強き美しき母に #10
よもぎでございます。やっと最終話です! 前回までのお話はマガジンから。
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お母さんのガンが見つかって2年が経過した。
胃の全摘出と卵巣の摘出を経て、現在も抗がん剤治療を続けている。
5年間再発がなければとりあえず一安心、らしい。
実際は5年どころか1年足らずで卵巣への転移が見つかり、幸先は微妙なのだけど。
しかし今は、痩せた体でパワフルに生きているように見える。
胃がないというのに、延々お菓子や果物を摘んでは食べているお母さんを見ると笑えてくる。
その食べ物はどこに入ってるの?
多分、「痩せてしまった体を取り戻さなきゃ」なんて考えていない。
残りの人生の一分一秒を、好きなことをして好きなものを食べ、好きな人と過ごしているだけ。
実家に帰るたびに片付いていく部屋。
「これお母さんの仕事用の手帳なんだけど。もしお母さんが死んだら、こことここに連絡してちょうだい。塾の生徒の名簿がこれだから、生徒の家にも電話かけて説明してね。」
元気そうに見えるけれど、いつかお母さんがいなくなった後の準備をしている。
「わかったよ。その手帳、わかるとこに置いといてよね」
死なないで、なんて言わない。言えない。
ずっとここにいたいのは、お母さんが一番強く思っていることだろうから。
ふと、私が専門学校に進学した時のことを思い出した。
中学を卒業して第一志望の専門学校へ進学を決めたものの、実家から遠いので寮に入ることにしたのだ。
他にもいくつか合格していた高校があったが、遠くても私はその専門学校に行きたかった。実家を離れることになるけれど、私には夢があった。
「本当に行くの?」
一度だけ、お母さんがそう言ったことがある。責めるわけでもない、最終確認のように、ぽつんと。
「行くよ。この学校じゃないとできないことがあるから」
大きなキャリーバッグに荷物を詰め、夢を追って実家を離れる日。
駅のホームまで見送りにきてくれた家族に手を振り、電車が動き出す。
家族の姿が遠くなり、見えなくなった時。やっと、涙が溢れた。
やっぱり寂しかった。電車の中で、ぼろぼろと泣いた。私が家族と離れて少し大人になった、15歳の記念すべき日。
今思うと、誰も「行かないで」とは言わなかった。
寂しいことも、心配なこともわかっていた。それでも誰も、「寂しい」とも「悲しい」とも言わなかった。
駅のホームで見送ってくれた家族は、みんな力強い笑顔で「頑張れよ」と言ってくれた。
その方が、私が安心して遠くに行けるから。
いつか、お母さんやお父さんも旅立っていく。
その時も、「行かないで」「寂しい」とは言わないつもりだ。
今までありがとう、お疲れ様。何十年か経ったら、私もそっちに行くから。待っててね。
居間のいつもの席は空けておくから。いつでも帰っておいで。好きだった醤油せんべいも置いておいてあげる。
きっと、見送る時に欲しいのはこんな言葉。
あの時力強く見送ってくれた家族を、私も同じように強く優しく送り出すための心の準備をしなきゃ。
私が生まれてから今まで、ずっと強かったお母さんへ。ずっと美しかったお母さんへ。
お母さんがガンと言われた時は、どう思ったかな。悲しかったかな。絶望したかもしれない。
将来私も、ガンになるかもしれない。
きっとその時はお母さんのことを思い出して、ふふふ、と笑うでしょう。「ああ、やっぱり私はお母さんの子だわ」と。
私の自慢のお母さん。
私はあなたの娘で最高に幸せです。
私のお母さんでいてくれて、ありがとね。
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私の日記のような連載に最後まで付き合ってくださった皆様、本当にありがとうございました!
いつかこれをお母さんに伝えられるよう、心の準備をしていきます。直接言うのはやっぱり恥ずかしいので、製本して実家に送りつけようかしら?
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