41~45全公開まとめ記事 カタカムナが解き明かす 霊感や言霊 万物は粒子性のある現象~言葉翻訳の勘違いが生んだ カタカムナ物理と現代物理 文化文明の真実

41.カタカムナが解き明かす 霊感や言霊 万物は粒子性のある現象
42.カタカムナが解き明かす 日本語 正反対称歪み性
43.カタカムナが解き明かす 球体面上 正反対称の歪み性
44.インスピレーション 直感は最大の天からの贈り物 免疫力・元気・歓喜
45.言葉翻訳の勘違いが生んだ カタカムナ物理と現代物理 文化文明の真実


41.カタカムナが解き明かす 霊感や言霊 万物は粒子性のある現象 


現代科学では説明できないけれども厳然として存在する、霊感や言霊などに対する神秘的な現象のこと、現実も存在するという事実があることには間違いがありません。

このことに関するカタカムナの見解を書いていきます。

私たちは、直感力の劣化とともに思考力が進み、その産物として神秘的なものに対する説明のために成立したもの、宗教思想、神秘思想、形而上学などのことをカタカムナ人がどのように考えていたのかということについて知っていただければと思います。

カタカムナ人の直感物理によると、現代人には神秘としか考えられない現象事実も、正当に解明されることが考えられます。

そして現代人の中にも、そのカタカムナ時代の感受力を持つ人々がなお存在し、その能力によって現代科学知識による以上の要件や治療や様々な非科学的な事実が表れているのだと思います。

カタカムナ人のアマウツシの研究が進めば、それらが従来のように、一部の信じる人たちの間だけに通用する、非科学的迷信とみなされることではなく、宇宙空間に偏在するアマ、アマナの対応と言う上古代人の直感物理の導入によって脱皮できると思われます。

アマウツシと言う言葉を説明する適当なものがないので、直感物理の言語をそのまま使うのですが、偏見なしに受け取れば、真に重宝で素直な表現であることが分かります。

さて、四相の相似象の種類は無限的に多いのです。

アマウツシの種類に属する現代科学では、電磁波と総称する物理量においても、不可視光線、可視光線、熱線、超短波的電波の四相に区分されています。

電気的現象も、電気素量を担う電気粒子に、旋転の向きが 正反となる電子対があって、正孔対の四相の電気粒子が存在するのです。

物体の状態にはすべてのものに四相があり、直感物理の言葉で言えば、アマ、タカ、マカ、ハラの四相です。四相については別の日に詳しく書いていきます。

今回知っていただきたかったのは、現代科学のさらなる発展のどこかで、直感 脳が開き始めると見えない物へのさらなる認識が高まり、霊感や言霊もカタカムナ潜象、哲物理学において理論的に説明できる時代がやってきますし、またそうならなければ人間が淘汰されることのなると考えているからです。


42.カタカムナが解き明かす 日本語 正反対称歪み性


日本語における正反対称と歪み性の相似象について書いていきます。

カタカムナ時代より受け継がれている私たちの日本語は、そもそも彼らの直感物理の援用になるものでしたから、今日においてもなおその世界観を最もよく表す相似象を示しています。

また、基本的な第一のパターンであるところの、正反対称性とその歪み性の例を誰でも簡単に思いつく言葉の中から、少しばかり例をあげてみます。

一般に現代の人は、言葉を概念だけで使っていますが、概念の元には観念がありさらに、その元には思念がありました。

とりわけ日本語には、あいうえお四十八文字の声音とそれぞれの基底の音の思念があります。

現在通用している言葉の概念だけではなく、それぞれの音の思念の意味を考えはしてみると、上古代人の心をたどることができます。

その思念は、全て正反で互いに反対の意味を持っていました。

そして、その音が二つ三つ連なって言葉になった今日、伝わっていないものもありますが、確定した正反の互いの反対の意味と正反の対称の歪みによる、様々な不確定性の意味があったのです。

つまりそれはどこまでもアマの相似象だったのです。

その例として根本、思念の音が頭について、後ろにつく文字が変わることによって、必ず正反対称の反対意味が含まれる言葉がたくさんあります。

その全てをここに書く事はできないので、一部のみ例を挙げて日本語の不思議というものを味わってください。

音に漢字を当てはめることによって、その正反対性がかなり明確にわかるという面白さがあります。

まず幾つかをあげてみましょう。

ウナズク(肯定 ) ウタガウ(疑う)
カシ(貸し) カリ(借り)
ケダカシ(尊) ケガレ(穢れ)
サカル(盛) サビレル(寂)
タツ(立) タオス(倒)
ツクル(作) ツイヤス(費)
トム(富) トボシ(乏)
 
ニギル(握) ニゲル(逃)
ネガウ(願) ネタム(妬)
ハジメ(始初) ハテ(果)
マコト(実) マヤカシ(偽)
ミサオ(操) ミダラ(淫)
ムクイ(報)  ムダ(徒)

このような感じです。

あげていくときりがないのですが、この反対語の組み合わせだけでも、一つの辞書が出来上がるくらい、日本語は複雑で面白いものです。


43.カタカムナが解き明かす 球体面上 正反対称の歪み性


球体における正反対称の歪み性について書いていきます。

つまり立体についてです。

地球の表面に対する現象として現れる、朝昼夕晩の変化や、春夏秋冬の変化は、球面上では正反対の対象の象で現象されていることが、何人も知る周知の事実となっています。

しかし、その正反対称の現象において、どこに正反の歪みがあり、どのような歪み現象が起こるかについては、気象学でも重要な研究課題でありながら、実は正確に解明されてはいないのです。

これが時々予報がしっかりあたらなくって予測反する事態が発生する根拠です。

しかし今は、衛星の発達によってかなり正確に予測ができるようになって、台風の進路や雨の強弱などの被害を予防することができるようになりつつあります。

しかし、私たち現代人は時間や空間量が正反の対称の形に広がりを持つという物理を最近なるまでは知りませんでした。

そして今なお時空量の対称的広がりにおける歪み現象についてはほとんど無知に等しいのです。

近過去にアインシュタインが、物質による時空量の変化について指摘しており、最近では時空量の相対性に関わる問題として、実測数値で明示されているこの時空量の変形性(デフォルム)は歪みを発見したことによって起因しています。

しかし、まだ一般にはその価値は認識されていなくて、宇宙の現象は正反対称の構造で成り立っている。

四相の相似象が生起される、根本は正反対称の歪み構造であるという点を忘れて、正反対称のみを追いかけているというのが現状です。

超古代の直感物理が原始量アマから現実の現象に至る編纂、変遷、過程について対向発生、互換重合、微分統合、静動極限、循環、周期、文化還元等の、様々な相を感じてアマタカマカハラの悟りを述べていることと比べて、私たちはまだ正反の対象の歪み姿勢に原型があることを把握することができていません。

物事に表面に現れた姿形は、誠に様々ですが、これは全てこの基本パターンから出ているのです。

一般の人々は学問的にも、日常的にも、現象に現れた面のみとらわれてものには正反の対称があること、目の前にある正の面には必ず反の面が考えられるはずであるという事実を認識しないために、問題の適切な解決は得られないのです。

まして歪みということにはそれを事実としては見ていながら、それがそれほど重要なポイントであるとは気づいていないのです。

例えば、電気現象にプラスとマイナスがあることを知っただけでおしまいではなく、その奥にさらに正反の電気があり、その奥に始元のアマがあり、なおかつ正反は様々に重合互換して歪み性を持つということまで知ることによって、人は初めて謙虚になり得るのです。

このような相似象を追求することによって人々の物理認識は修正脱皮し、新しい人生観、世界観にも発展すると思われます。


44.インスピレーション 直感は最大の天からの贈り物 免疫力・元気・歓喜

 

もう一度直感カタカムナについて、特に直感を中心に再考して書いていきます。

動物や植物の多くは天変地変を予測します。

火山の噴火や地震の発生や異常な天候気象の変動を予知して、生存のため合理的な行動をする機能を持っています。

ところが、現在の人間にはそのような予知能力は大半の人にありません。

そこで予知がよくできる人たちの予言などは華々しい新聞やテレビや雑誌などの話題などに登って、よく当たる人などはヒーローであることも多いです。

なぜなら、現在の人間の予感機能は、退化し又は麻痺しているからです。

カタカムナの直感文明や文化を開発した我が国の上古代の人たちは、おそらく健全な予知機能の体覚に基づいて、人類最初にして最大の文明を獲得していたと思われます。

その文明は、天然や自然に関わる高度の物理を直感によって把握したものであり、その文化とは直感物理に合理した生活技法、特に学術的技法のことです。

戦後の焼け野原において、奇跡的にこの八鏡文字が日本の国土において再び復活したことは、この文明が行き詰った疫病や天災や地球の汚染や様々な問題点を抱え、現時点において 何と言う幸いだったのでしょうか。

もし、この文明の再来がなかったら、天然自然完全循環と言う、人間のあるべき姿のはっきりとしたイメージを作ることができなくて、目指すべき方向が今ほどはっきりとはしなかったはずです。

カタカムナ文明は、過って実在し、なおかつこの地上においてその技術もその技法も現実化していたもので、最大の循環効率を目指すことができるという知恵を思い起こすことができる幸せを私達は授かりました。

この大きな幸を感謝して受け取り、それに向かって新しい技術、より快適な対人関係を 庶民を含むすべての人が感じることができる、すべての人間の平和と幸福に向かって感謝して進むことができるのが日本人に課せられた大きな使命であると考えています。

一人でも多くの、特に理系の能力を持った人たちが、新しいフリーエネルギーや新しい食生活の基準や、生かされている事、平和の感謝、イノチの重さ、見えない物への畏怖、輪廻転生など、1万2000年前に持っていたその直感を、正しく覚醒させ、次の世代へまた世界へ伝える使命を一日も早く気づかなければならない時は来たと思います。


45.言葉翻訳の勘違いが生んだ カタカムナ物理と現代物理 文化文明の真実


文明、文化という言葉に対して少し整理して書いていきます。

現代文明という言葉は、英語で言うシビリゼーションの訳のように用いられていますが、元来、シビリゼーションといった名詞形容詞には日本人が考えている文明の意味はなく、都市化、近代化などの方が正しい日本語としての意味です。

そこで、正しく訳し変えてみたとしても、所詮日本には欧米人が考えた都市にあたるものは、日本には発生しなかったのですから、日本人の生活体験にはなかったことで、ピタリとした日本語訳は不可能なのです。

しかし、日本人は社会的訓練が欠如しているとか、公徳心がないという一部の非難は当たらないので日本人の間には「世間を騒がした」とか「世間様に申し訳ない」とかいう通念が強くあり、また日本独特の「祭」というものも決して単なる原始社会のなごり的なものではありません。

日本人の世間への考え方と、西洋人の市民社会という考え方の相違は、それこそ民族発生以来の生活共同体意識の根源に関わるものですから、一方的に西洋人の尺度で測りきれるものではないのです。

しかし明治維新の知識人たちは、このシビリゼーションを文明という言葉に当ててしまったので、またカルチャーも工作、耕作、教化、教養などの意味の欧米語を文化という言葉に当ててしまったので、文明文化という言葉は明治以前からの日本語として通用し、元来中国語の言葉であった通念があり、全く異なるものです。

明治以前に使われていた文明とは「文の明なるもの」という聖人の教えに基づく最高の哲学的意味を持つ言葉でした。

そのような、文明の状態に化していく過程の様々な方法を、文化という言葉で表していたのです。

厳密に言えば、文明あっての文化であり、何にでも簡単にくっつける言葉ではなかったのです。

それを、日本人はこの中国の言葉を2000年余り前に輸入して、日本語とし、次に西洋の言葉の訳として、都市化、近代化の意味にも同じ音と意味を当てたために、二重三重に意味がズレて重なり、明治維新の「文明開化」とか戦後の「文化国家」「文化鍋」などのような、いろいろなところで乱用された使い方は、どっちつかずのあいまいさを作り出して、現代人一般は自分勝手な気持ちで文化文明という言葉を使うということになってしまったのです。

こうした言葉一つをとってみても、その成り立ちや語意をたどると、民族の様々な歴史の経緯が現れてくるものです。

私たちは、カタカムナ文明こそ今日までの世界の人類の歴史の中でこの文明という言葉の本義に最もふさわしいものであり、この文献に記されている生活技法こそ、真の文化という言葉の本義にふさわしい内容であると思っています。

なぜなら人類の真の文化文明の姿とは、個々の技術、例えば絵画や織物や色々な道具などの発達にあるのではありません。

もちろん飛行機やテレビ、コンピューター、顕微鏡などのあるなしによるものでもありません。

肝心なことは、我々の生命の発生や、根源に素直な直感を持ち、それによって周囲の宇宙の森羅万象に関しても、正当な認識を持って刻々に適切な判断行為がなされることでなければならないと思うからです。

要するに真の文明とは、そのような社会の基本的なあり方を証するものであり、文化とはそのような文明に基づいて実施される生活の技術や方法であり、同時に人々をそのような文明に向かって訓練し育くむという過程全体を言う言葉なのです。

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