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誕生を祝うまち|まちは言葉でできている|西本千尋

今回紹介する事例は、個人情報に配慮し、細部など一部変更しています。

 21時半過ぎ。秋の夜の空気にのって、彼女の声の響きが届く。息切れしている。彼女は妊婦で、はじめての子どもを産もうとしている。彼女はわたしにとって、急にあらわれた親戚の子のようでもあり、逆にとても遠い誰かのようにも感じる。1ヶ月半ほど前に出会い、それから2日か3日に一度ほどの頻度で、話すようになった。彼女と話すのはLINE通話だ。彼女は毎月の携帯代を支払うことができず、止められている。だから、駅近くのショッピングモールの無料Wi-Fiを利用して、かけてくる。電話を押し当てながら、彼女の背後にあるまちの景色を想像する。こちらの送ったメッセージも、いつ受信できているのだろう。なかなか既読にならない。3日半ほど過ぎると、おせっかいだなと思いながらも、すこし心配になってくる。LINEで通話するのはよほど緊急なときで、それ以外はチャットである。だから「電話で相談していいですか」というメッセージはとても緊張する。その夜も、そうして電話をとった。彼女は笑っていた。いつも、どんな状況でも、明るく報告する人なのだ。「にしもとさん、変なこと聞いていい? さっきいつもと違うのが出たんだけど、これ、おしるしかな」「うーん、もしかしたら、そうかもしれないけどわかんない。お腹の痛みはどう? 眠ることはできそう? 明日の病院まで待てる?」「うん、眠れるくらい」「鮮血がドバッと出たり、破水したりしたら、待たずに、必ずお医者さんに電話してね」

 彼女に出会って一緒に歩くようになってから、通い慣れたはずのそのまちの景色が変わった気がした。駅の階段、ペデストリアンデッキ[*1]、息切れをする彼女。彼女はもう大きなお腹で、自分の足元を見ることができない。少しずつしか歩くことができない。すぐたち止まる。歩道も狭いし、ベンチもないし、路上に腰掛ける石みたいなものもない。彼女はたち止まって、腰を押さえて、空を少し仰ぐ。駅の線路脇の飲み屋街はすっぱいような独特のにおいがした。その路地裏から、街路樹のわった通りへ抜ける。彼女の住むマンションは、その先を曲がった角にある。5階建てで、エレベーターはない。その部屋しかなかったから仕方ないのだが、階段をまた1段、1段上がる。そもそもこのマンションを建設するときに、いや、そもそもこのまちの都市計画を考えるときに、妊婦や子どもや障害者や女性や老人といった存在は、都市計画家の頭の中でどれくらい考慮されていたのだろうか。もっとちゃんと各々のプレイヤーが対等に存在していたら、その声が聴きとられていたら、このまちの姿はどんなものになっていただろうか。しかし、このまちは大規模な再開発・区画整理を経て、いまの形になった。
 きっぱり分けられるものでもないと思うが、「自助・自立」ができる人であれば、好きな時に好きな場所へと移動できるのだから、縦横に動き回れる大きなサイズのまちでも気にならないのかもしれない。でも、共助や互酬的な関係性、あるいは「ケア」を必要とするような人々にとっては、歩きやすい小さなサイズのまちのほうがいい気がする。彼女にとってこのまちは、直線距離にしてたった数百メートル移動するだけでも、15分から20分ほどかかるルートしか選べない。いわゆる碁盤の目状の都市計画は、歩行者が最短距離で目的地まで歩くことを阻む。設計主義の限界なのだろうが、それは「ケア」全般に対する配慮を欠いている。

 「うち、もう妊婦はええわ。もうええわ」一緒に歩いていると、彼女が息切れの中で、何度かつぶやいた。「ほんとうに頑張ってきたものね。もう少しだよ」私は答えた。

家を貸し出す

 わたしたちが出会ったのは、わたしの所属するNPOで家を貸し出したことがきっかけだった[*2]。そのNPOは住まいに困っている人々に家を貸し出す活動をしていて、それは「住宅セーフティネット制度」[*3]という国土交通省の仕組みを活用して行なわれる。公営住宅が増やされないいま、「まちづくり」分野のほぼ唯一の、貧困層向けの住宅支援となっている。残念ながらこの制度がじゅうぶんに機能しているとは言いがたく、いまだに安心で安価な住宅で安らげていない人たちや、そもそも家を貸してもらえない人たちがいる。十分な安全性を満たさない耐震基準で、日当たりも悪く、狭く、床や畳がかび、虫が出たり、駅からも遠い住まいしか得られなかったりする場合も少なくない。このような住宅問題や支援の必要については、主としてホームレス支援団体や一部の識者が声をあげているし、あげてきた。でも、わたしたち「まちづくり」分野の人間も、やっぱりもっと声をあげないといけないのだと、はっきり思った。こんなに空き家あまりなのに、安心した住まいを得られない人たちがいるのだから。

その先の支援へとつなぐ

 「うち、もういろんな人に騙されちゃって、誰を信じていいのか何もわからんようになった」彼女と一緒に、役所に同行したときのことだ。役所の担当者に「ここに来ることになった経緯を、自分で説明してください」と聞かれ、質問に答える形で、彼女はこれまでの経緯を行きつ戻りつ丁寧に話した。役所の担当者も丁寧に話を聞き、ちょっと不自然なくらいに席を外した。上長に何か確認をとっているのだろうか。その合間に彼女は小声で「うち、ちゃんと答えられてるんかな」と繰り返し聞く。「うん、大丈夫だよ。ちゃんと伝えられていると思うよ」自分がうまく説明できているのか、自分の話を信用してもらえるのか。何か支援を得ようとすると「ここに至った経緯」を何度も繰り返さないといけない。担当者はたいてい、表情を変えない。彼女がその場で語りを開いたのは、子と生き延びるため、行政サービスの申請をするためだ。それ以上でも以下でもない。彼女は実家を出てきてから、自分の親にもきょうだいにも頼らないでやってきて、行政サービスを申請するのも今回がはじめてだ。
 担当者が何度も何度も席を外したのはきっと理由があるのだと思うが、具体的にはまったくわからなかった。彼女は臨月の妊婦で、貯金もなく、手持ちの現金が200~300円、ご飯は毎日は食べられていない、5キロ先の病院の定期検診も歩いて行っているという状態だった。「まずはね、お腹にいらっしゃるお子さんと無事に……」担当者はそう繰り返し、帰り際にカップスープやレトルト食品が入ったビニール袋を1つ手渡した。「ありがとうございます」ふたりで頭を下げたものの、次にすべきことで頭がいっぱいだった。補助が出るまで、つまり実際に現金が支払われると決まるまで、最低でも今日から2〜3週間はかかる。それまでこのビニール袋1つでどうしたらいいのだろう。

  わたしたちが家を貸したあとにできたわずかなことは、行政支援へつなぐことと、それらだけでは解決できない問題の対処法を一緒に考えることだった。行政支援が受けられるまでの生活費について、陣痛がきたときの連絡のとり方について、不足する日用品の調達について、食料支援について。具体的なことになればなるほど、わたしたちの団体は、ツルツルと他の民間支援団体や専門家の皆さんとつながることができるようになった。わたしは安心した。彼女と少しずつ「こんな団体さんがあってね、こんな人がやってるんだ。わたしもお世話になっていてね」などと話していく。おむつ、子ども服、粉ミルク、おくるみ。すべて欠かせないもののように思う。でも、彼女はなかなかそうした、その先にある支援につながろうとしなかった。LINEのリンクを送ってみると「うん、落ち着いて読んで、今度やってみます!!」と返ってくるのに。う〜ん、わたしがおうちに持っていけばいいのかな。でも、本人が自分で申し込めたほうがいいよね。まだ、わたしの信頼が足りないからつなげないのかな。そうやって自分に話しかける。焦らないで、彼女から連絡が来るまで、待ってみよう。そんなふうにずっと迷いながら、1つずつ仲間たちと進めている。なんとなく、そっと、そばにいることのむずかしさ。

課題は誰の側に?

 ところで、不動産の貸し出し時にも、行政における申請時にも感じたが、彼女が課題を抱えているということになっているのだが、ほんとうにそうなのか、ということである。わたしたち自身は、こうした状況があることを問われないでいいのだろうか。もし、わたしたちの社会が「こどもまんなか」[*4]というのであれば、住まい、子育て施設、教育機関、商店街、公園や緑地などの再配置が必要だ。自宅から、保育園、仕事場、スーパーマーケットに、せめて1キロくらいで行けないと、ケアが成り立たない。ケア労働はその実、移動がとても多い。たとえ時給が高い仕事があるといっても、住まいから50キロ離れた都内の職場まで行けない(ひとり親家庭などは特にその傾向があるようだ)というケースは少なくない。超高層再開発のための規制緩和よりも、ケアのための再配置の制度改革が優先されてほしい。

 冒頭にも記したが、彼女は笑っている。どんな状況も笑って報告する。確かに彼女は笑っていて、明るく見える。実は、彼女の住まいについて相談するために最初に電話をくれたとなりまちの支援相談職員の方も、「ほんとうに人懐っこくて、明るい子」と話していた。わたしは彼女の生い立ちやこれまでの経緯を聞いたことがある。でもそれは、行政支援の窓口の椅子に座りながら、たまたま聞いただけなのであって、彼女がわたし向けに話してくれたのではない。彼女がどれほど脆弱な家庭環境で育ち、彼女がその家を支えようとしてきたか。もしかしたら、知らないでいいことだったのかもしれない。彼女が話したくなったら話せたらいいし、話せなくても、話さなくても、いいことだと思う。でも、せめていま、このまちで暮らしていくための家まわりのこと、子どもと彼女のご飯のことは、ここにやってきたんだから、ここでならなんとかなると、なんとかやっていけるかもしれないと、そう思えてほしい。そうやって安心して過ごせるように、仕組みを整えていきたい。

 雨の降る、ほんとうに寒い日の夜だった。「生まれました〜!!! フルコースでした〜号泣(絵文字)」なかなか赤子が降りてくることができず、最後は帝王切開の難産だった。雨の中をタクシーに乗りながら、返事をする。「よくがんばったね。ほんとうにおめでとう」

 子どもの誕生を祝うことのできるまち。子どもの声を聴くことのできるまち。子どもを育てる人の声を聴くことのできるまち。当たり前なのにすごく難しくなってしまった。

 「声」を聴くということ。聴かれない「声」に耳を傾けるということ。自信がないし、できないことのほうが多いのではないかと思う。でも忘れないようにしたい。寒くてこごえそうな雨の降る中、このまちに新たな産声が響いた。


【注釈】

[*1]高架で設置された歩行者専用通路のこと。交通結節点である駅への複数の交通手段を安全・快適につなぐ施設として、その多くはターミナル駅周辺の市街地再開発事業の一環で作られてきた。ペデストリアンデッキにより、歩行者は高架の駅から直接、隣接する商業施設などにアプローチし、鉄道で分断された地区を往来できる一方、自家用車、バス、タクシーなどの車は高架の下の広場で回遊するという風に上下で車歩分離型に分けられている。これは、歩行者と車両の平面交差を避けることで、安全性や快適性を担保しようとしたものである反面、障害者、高齢者、妊婦、子どもなどの歩行の上下移動の負担、さらには維持管理費、景観など、複数の面から都市計画における今日的な課題とされている。

[*2]筆者の所属するNPOではサブリース(元の大家からの借り受け)で家を貸している。具体的には現在、A市のターミナル駅半径1キロ圏内に50部屋ほど物件を仕入れ、(仮)大家になっているため、仕組みとしては対象を拒まず、すぐに物件を貸し出すことができるようになっている。この仕組みはA市で10年ほどアーティスト向けに家を貸し出してきた民間企業と連携して作ったものである。

[*3]通称「住宅セーフティネット制度」は、2007年に議員立法により制定された「住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅の供給の促進に関する法律」(2017年に法改正)に基づく。具体的には、法律等で「住宅確保要配慮者」を定め、「住宅確保要配慮者」の入居を拒まない「セーフティネット住宅」の(大家による)登録を促すという仕組みである。国は大家に対し、改修費用、家賃・家賃債務保証料の低廉化などの経済的支援を行い「セーフティネット住宅」数自体は増えているとされるが、実際、「住宅確保要配慮者」のうちどれくらいの人が入居・マッチングされたかは公開されていない。

[*4]2021(令和3)年12月21日「こども政策の新たな推進体制に関する基本方針」が閣議決定され、その中に「常にこどもの最善の利益を第一に考え、こどもに関する取組・政策を我が国社会の真ん中に据え」る「こどもまんなか社会」を目指すことが謳われ、その新たな司令塔として「こども家庭庁」の創設が決められた。現在、「こども大綱」の策定に向け、大臣などが、直接こどもや若者などから意見を聴くために、「こどもまんなかフォーラム」が開催されている。

著者:西本千尋(にしもと・ちひろ)
1983年埼玉県川越市生まれ。埼玉大学経済学部社会環境設計学科、京都大学公共政策大学院卒業。公共政策修士。NPO法人KOMPOSITION理事/JAM主宰。各種まちづくり活動に係る制度づくりの支援、全国ネットワークの立ち上げ・運営に従事。埼玉県文化芸術振興評議会委員、埼玉県景観アドバイザー、蕨市景観審議会委員、歴史的建築物活用ネットワーク(HARNET)事務局ほか。
大学時、岩見良太郎(埼玉大学名誉教授/NPO法人区画整理・再開発対策全国連絡会議代表世話人)に出会い、現代都市計画批判としてのまちづくり理論を学ぶ。2005年、株式会社ジャパンエリアマネジメントを立ち上げ、各地の住民主体のまちづくり活動の課題解決のための調査や制度設計に携わる。主な実績として、公道上のオープンカフェの設置や屋外広告物収入のまちづくり活動財源化、歴史的建築物の保存のための制度設計など。
以上の活動経験から、拡大する中間層を前提とした現行の都市計画、まちづくり制度の中で、深まる階層分化の影響が看取できていないこと、また、同分野においてケアのための都市計画・まちづくりモデルが未確立であることに関心を抱くようになる。2021年、その日常的実践のためNPO法人KOMPOSITIONへ参画。同年、理事就任。

連載『まちは言葉でできている』について
都市計画は「都市の健全な発展と秩序ある整備を図り、もつて国土の均衡ある発展と公共の福祉の増進に寄与すること」を目的に掲げ、新自由主義体制の下、資本の原理と強く結びつきながら、私たちの生活の場を規定してきた。そうした都市計画制度の中に、住民や市民が登場することはほとんどなかった。しかし今、経済成長と中間層拡大という「前提」を失った都市は、迷走している。誰のための都市なのか、それは誰が担うのか……。
「都市計画」はそもそも得体が知れない。だからこそ私たちは、それと対峙し、言葉で批判を展開するのに苦労する。しかも、言葉を飲み込んでしまえば、その沈黙は計画への「同意」を意味することになる。望んでもいなかったものが、望んだものとされてしまう。あまりに理不尽で、あまりに摩訶不思議な世界ではないか。
本連載では、「みんなのため」に始まる都市の暴力に屈しながらも抗うために、「わたしたちのまち」を「わたしたちの言葉」で語り直すことから始めたい。都市計画やまちづくりのもつ課題を「ケア」の視点からパブリックに開くためにも、「言葉」を探っていきたい。