しだけ思い出します。

そして私は今、「愛」の指輪を付けた手で、別の人の手を握り、幸せに歩いています。

だから、恋をすることにおびえないで、生きて行こうね。

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