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日記だから書けること|原武史さんが選ぶ「絶版本」

本連載は2022年9月に書籍化されました。

竹内好『転形期――戦後日記抄』(創樹社、1974年)

 一般に日記というのは公開されることがない。誰にも見せないからこそ、自由なことが書けるのだ。だから当然、永遠に明かされることのない本音が綴られている場合も少なくない。
 これが公開を前提とした日記だったらどうなるだろうか。普通ならば、他人が見てはまずいと思うような記述は避けるだろう。プライバシーに関わる話も手加減を加えるだろう。いずれにせよ、ある程度の加工はしなければならないと考えるはずだ。
 もちろん、刊行されている日記もある。だがそれらのほとんどは、公開を前提として書かれたものではない。思想家で中国文学者の竹内好がみすず書房のPR誌『みすず』に1962(昭和37)年から64年にかけて連載した日記などをまとめて74年に刊行された『転形期――戦後日記抄』は、数少ない例外に属する。
 竹内は60年5月、岸信介内閣による衆議院での新安保条約強行採決に抗議して東京都立大学を辞職し、再び大学に戻ることはなかった。日記を連載していたのは51歳から53歳までの間で、大学を辞めたことで自由な時間ができた時期に当たる。
 竹内自身も「公表するためには他人にわかる程度に加工せねばならぬ」と述べている。連載にあたっては2冊の日記を用意し、1冊は加工しない生の日記、もう1冊は加工した公開用の日記とするつもりだった。しかし連載を進めるうちに公開用の日記が主体になり、生の日記は空白になるなどおろそかになったという。
 本書が面白いのは、気難しそうな学者という竹内のイメージが随所で裏切られるからだ。大学を辞めて連日書斎にこもるどころか、夏は海水浴、冬はスキーのため長期間にわたって家を空けることが多い。特にスキーは50代になって新たに始めたというのだから、ただ驚くほかはない。63年2月にはなんと標高3000メートルを超える北アルプスの乗鞍岳への登頂を強行し、かろうじて成功するものの、スキーをしながら下山する途中で転倒して骨折し、しばらく入院生活を送ることになる顛末も事細かく記されている。この顛末を読むと、向こうみずな行動力がいったい何に由来しているのかをもっと知りたくなる。
 定収入が断たれた上、2人の娘の養育費もまだまだかかるのに、生活の不安は感じられない。まさに悠々自適といった余裕が感じられる。もちろん印税や原稿料、講演料などの収入があるためだが、それでも63年12月に家族でスキーに行くときには郵便貯金を切り崩している。また同年11月にサントリーの広告を依頼されたときには「七十字で一万円ですって」という妻の言葉に「おれが金で動くと思うか」といったんはどなったものの、たちどころに3案書いてしまう。
 戦後思想史に燦然と輝くような文章をいくつも発表する一方、大学を辞めてからは学界や論壇から距離を置き、大学に勤めていたら絶対に出会わない人々に出会い、自分の年齢や体力も忘れてやりたいことをやる。本書の最大の魅力は、論文や評論を読んでいるだけではわからない竹内の人間くささがあらわになっているところにある。
 本書には、竹内と同世代の武田泰淳のほか、竹内より12歳年下で、同じく60年に安保改定に抗議して東京工業大学を辞職した鶴見俊輔がよく登場する。本書のあとがきに当たる「跋」も、鶴見によるものだ。時には家族ぐるみでスキー場に出かけている。
 63年1月、竹内と鶴見らは新潟県の関山でスキーをしてから、上野まで普通列車に乗った。その途中、夕食の駅弁を横川の「峠の釜めし」にするべきか、高崎の「だるま弁当」にするべきかをめぐって2人の間に論争が起こったが、結局鶴見が折れて「峠の釜めし」に決まった。「転向だと私が言ったが、彼は転向説を認めなかった」。こういう話を大まじめに書くところにこそ、竹内好という人の真骨頂がある。
 一方、竹内と同じく吉祥寺に住んでいた4歳年下の丸山眞男の登場回数は、意外なほど少ない。63年6月、丸山が竹内の自宅を訪れたときには「みやげ話を三時間か四時間例によって一方的にきかされ、大いに愉快だった」と記している。丸山は英国のオックスフォードから帰国して間もなかったのでそれに関する「みやげ話」をしたと思われるが、「航空便を常用すると思考のテンポが狂うおそれがある」として62年8月まで飛行機に乗らなかった竹内にとって、「三時間か四時間」話し続ける丸山とはそもそも「思考のテンポ」が合わなかったに違いない。
 公開されるとわかっていながら、竹内は辛辣な人物批判をいとわない。例えば作家の平林たい子に対しては、「無智と進歩的文化人への反感だけでものを言う調子がますますつのってきた」(1962年10月9日)と皮肉り、ジャーナリストの大森実に対しては、「虎の威を借る東洋の偽君子国にふさわしい大記者だ」(64年3月X日)と誉め殺す。他方で文芸評論家の福田恆存に対しては、「私が書いたものを見ないで私について発言している」ことに我慢のならないものを感じていたが、後になって見方を一変させている(63年12月X日)。こうした率直な物言いからも、竹内自身がどういう人物だったかが伝わってくる。
 神保町の古本屋で購入して以来、私は本書を繰り返し読んだ。そして竹内にならい、51歳になる少し前の『みすず』2013年6月号から2年間にわたって日記を連載し、それらをまとめた『潮目の予兆』をみすず書房から刊行した。竹内を自らに重ね合わせるのはおこがましいと意識しつつ、『転形期』の「本歌取り」を気取ったつもりだった。しかし私はいまだに大学を辞められず、雑務からも解放されていない。竹内にあこがれながら、次の一歩を踏み出せていない。
 来年には私も還暦を迎える。竹内は66歳で亡くなっている。これからの身の振り方を考える今日この頃である。

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(写真=筆者提供)

今回の選者:原 武史(はら・たけし)
1962年、東京都生まれ。放送大学教授、明治学院大学名誉教授。早稲田大学政治経済学部卒業,東京大学大学院博士課程中退。専攻は日本政治思想史。著書に『〈出雲〉という思想』『皇后考』『大正天皇』『可視化された帝国』『皇居前広場』『滝山コミューン一九七四』『昭和天皇』『知の訓練』『「昭和天皇実録」を読む』『〈女帝〉の日本史』ほか多数。

連載「絶版本」について
あなたが、いまだからこそ語りたい「絶版本」はなんですか?この連載では、さまざまな書き手の方にそのような問いを投げかけ、その一冊にまつわる想いを綴ってもらいます。ここでいう「絶版本」は厳密な意味ではなく、「品切れ重版未定」も含んだ「新本市場で現在アクセスできない本」という広い意味をとっています。連載趣旨については、ぜひ初回の記事も参照ください。



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