見出し画像

自然科学における絶版本――色褪せない価値を放つ一冊との出会い|榎木英介さんが選ぶ「絶版本」

本連載は2022年9月に書籍化されました。

中村治+川上泉 共編『オーガナイザー』(みすず書房、1977年)

 日進月歩の自然科学研究(いわゆる理工系、医歯薬系)では、最新の情報こそ価値あるものとされ、大学院生は「論文を読め」と言われる。もちろん教科書的な書籍はあり、その分野を外観するのにはよいが、古い本、ましてや「絶版本」を参照することはない。古典とされる本はあり、その価値は失せないが、あくまで教養や歴史的価値という観点から評価される。歴史がある教科書的な本も、数年おきに改訂され、最新の情報が取り入れられていく。
 そういう意味で「絶版本」でエッセイを書くことは、「普通」は簡単なことではない。
 ところが、私は「絶版本」を歴史的価値という意味だけでなく、文字通り生きた教科書として参考にしながら研究をした経験がある。
 そんなありえないような奇跡の小話を書きたいと思う。

 時代は四半世紀前に遡る。それは私が理学部の大学院生だった時のこと。
 私はアフリカツメガエルという名前のちょっと奇妙なカエルを使って発生学の研究を行っていた。
 発生学というのは、生き物のたったひとつの卵が、受精を経てどうやって形作られていくのかを探る学問だ。私たち自身がこの発生を経て生きてきたわけなので、私たち自身がどうして「私」になったのかを知る学問だと言える。私はこの神秘的な現象に心を奪われ、当時発生学の第一人者と言われる教授の門をたたいた。

 私が発生学の世界に足を踏み入れた1990 年代は、発生学にとって革命的な時期だった。卵や発生段階の形態的な、あるいは簡単な移植実験などでしか分からなかった発生が、生化学や分子生物学など新しい手法の力を得て、タンパク質、遺伝子(DNA、RNA)といった分子のレベルで理解できるようになりつつあったのだ。
 私が入った研究室の教授は、発生学において長年謎だった発生の現象を引き起こす物質を発見したことで、ノーベル賞候補にさえ名前があがる方だった。研究室は活気にあふれていた。世界最先端の研究に加わることができた喜びを昨日のことのように覚えている。

 使った材料はアフリカツメガエル。アフリカ原産のこの奇妙なカエルは、「陸地」が不要で水槽の中で飼っておけるため、飼育が簡便であり、発生学の「モデル動物」として使われていた。ホルモン剤を注射すれば卵をいくらでも産んでくれるので、研究の材料である受精卵は毎日のように手に入れることができる。
 こうして来る日も来る日もアフリカツメガエルの受精卵を使って発生学の研究を行っていた。受精卵は細胞分裂を繰り返し「胚」と呼ばれる状態になり、次第にオタマジャクシになっていくが、その過程で胚から切り取った部分を組み合わせたり、胚に外側から物質を加え、形がどのように変わっていくかを見たりすることで、発生のある現象を明らかにしようとしていた。

 とはいえ、いくら生化学や分子生物学の時代と言っても、その基本は「形態学」、すなわち発生の様子を、実験によって胚がどのように変化していくかを、(光学)顕微鏡で詳細に観察することにあった。そしてその観察にどのような意味があるのかを知るには、受精卵や胚の形態的な変化が通常の場合どうなるか、そして実験を加えるとどうなるかを熟知しなければならない。いくら分子だと言ったところで、形態的な知識がなければ何の意味もなかった。
 そこで参考になったのが、発生における分子のメカニズムなどが知られていなかった時代の研究成果だ。研究室に置かれていた資料をコピーし、傍らに置きながら研究する日々の中で出会ったのが『オーガナイザー』だ。
 この本は、生化学や分子生物学が発生学に持ち込まれる以前の知見をまとめたもので、それまでの詳細な形態学の研究及び初期の生化学的研究を概説しており、形態学で知りうる全ての情報が詰め込まれた、研究室のバイブルと呼べる本だった。
 なお、本のタイトルであるオーガナイザーとは、「周囲の組織に作用し、特定の構造を誘導する働きをもつ胚の領域」とされる(『実験医学』2016年3月号 Vol.34 No.4)。受精卵が分裂を繰り返して胚になったあとに存在する部位のことで、胚の反対側や別の胚に移植したときに、秩序だった体を作り出すことができる。日本語では「形成体」と訳される。
 発見者はノーベル生理学・医学賞を受賞したシュペーマン。理科の授業で教わった人もいるだろう。1924年の論文発表以来多くの研究が積み重ねられてきた。
 しかし、1990 年代の時点で『オーガナイザー』は絶版となっていた。生化学や分子生物学が発生学の研究に応用される直前の1980年代、形態学的な発生学の研究は時代遅れとされ、「冬の時代」を迎えていた。そのため、読者も少なかったのだ。研究室に置かれていた一冊を頼りに研究を進めざるを得なかった。

 残念ながら本の内容の多くは忘却の彼方だ。しかし、顕微鏡を用いた卵の観察や実験だけでここまでのことが分かるのか、と感嘆したのを覚えている。顕微鏡しか武器がなかった時代の人々の観察眼に驚かされた。
 なんとかこの本を手に入れたい。そんな思いが沸き起こり、神田神保町の古本屋に立ち寄ったりしたものの、本を入手することはできなかった。そうこうしているうちに、私は研究室を離れなければならなくなった。
 その経緯は話せば長いのだが、一言で言えば研究が行き詰まってしまったからだ。なかなか出ない研究成果に焦りを感じつつ、時間ばかりが過ぎた空回りの日々を経て、私は大学院を去る決意をした。発生学で何も成し遂げることができなかったという苦い思いを抱きながら。

 その後、私は医学部に入学し、医師となった。医学にも発生学を研究するという道もあったのだが、紆余曲折あり研究は断念。病理医になり、癌などの病気の組織標本を顕微鏡で見て調べる病理診断が生業になった。
 病理医の仕事のなかには、病気で亡くなった患者を解剖することも含まれる。私の関心は、命の始まりである人の発生から、命の終わりである人の死に移った。発生学に悪戦苦闘した日々は遠く、『オーガナイザー』もセピア色の思い出アルバムの 1 ページのように感じる。
 しかし、私のなかには変わらない一本の「筋」がある。関心の対象は生命の誕生から死へ、正常な現象から病理へと移ったが、(光学)顕微鏡が商売道具なのは変わらない。組織や細胞の形を見る形態学がその中心にあるのも変わっていない。そして形態学だけでなく、遺伝子やタンパク質を用いて病気を診断する「分子病理学」や「ゲノム病理学」が不可欠になりつつある。それはあたかも四半世紀前の発生学のようだ。
 近い将来、顕微鏡で標本を眺めて病気を診断する必要はなくなる。病理医は不要になる。そんな声もちらほら聞かれる。しかし、四半世紀前の発生学のように、分子の言葉で生命を語るためには、形態学を知る必要がある。その意義は失われないだろう。たとえ病理診断という行為が変わっていったとしても……。

 今の仕事の意義やあり方を再確認する上でも、『オーガナイザー』を手に入れ再び読んでみたい。それが今の私のささやかな願いだ。

(写真=筆者提供、このエッセイを書き終えたあとネットの古書店で購入した)

今回の選者:榎木英介(えのき・えいすけ)
1971年横浜生まれ。1995年東京大学理学部生物学科(動物学)卒。同大学院に進学したが、博士課程中退。神戸大学医学部に学士編入学した。2004年に医師免許取得。2006年に博士(医学)。近畿大学医学部病理学教室医学部講師、兵庫県赤穂市民病院の一人病理医などを経て、2020年4月よりフリーランス病理医として独立。在野の立場から、科学技術政策や博士号取得者のキャリア問題、研究不正の問題などについて発言している。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表。著書『博士漂流時代』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)で2011年科学ジャーナリスト賞受賞。

連載「絶版本」について
あなたが、いまだからこそ語りたい「絶版本」はなんですか?この連載では、さまざまな書き手の方にそのような問いを投げかけ、その一冊にまつわる想いを綴ってもらいます。ここでいう「絶版本」は厳密な意味ではなく、「品切れ重版未定」も含んだ「新本市場で現在アクセスできない本」という広い意味をとっています。連載趣旨については、ぜひ初回の記事も参照ください。


この記事が参加している募集

推薦図書

人生を変えた一冊