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白居易のきつね:『任氏伝』

白居易の名作と言えば、「長恨歌ちょうごんか」。
漢の王と楊家の娘(玄宗と楊貴妃)の、悲劇的な愛のストーリーが描かれる歌行かこうです。

白居易がこの漢詩を制作したのは35歳の時と言われていますが、これよりも前に、きつねで有名な歌行を詠んでいたのはご存知でしょうか。任氏行じんしこうという歌行(「⚪︎⚪︎行」という題の漢詩)です。

『任氏行』は『白氏文集』に収録されず、『千載佳句』錦繍きんしゅう万花谷ばんかこくに句がまばらに引かれて残るのみ。

しかし、その元ネタとなった、沈既済しんきせい『任氏伝』は伝存しています。今回はその内容を紹介します。



沈既済撰『任氏伝』

ていと女の出会い

唐の時代、地方官の(名前はぎん)と、そのいとこの婿であるてい(名前不明)は仲が良く、いつもつるんでいた。崟は豪快な性格の自由人。鄭は小さい頃から武芸を学んでいたが貧乏で、妻の一族と暮らしていた。

天宝九年(750)の夏、鄭は長安で女の三人連れに出会う。中でも、白い衣の美しい女に鄭は一目惚れ。驢馬ろばで傍を移動していると、白衣の女も流し目を送ってくる。

鄭が「あなたのように美しいお方が、なぜ車も使わず歩いているのですか?」と冗談めかして話しかけると、女は笑って「乗り物を持っていても、貸すという発想はないのね」と返す。一行は連れだって、楽遊園の丘に到着する。

★ポイント
本文では最初に「任氏女妖也(任氏じんし女妖じょようなり)」とあります。これから出てくる任氏というのは、女の姿をした妖怪だというネタバレです。

❷ 女は妖狐?消えた屋敷

下女に女のことを尋ねると、姓は任氏じんしだと教えてくれた。建物内に通された鄭は、任氏と一晩飲み明かし、眠りについた。その容姿や立ち居振る舞いは、この世の人とは思えないほど妖艶だった。

明け方、帰るように言われた鄭は、城門が開くまで傍の餅屋で待つことにした。鄭は泊まった屋敷のことを餅屋の主人に聞いてみた。「あそこに門があるのは、誰のお宅ですか?」「あそこは荒地で家なんてありませんよ。でも、狐が住んでいて、よく男を連れ込むんです」

❸ 結ばれる二人

約十日経って、鄭は衣肆いし(服屋)で任氏と偶然再会した。鄭は任氏の正体を知った上でいかに愛しているかを伝え、任氏も妻妾として一生仕えることを誓った。任氏は良い空き家を知っており、二人はそこに住み始めた。

家財道具は崟に借りた。崟は美人だという鄭の妻がどんな人物なのか気になり、直接会いに行った。鄭は出かけており、任氏は発情した崟に襲われそうになる。攻防の末、任氏は「鄭が可哀想よ」と言った。「贅沢で余裕のある人が、貧乏で困窮している人のものを奪うなんて!」

崟は正義感が強く、任氏の言葉を聞くとすぐに身を離し、二度としないと謝罪した。以来崟は二人の面倒を見てやり、任氏とは親しくあっても、一線を越えることは決してなかった。

★ポイント
任氏は妻妾になることを「奉巾櫛(巾櫛きんしつを奉ぜむ)」と言いました。「巾櫛を執る」「巾櫛に侍す」で、妾になること。

❹ ちょっと怖い狐の恩返し

任氏は崟の心配りと愛情に感謝し、間を取り持ってほしい女がいれば、出来る限りのことをすると言った。崟はチョウメン将軍の側女そばめの若い娘を手に入れたいと相談した。

まず、任氏はこの娘を病気にさせた。治療が効かない娘を、母と将軍は巫女に見せることに。任氏はこの巫女を買収し、自分の居住地の方角を吉と言わせた。計画通りに娘と母親がやって来て、任氏の家に住むことになった。

娘の病は治り、任氏は崟を手引きしてやった。娘は身籠ったが、母親が怖がって、娘を連れてチョウメン将軍の所へ帰っていってしまった。

❺ 三万の馬

また別の日、任氏は鄭に、股に病気を患った馬を銭六千であえて買わせた。その後「この馬を売りなさい。三万にはなるわ」と言った。鄭は言われた通り、三万で買ってくれる人を待った。二万で買うという人が現れたが、鄭は拒んだ。帰り際に、二万五千まで上げてきたところで、一緒にいた家族が非難するので、鄭は仕方なく二万五千で売った。

実はこの馬は皇帝の御馬で、死んで3年経つ馬だった。しかし買い手の役人はこの馬の籍を残しており、今では六万の値が付けられていた。半値の三万で買い戻したとしても、損失は少ない。だから買ってくれたのだった。

❻ 裁縫をしない女

任氏は新しい着物を崟にねだった。崟が絹布を買ってやろうとすると、任氏は既製品が欲しいと言う。崟は商人を呼んで、着物を選ばせた。任氏が自分で裁縫をしない理由は、理解できなかった。

★ポイント
なぜ、任氏が裁縫が出来ないというエピソードがそもそもあるのでしょう。
どうやら「狐の化けた女は裁縫をしない」という前提の知識が、当時あったようです。
崟は任氏が妖狐であることを知らない。が、伏線は張られていたわけですね。

❼ 任氏の最期

一年が経って、鄭は武官に採用され、出張することになった。しかし任氏は一緒に行きたがらない。理由を聞くと、今年西へ行くのは良くない、と巫女に言われたからだと言う。鄭と崟は二人して笑い飛ばし、結局任氏が折れた。

馬嵬ばかいまで移動したところで、偶然、訓練中の猟犬に出くわした。草の影から飛び出してきた黒い犬を見て、任氏は狐の姿に戻ってしまい、駆け出した。鄭も追いかけたが、狐は犬に捕まってしまった。鄭は亡骸を買って埋葬した。乗ってきた馬には任氏の衣服やくつがそのまま残っており、まるで蝉の抜け殻のようだった。

十日ほどして、鄭は町に帰り、崟と会った。崟が任氏のことを聞くと、死んだと言う。崟は任氏が犬に殺されたこと、正体は狐であったことを明かされ、驚くしかなかった。鄭はその後出世し、裕福になった。65歳で亡くなった。

★ポイント
馬嵬は楊貴妃が殺害された場所。人に化けた狐の正体を暴くのは大体イヌ。

❽ あとがき by 沈既済しんきせい

大暦だいれき(766~779)の間に、沈既済しんきせい(作者自身)は、この話を崟から何度も聞いた。異類にも情や人道はあるんだなぁと思う。

残念なのは、鄭が見識のある人物だったなら、変化の道理を修め、神と人間の堺を理解し、それを文章に著して、彼女の奥深い心を伝えることができたのに、ということだ。

左拾遺の官から東南に左遷されたとき、周囲の人々とそれぞれ不思議な話を求め合った。諸氏たちは任氏の話を聞いて感嘆し、私にこれを書き伝えるよう言った。


漢詩などで「任氏」や「白衣」と出てきたら、これは『任氏伝』あるいは『任氏行』のきつねを指しています。

参考文献
静永健「白居易「任氏行」考」『文学研究』104号, 2007.3
■ 竹田晃・黒田真美子編『中国古典小説選5 唐代II』明治書院, 2005.
漢文世界のいきものたち|漢字文化資料館
■『千載佳句』...『国立歴史民俗博物館蔵 貴重典籍叢書』文学篇21, 臨川書店, 2001.
■ 同 作品番号...金子彦二郎『増補 平安時代文学と白氏文集 句題和歌・千載佳句研究篇』培風館, 1955.
■『錦繍万花谷』...『錦繍万花谷』上海辞書出版社, 1992.(明嘉靖刻本の影印)
■『太平広記』巻452...汪紹楹校勘『太平広記』中華書局, 1961.
■ 同 テキスト|中国哲学書電子化計画 Chinese Text Project
https://ctext.org/taiping-guangji/452/zh


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