加澄ひろし|走る詩人
自然をテーマに書いた詩の作品集です。
宮崎を舞台にした詩の作品集です。
イタリアを舞台にした詩の作品集です。
東京の多摩・武蔵野地域を舞台にした詩の作品集です。
日が昇り、風は温み、凍えた指が弛緩する 声もなく梢が震え、芽吹きの気配が息を吐く 干乾びた、褐色の殻を、柔らかな鼓動の兆しが ひき裂いて、沈黙の呪縛を解き放とうと うごめき、密かな企てに疼いている 朝もやが、遠い山並みを包んでいる 川面を、雪解けのしぶきが駆けおりてくる 河口から、真潮の匂いが満ちてきた 冬鳥は、すでに旅立ちを終えて 冷たい大地は、脈の火照りを抱えている 萌芽を待つ幼な子が、産毛に汗を滾らせる ためらいなく、剥き出しの素顔を晒すだろう 日の出は、日暮れを指
水底をさらっている 腕づくで 力まかせに 川床をかきまわし 濁りを掬って 土手のむこうに放り出す 喉につかえた 焦りも 気がかりも もろともに 濁りの渦に絡めとり 波打つ淀みに しのび込ませて 淵に宿す 忘れられた約束は 声もあげず さらわれ 濁りにただよう おびただしい屍が 何事もなかったかのように 血でよごしている ©2024 Hiroshi Kasumi
川面は口をとじたまま ふるえるもなく ゆらぐもなく やましさも、うしろめたさも みつめるまま 滔々と あせりも、しらじらしさも わすれて 見あげている 青々と、つめたく 淵のひなたを突きぬけて さわぐもなく ほどけるもなく つかの間、眺めをかかえたまま 手ごたえなく たいらな淀みを通りすぎる 羽をほして 瀬にうつむく姿だけ ため息に くるまって ©2024 Hiroshi Kasumi
裏庭の 柿の木に かぼちゃの実が なっている いくつも 大きな顔で ぶらりぶらりと 吊られている こっそりのばした 縄のはしごで 節くれだった 背中をのぼり ちゃっかり おぶわれて ここが居場所と 決め込んで 空に浮かぶ くろい影 畑を抜けでた はぐれ弾 きわどく繋いだ 蔓にすがる 約束のない みなし児だ しがみつかれた 柿の木は あり得ない 重みに動ずるもなく 採りのこされた あかい実の あまく熟した ほとぼりを ひっそり かざしている 場ちがいな 同居の宇宙 突き
いちまいのトンボが 土手の地面に堕ちている 翅をひらいて、飛んでいたときの 姿のまま、踏まれたまま 見ひらく眼に、空の景色を映しはしない 渇いた翅で、風に羽ばたくこともない 吹き晒されて、色褪せて 夢を追い、時を泳いだ記憶のまま 干からびて、朽ちていくだろう あてなく生まれ、泥にまみれ ヤゴの鎧に、生身をつつんでいた日々も 羽化に目覚め、痛みに耐えて トリの影に怯えながら 濡れた翼を、干して過ごした明け方も つぶれた背中に、染みてくすんで あの日、どこにいたのだろう 水
起こされた田に、水がもどりはじめる あぜ道が、緑の光を放ちはじめる ぬくみはじめた日の光 はじけはじめた鳥の叫び 風は、やさしく指にさわる 甘い優しさで手をなでる 草はらが、赤く黄色くまだらに染まり 沈黙していた固い大地が 手を伸ばし、ざわつきはじめる 鳥たちは、土を啄んでいる いそがしく尾を振り、首を振って 小さな餌食をすくい取る と、思いついたように翔びたち 一勢に、餌場を変える 目覚めの鼓動が駆け抜けてゆく 汗が、息吹きが 鼻をつく、胸を襲う こなたの里も、かなたの
真昼の田は 乾いている 涸れ果て 色褪せて かえってゆく 枯れた命の ともし火を 渇いた 喉もとに かかえて 刈れた 実りの跡かたを 風が 吹きぬけていく においも いろどりも 忘れて かたい傷あとを 舐めていくだけ 一面を 照らすひざし 熱くたぎらす 裾をたたんで 群れるカラスの そらの影にも 黙ったまま 身を横たえて かなしみも よろこびも 遣りようもなく 口をとざして 喉の癒しを 待ち侘びている 土手の 茂みのひなたは もう 密やかに疼いている ©2024 H
よりあざやかに よりまぶしく 凍えた風を 突きぬけて 木々のみどりも 川面のたいらも あかい実りも あせた枯れ木も はるかな放射に 剥き出しで かがやく海に 沈んでいる 浴びせかける 光のつぶて 雲を滾らせ ながめを揺らし 休みない 烈しい波動に あらがうもなく 背中をやいて 風のはざ間で ざわめきたつ 歓喜も悲哀も もろともに 照らし出された 大地のほとり 果てなく 切なく交錯する ひなたとひかげの 水ぎわで 裏腹に まばゆく刻んだ輪郭が 是非もなく 見上げている ©
雑木の錦が くすんで 藪のしげみの ところどころ ハゼノキが あかく アカメガシワが きいろく 袖を ひろげている ちいさな羽も おおきな翼も ふるわすもなく はばたくもなく たたずみ 虹の絵がらを 咲かせている 静んだ木立ちに 調べをうたい 渇いた河原に 波をそそいで そっと 灯されたときめきは 風が挟んだ みじかい栞だ つづられてゆく 季節のはざまで たちどまり 足踏みしている やがて 余白をはなれ 冬のページが めくられる ©2024 Hiroshi Kasu
風は息をとめている 日差しはさえぎられて 冷たく、声を殺している 無作法な壁の連なりが まなざしの行く手に立ちはだかり むこうがわに、あるはずの 空の眺めを切り取って 遥かな地平をあきらめてしまう みな、先を急いでいる 列をなし、群れをなして 入り組んだ迷路をくぐり抜け 思い思いの行き先に 憑かれたように、導かれて 長いエスカレータを上がっている トンネルの出口をさがして 列の行く方を疑うもなく 前行く影を、追いかけながら 背中の足音に、急かされている 穴の底を逃がれ出て
土手は枯れて、田畑は渇いて 霜の気配が、走りはじめた トンボの群れの賑わいも 蹴散らすバッタの逃げ足も きっぱり、わすれて 枝は、夏着を脱ぎ捨てて 艶めく実のりを、あらわにする 赤く、黄金に、黒く、真珠に 片向く陽に、かがやいて 錆びた手足を、ふるわせている 棒立ちのススキの穂が 一斉に、指を差す 背中をまるめ、おどりながら みな、通りゆく浮き雲だ 波立つ空に、湧いて流れて 逃れられない、むこうを目指し 危うい風に、すがっている ©2024 Hiroshi Kasu
わたしが子どもだったころ 森の木は、みな、年上だった 空の高みから見下ろして 鳥の声に、揺れていた 若木の枝が、まぶしく跳ねて 見えない向こうへ、手招きしていた 背丈を競う、高い木が 誇らしそうに、そびやかし もろ手をひろげて、笑っていた いつからか まわりはみな、年下ばかり 木々は、ことごとく入れかわり 森の息吹きは、あたらしい わたしは、ひとり、取り残されて 枝の手招きを、見おろしている 学校をでて、おとなになって 仕事に追われて、時間をなくし 暮らしに疲れ、こどもに
約束どおり、あらわれた君は あの頃と、おなじ表情で 変わらない仕草で、笑っていた 同じ庭の、同じ樹で育ったどんぐりが ちがう森に撒かれて、芽吹き 葉を繁らせ、花を咲かせ、実らせた あの頃と、おなじ声色で 知らせあう、あれからの想いの丈を うなずき合い、なぐさめ合って 口走る、長い時間の断片は ちがう森の、ちがう風に吹かれても ちがわない実りを、枝に残して 同じ庭の樹の、どんぐり同士 変わらない手触りを、確かめあい いつとも知れない、次を約束している 互いの、枯れはじめ
浜辺を、トンボが飛んでいる ガラスの翅を、震わせて 右へ、左へ、餌食を追って トンボの群れが、飛んでいる 岸辺に寄せる波の音 時に烈しく、時にやさしく 飽くことなく、叩きつづける やるせなく、ひびきわたる咆哮に 深い暗い水底で、空に焦がれていた頃の 陸を目指して、息を切らしていた頃の 潮の匂いが、懐かしい トンボの空を、燕が通りすぎていく 羽ばたいて、風を追いかけている 飛ぶことは、叶わなかった 海と分かつことも、許されなかった 言葉をおぼえ、涙を知った 怒りに目ざめて
明け方の、雨がやみ お天道様が、かえってきた 空は青く晴れて、雲の白さが眩しい 山すそに、降り立つ虹が 色鮮やかに、弧を描き 里の目覚めを、眺めている なぜ、人は果てない空を見上げて 答えを、さがしているのだろう 風の足音を、追いかけて 遠くへ、行こうとするのだろう 風は、虹の背中をとおりぬけ 雲を運んでいく、けれど 人はひとり、取りのこされて 尽きぬ想いに、もがくだけ 問いのこだまに、振り向きもせず 透きとおる、硝子の色を 飽きることなく、みつめている 虚ろな温みに、息
山のむこうが 燃えている 夕焼けに 真っ赤に 染まって 届くことのない 空の果て やるせなく 黙ったまま 青ざめた 雲の背中を焼いている 鴉の群れは ねぐらを目指し 月が まなざしを放ちはじめる 水辺の鴨は 声をしずめて 星が ひとみを瞬きはじめる 山のむこうを 越えてくる 冷たい 風が肌を打つ とどかない 空のむこうで 見とどけてきた 狂気の猛り 血にまみれた 恐怖の涙 森は 口をつぐんでいる 樹々が 枝葉を震わせている 日暮れは ほてりを奪いさる 川面は