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「女性」だから得られる未来の可能性を、私は守りたい【卵巣嚢腫】

こんにちは、カタカナと申します。

30歳前後、東京都在住の、PRや編集の仕事をしている人間です。
この「豊かなのに、なんだか、生きづらい世界」を生き抜くための、生存戦略を少しずつ、noteで綴っています。誰かの役に立てればいいなと思いながら。

今回の記事は、主に女性に贈るメッセージです。
私が20代前半に、卵巣嚢腫捻転という病気になった時のお話です。

1. 男に生まれたほうがよかった

男性よりも男勝りな仕事ぶりを発揮していた、20代前半のことです。
まだ若く、彼氏とも特に何も考えずに付き合い、いつか結婚したり子どもを産んだりする日が来るのかもなー、とどこか他人事のように自分の未来を捉えて。でも今はとにかく、目の前に迫る納期のプロジェクトを進めることが、人生の第一優先で、私は幸せに生きていました。

その頃は、生理が来ることや、PMSでパフォーマンスが下がることや、感情的になってしまうという、自分の中の「女性」的な部分が、私はとても嫌いでした。いくら頑張っても、体力のある男性に敵わない歯がゆさに、「私、男に生まれたほうがよかった」とぼやいたりもしていました。

そんな日常を過ごしていたある日のこと。その日は大切なプレゼンの日で、私はバタバタと準備をしていました。しかし次の瞬間、私はオフィスの真ん中で、急激な腹部の激痛で倒れ込みました。
(あ、これはまずいヤツだ)
本能的に悟り、事務のお姉さんにお願いして救急車を手配してもらっているところに、蒼白な顔をした後輩の営業男性がやってきた。あの、プレゼン、どうすればいいですか。
咄嗟に私は、男性に弱みを見せたくない、と意固地になり、

「なんとかします、電話で繋いでください…」

かくして、救急車で運ばれながら、私は携帯を片手にプレゼンのノウハウを彼にひたすらレクチャーするという、間抜けなことになったのです。

搬送されてすぐ、「卵巣嚢腫捻転」という診断が下されました。そして緊急手術が決まりました。
すでにベテランの婦人科の医師の勤務時間を過ぎていたようで、先生に「開腹手術になると思います」と神妙な顔で言われました。けれど、看護師さんや先生がわざわざ、帰宅途中のベテラン医師を捕まえて交渉をしてくださったそうで、私は「腹腔鏡手術」という傷跡の残りづらい手術をしていただけることになりました。

看護師さんに手術に向けて下の毛を剃られながら引継ぎのメールを打つ、という間抜けな姿になりながら、私は未だに、ことの重要性をイマイチわかっていませんでした。「本当に先生がいらっしゃってよかったですね、女の子ですからね」と、看護師さんに言われても、ピンとすら来ず。だって傷跡が残っていたって、仕事に支障はでませんもの、と本気で思っていました。

2. 「大切なもの」を一番大切にしていなかった、私


手術は無事成功して、二日目から徐々に立つ、歩くなどのリハビリを始めました。これは順調に回復している、つまり早々に仕事に戻らなきゃいけない……。積み上げられたタスクを思いだし、ちょっと憂鬱になりながら、点滴棒を支えに私はとぼとぼと歩きます。お察しの通り、私の頭の中は「仕事」でいっぱいで、それ以外のことは一切思考できない状態でした。

その思考に変化が出たのは、三日目に先生のカンファレンスがあった時でした。

「捻転してすぐの手術でしたので、どちらの卵巣も守ることができました。卵巣が片方、半分のサイズになっていますが、妊娠は可能です。確率もまぁ、下がりませんよ。手術跡も横に小さくすることができました。帝王切開もしなくて済みます」

卵巣を守る。妊娠の確立。帝王切開。

呆然としている私には気づかないまま、先生少し照れくさそうに、冗談ぽくこう続けました。

「傷跡は下の方の、見えづらい位置にあります。だから水着だって、着れますよ。まだ若い女性ですので、本当によかった」

その先生の言葉で、ぶわっ、と体中を色々な想いが駆け巡りました。

私はこどもを産むことができない体になるかもしれなかったんだ。水着を着ておしゃれを楽しんだり、人と愛し合ったり、結婚したり、子どもを授かったり。看護師さんが言ってくださった、「よかったですね、女の子ですからね」とは、こういうことだったんだと、愚かな私はやっと理解しました。
私の未来を、一番に考えてくれていたのは、とても優しい、私以外の人でした。

3. 「女性」として生きること

その夜、病室のベッドの上で、私は、自分が一番、何を大事にすべきなのかを、考えました。大切なものってなんだろう。

当たり前のようにやってくると思っていた未来。どうしてそれは、こんなにも簡単に失われそうになってしまうんだろう。今回はたまたま私は、優しい人たちに守られた。でもいつだってそう幸運は続かない。これからは自分で守らなきゃいけない。どんなに素敵な仕事も、私の未来のこどもを守ってはくれない。だって例え、運悪く私の未来がひとつ、途絶えたとしても、社会は回っていくのだから。

子どもが産めるのは、あたりまえだと思っていた。家族を持てるのも、いつか実現する未来だと、勝手に想っていた。
けれどそれは、自分で守らなければならないものでした。
卵巣嚢腫は、何年もかけて大きくなっていくもので、定期検診をちゃんと受けたり、生理周期を数えたりと、日々のケアでもっと早期に気づけていれば、体を切ることなく治療が可能だと聞きました。思えば文句ばかりで、自分の女性としての生理現象のことを、真剣に向き合ったことって、今までありませんでした。

退院した日から私は、男のように張り合って仕事をして、女じゃなければよかったと愚痴を言うのを、止めにすると決めました。生理で体調が悪くなることも、感情が抑えきれなくなることも、男性と比べて体力がなく体調を崩してしまうことも、すべて私は受け入れることにしました。逃げずに向き合うことにしました。

「女性」だから得られる未来の可能性を、私は守りたいと決意しました。

それを教えてくださった、優しい人への感謝を込めて。同じように、自分の女性的な生理現象を疎ましく思い、現代社会を戦う女性たちへ、伝えたいメッセージです。

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