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強き美しき母に #2 見えないようにしとけよ

よもぎでございます。

連載第2話です。第1話はこちらから。

母親の胃袋って見たことあります? ......ない方が平和だと思います。

知らない方が幸せなこともたくさんあります。

今回はそういうお話です。ちょいと長いです。

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母の胃ガンが見つかって、あっという間に入院手術、抗ガン剤治療の予定が立てられた。
これは一刻を争うということなのかも。勝手に深読みをして固唾を飲んだ。

まぁ、おそらく病院が優秀だったのと、たまたま外科に一つベッドの空きが出たからだと思うけれども。


お母さんは交通費がかかるから帰ってくるなと頑なに言っていたが、やっぱり私は帰省することにした。

研究室には事情を話し、数日間の休暇をとった。
これが簡単にできるのが学生の特権である。


社会人の弟・智也は休みが取れず、入院中数回顔を見せたくらいだった。


入院して二日目が手術だったが、1日目に私とお父さんで病院に遊びに行った。
「お見舞い」と言うほどではない。だってお母さんは元気なんだから。

感染症対策のため病室で面会ができず、点滴を引きずって一階のロビーに来てもらった。


病院の服を着て点滴を持っているだけで、急に重病人に見える。

売店で3人分の飲み物を買って、空いていたテーブルについた。

明日の手術のことを話したが、やってみないことには何もわからないので、特に建設的ではなかった。

会話が一区切りした時。ふと思いついて、私はスマホのカメラを開いた。

「写真撮ろう。こっち向いて」

3人での写真を2枚。真ん中には病院着のお母さんがいつもの笑顔で映った。

今までこうして家族と写真を撮ることってなかったな。

友達との写真や、おしゃれなカフェのデザートの写真ならたくさん撮るのに。

なんとなく、写真を残しておかないといけないような気がした。


              *****


手術の時も、感染症対策のため病室には入れなかった。

入院している7階の談話室に私とお父さん、そして母の姉二人(私の叔母さんにあたる)が集まり、病室で手術の準備をしているであろうお母さんから連絡があるのを待った。

「マキ(私の母)は一番元気で長生きだと思ってたけど、何あるかわかんないもんだねぇ。」
「胃取るって、取った後どうなるんだべ。」


結局お母さんのガンは胃の内側ほぼ半分に侵食しており、胃を全部取ることになった。
胃がないので、食道から直接腸につなげる手術をするらしい。

事前情報はリサーチ済みだ。あとはお母さんが頑張ってくれるのを祈るのみ。


しばらくすると、お父さんの携帯にメールが入った。

『そろそろ手術室に行くみたいです』

お母さんからだった。


廊下に出ると、お医者さんと看護師さん数名に取り囲まれ、点滴を押しながら歩いてくるお母さんが見えた。


緑色の手術着を着せられ、髪は見慣れないツインテールにしている。
後で聞いたことだが、仰向けで手術をするのでポニーテールだと邪魔になるらしい。

「歩いて手術室まで行くんだね」

私は少し驚いていた。てっきりベッドに寝せられ、ガラガラと押されていくもんだと思っていた。

緊張している様子が微塵も感じられないお母さん。

「麻酔かけるのは手術室入ってからなんだってよ。」

すかさず叔母さんたちが声をかけまくる。

「今は? 体調大丈夫なの?」
「手術何時間くらいなの?」

お母さんはいつも通りの様子で、実家で毎年正月に見るおしゃべり三姉妹の一人となった。

「なんも全然元気よ。手術は3時間くらいって言ってたけど、麻酔覚めてから出てくるからちょっと長くなるかもね。」


そうこうする間にエレベーターが3階に止まり、手術室の前に着いた。

ここから先は付き添いの人は入れない。


マスクで顔が見えないが、真面目そうなお医者さんが初めて口を開いた。

「お見送りの方はここでお別れです。じゃあ最後に挨拶でも」

「じゃあね。行ってきまーす。」

「行ってらっしゃい。頑張ってね」

私とお父さん、叔母さん二人は手を振った。


みんな、少し不安げな笑顔を作っていた。

これから遠足に行く小学生と、それを見送る保護者みたいに。

余韻に浸る間も無く、お母さんは手術室の中に連れて行かれる。

分厚いガラスの自動ドアが閉まった。


自動ドアの奥、おそらく麻酔がかけられる処置室に曲がる前に、お母さんはこちらを振り向いた。


まだ千秋たちはいるかな、と確認するみたいに。


ガラス越しに目が合い、最後の手を振った。


               *****


手術の間は、さっきまでお母さんを待っていた談話室に戻る。
手術が終わったら呼ばれるらしい。

私は、お医者さんの「ここでお別れです」と言う言葉が引っかかり、嫌なことを想像しては落ちそうになる涙を堪えていた。


下を向いて歩いているのは私だけだった。

手術室に入ったのは午前10時。13時頃に終わる予定だ。

談話室ではまた他愛のない会話が始まる。
今度はLINEの使い方を教えてほしいと言われ、叔母さんたちのスマホを順番にいじる。


13時になった。まだ、呼ばれない。


13時20分。まだ来ない。

だんだんと時計を気にし始めるようになった。


そして14時半になった頃、「石田真紀さんのご家族の方」と声が響いた。

私たち4人が一斉に立ち上がる。

「手術終わりました。ご家族の方に説明などありますので、もう一度3階に行きましょう。」

                ・・・


さっきは入れなかったガラスの自動ドアの奥に案内される。

お母さんが最後に手を振って入っていった、処置室へ。

中に入ると簡単なテーブルと椅子が二つ。私とお父さんが並んで座る。

テーブルを挟んで先生が座った。

その向かって右側には、カーテンが中途半端に半分だけ引かれた処置室。


カーテンで見えないところに、手術が終わったばかりのお母さんがいるらしい。何やらお母さんに話しかけている看護師さんもいる。

半分だけ空いたカーテンの奥には腰の高さの台があり、金属のトレーに乗せられた何かをピンセットでいじくっている人がいた。

緑色の手術着の腕がピンセットで持ち上げたのは、鶏の皮のようなもの。


生白い膜のようなそれは重みがありそうで、持ち上げるとびよーんと伸びた。

それが何かはすぐにわかった。



お母さんの胃。



向かいにいる先生から「手術は順調に終わりましたよ」などと聞こえた気がしたが、私は金属トレーの上に広げられた母の胃袋から目が離せなかった。

水の中にいるみたいに全ての音が遠くなって、代わりに、カーテンの奥からお母さんの声が聞こえた気がした。


頭のてっぺんから、重力に身を任せた血液が落ちていく。後頭部が冷たくなる。

テーブルの向かい側に座っていた先生が私の視線の先に気づいたのか、急いでカーテンを閉めた。


見せるつもりはなかったが、うっかりカーテンが開いていたらしい。
もう.......。ちゃんと見えないようにしとけよ!


先生は何事もなかったかのように続けた。


「ガン細胞がお腹の中に散っていないか、検査に出しているところです。数日で結果が出ます。」
「もう少しで麻酔が覚めるので、そしたら7階に移動しますね。それまで先ほどの談話室でお待ちください。」

                ・・・


お母さんの麻酔が覚めるまで時間がかかりそうだったので、私たち4人は病院内の食堂で遅めの昼食を食べに行った。

しょうゆラーメンを注文したが、半分も食べられなかった。お父さんが残りを食べてくれた。


今になっても思うが、母親の胃袋を見たことがある人間はなかなかいないと思う。


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長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

今でも忘れられない光景。

ちゃんと見えないようにしといて欲しかったけど、それでもお医者さんには感謝しきれません。

【次回】第三話 それ、本当に大丈夫?


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