見出し画像

地方のものづくり中小企業を活性化するために(東北大学・堀切川一男先生との対談)

本稿は、知財ぷりずむ2019年4月号に掲載された「知財から見た 産学連携のリアル(連載第7回)」を改題、転載したものであります。

堀切川先生にとっての産学連携の原点とは

加島 堀切川先生は宮城県や福島県を中心に地域の中小企業と積極的に産学連携を行うことにより次々と新製品を生み出しているとお伺いしております 。このような産学連携のスタイルの原点を教えてください。

画像1

堀切川 私は元々東北大学で博士課程を修了した後、助手から講師、助教授までなりましたが、東北大学は基本的に基礎研究を中心に行う組織でして、それに対して私はものづくりをどうしてもやりたいという思いがありました。できれば自分の仕事として事業化や製品化できるものを一つでも作りたいという思いが若い頃からありましたが、ちょうど山形大学からお誘いがあり、助教授のまま1990年に東北大学から山形大学の工学部に移りました。その当時、山形大学では助教授でも独立した研究室を持つことができるという制度になっておりまして、上に教授がおらず自分の研究室を持つことができました。また、山形大学は研究についても上からとやかく言われない自由な風土のところでしたので、基礎研究とは別に実用化も研究室の一つの柱にしようとしましたが、たまたま山形県の中小企業の皆さまと多くの交流を持つことができ、非常にスムーズに自分のやりたいことができるようになりました。今で言うと地域産学連携みたいな活動になるのですが、そういうことが当時から山形大学で自然と身についた感じですね。

加島 山形大学に移られたのは非常に良い転機でしたね。

堀切川 できれば定年まで山形大学にいたかったのですが、諸般の事情で2001年にまた東北大学に戻ることになりました。しかし、山形大学での11年間の体験といいますか、特に地場産業の方々と多くのつながりを持ってものづくりをやったときに、これからの時代は地域企業、中小企業のほうが実用化までいける確率が圧倒的に高いということを経験することができたわけです。そして、東北大学に戻ってからも山形大学と同じスタンスでやっております。山形大学にいたときには10件を超える製品化、商品化を行いましたが、その頃からの私のこだわりとしまして、スポーツや医療福祉みたいな一般社会の人の身近な生活に関する製品開発に自分の研究成果を落とし込みたいという思いがありました。この考えは今でも変わらないですね。山形大学時代には長野オリンピックでも使われた低摩擦ボブスレーランナーや、米ぬかを原料とする硬質多孔性炭素素材(RBセラミックス)などを開発しましたが、後者の素材については新材料開発で文部科学大臣賞をもらいました。ただ、新材料を開発して賞をもらっても実際にこの材料が実用化されなければ何の意味もないので、この材料を使った製品開発をいろいろ行いまして、例えば滑りにくいシューズや自転車用タイヤを地元の企業と開発しました。この新材料だけで46件の製品化事例がありますね。

加島 新材料を開発するだけでなく、それを実用化まで落とし込んでいるところが素晴らしいですね。

堀切川 米ぬかから作ったセラミックスを用いた製品開発では、内閣府から科学技術政策担当大臣賞を共同開発先の会社と一緒にいただきましたが、製品を共同開発した社長からは、堀切川先生と共同研究をやると必ずいいことが起こるという伝説があると言われましたね(笑)。このように山形大学では今でいうところの地域産学連携のスタイルで地元の中小企業と頑張ってきたのですが、産学連携という言葉自体が定着していない時代からこのような取り組みが大事なのだということを学びました。

加島 このような山形大学でのご経験が堀切川先生にとっての産学連携の原点なのですね。

3,000件もの無料技術相談によるメリット

堀切川 私は技術相談を受けるのが趣味なのですが、これまでに受けた件数は3,000件を超えています。その中で8割は全国の中小企業さんからの相談です。

加島 それは地元の企業からの技術相談でしょうか?

堀切川 もちろん地元企業、地場産業もありますが、全国から相談がありますね。あとの2割は大企業からの技術相談です。そして、私に直接連絡を頂いた場合には、技術相談料は頂戴しないようにしています。その後に共同研究を行うことになって内部で出費がかさんだ時には研究費を入れてもらいますが、相談自体は無料で対応しております。このようなやり方自体、今の大学ではあまりやらない方法ですが、自分では元を取っているつもりです。技術相談を受けるときには3つのメリットがあります。相談する側にもメリットがありますが、相談を受ける側にもメリットがあるので、お金は頂かなくてもいいと考えております。

加島 具体的にはどのようなメリットがあるのでしょうか?

堀切川 まずは企業の人にとってみれば、技術課題の解決の糸口やヒントが得られることになります。このことは企業からみたら当然のメリットですね。2つ目は、相談内容が自分の研究テーマに近い場合に限られるのですが、准教授や助教、大学院の学生で研究テーマが近い人を技術相談の場に同席させることにより、彼らに対する教育効果があります。何が現在、技術的な課題となっており企業がその課題にどう対峙しているのかが分かるというのは良い教育になりますね。そして、私がこのような技術課題をどう解決するかをその場で見てもらう、これも大きな教育効果になります。会社が一生懸命考えても分からないような相当面倒な問題に対して、全部じゃないですけどこうしたらうまく行くかもしれないというアイデアを出すこと自体が若手教員にとって一番勉強になると思っています。3つ目のメリットは自分自身にとってです。技術相談にはかなり幅広い業界の人がいらっしゃるのですが、自分の専門分野では一生付き合わないような業界の人が来ることもあります。しかし、3,000件も技術相談を受けていると、分野が違っていても同じような課題によってうまく行っていないケースがあり、技術課題のトレンドが分かってきます。そうすると、最終的には共通性が高い課題で自分の研究分野に近い場合は共同研究をやるということになるので、そこをはっきりとさせる基礎研究を学生と始めることができます。それが将来は使える研究成果になるので、何を研究すれば良いかという、最終的にはそのようなテーマを自分で簡単に整理できるというのが技術相談を受ける最大のメリットです。

画像2

加島 ノウハウや現場の声が堀切川先生の中で蓄積されていくということですね。

堀切川 昔は私のアドバイスでうまく行く成功確率は3割くらいでした。10件中3件はいい方向に改善したり解決したりするのですが、7割はやっぱりうまく行かない。その理由の半分以上は非技術的な問題です。製品自体の機能性や直接の性能といった技術的なところ以外での問題が当時はいっぱいありました。しかし、技術相談を重ねるにつれて成功確率は上がりました。今だと8割くらいがうまく行きますね。

加島 それはすごいですね。成功確率が3割から8割に。もう5件に4件は成功することになりますね。

堀切川 逆にいうと5件に1件は今でも失敗するので、そこがやはり難しいです。やってみないと分からないという部分がどうしてもそこに残ります。成功確率が8割ぐらいになったのは、過去にどうやったら失敗したかという体験を数多く重ねたので、そこからだんだんと成功への道が見えるようになってきたからだと思います。企業の方が技術相談に来られた際に、初めてぶつかる課題やチャレンジングなテーマに対して、向こうは体験がありませんがこちらは千件単位で体験があるので成功確率が上がるようになるわけですね。それでこれまでに開発した製品化件数は約160件、取得した特許は約100件になりますが、ロイヤルティはほぼ無料です。

加島 これはびっくりですね。特許のロイヤルティを企業から頂いていないのですか?

堀切川 大学人として大学当局から最も嫌われているポイントです(笑)。これはメディアの影響もありまして、中小企業が大好きな変わった先生が特許料をもらわないで共同研究をやっていると報道されまして、そのスタンスで行くしかなくなったというところもあります(笑)。ただ、当初から特許でそんなに儲かるとは思っていないわけでして、大企業さんも特許出願を山ほど行って権利化しても使わなくて放棄しているものがいっぱいあるわけです。特許は万に一つも当たればラッキーみたいな世界だという理解があったので、この仕事は特許で儲けるためにやっているわけじゃないという考えです。ただ、中小企業と組んで製品開発をするときに、中小企業さんの製品化された商品を模倣品から守れる唯一のものが特許であることも知っています。このため、特許は中小企業を守るために取るべきであるという考えから、ロイヤルティをもらう気はありませんでしたね。

加島 大学当局からは問題視されなかったのでしょうか。

堀切川 最初はボロクソですよ(笑)。国立大学の独法化の際には大学の知財関係の部署が必ず間に入るという制度に変わりましたが、独法化した当初は知財の扱いに大学も慣れていなかったので産業界からはあまり喜ばれないルールで始まった部分も多いかと思います。しかし、徐々に企業さんの立ち位置を理解した上での運用方法に変わってきたので、今は大丈夫です。さらに、うちの大学の知財部はすごく粋な計らいをしてくれて、地元中小企業と私の共同開発により特許等が生まれそうな場合は、かなり特例措置だと思いますが、職務発明から外してもらっています。ですので発明者の名前に私は入りますが、企業さんの単独出願という形になり、大学に払う特許のライセンス料が発生しないということで、地場の中小企業さんは安心して私のところに相談に来られるような仕組みになりました。

加島 産学連携では共同で特許を取った場合に企業が大学に払う実施料で揉めるといいますが、そこは最初からもらわないことで中小企業からの相談の敷居を下げているのですね。

堀切川 個人的には特許のロイヤルティを狙って研究しろってなった瞬間、大学にいる意味がなくなると思うのですね。だったら一人でベンチャーを立ち上げて事業をやったほうがいいじゃないですか。だから大学にいるメリットというのは、自分がその時々一番やりたいことを実現できることであって、利益を上げなければならない企業とは立場が違うと思います。我々大学人は産学連携で企業に儲けてもらって、国全体としての経済効果を上げていくのが使命だと思いますね。

21世紀の新しい日本の産業構造のあり方

堀切川 私がこうやって地方の中小企業に肩入れするのは、2050年くらいまでに日本の産業構造を変えていなかいと日本の経済が持たないと思っているからです。もう今でも日本の経済は十分に右肩下がりが続いているわけですけど、それを横ばいか少しでも上げるには今の日本の産業構造を根本的に変えないといけないです。過去100年を振り返ってみると、明治以降に日本は維新産業で立ち上がってきて、そこで基幹産業を作ってきたわけです。そして、外貨を稼いで利益を得るという加工貿易の国になってきましたが、ちょうどバブル経済がはじけた頃、今から20年くらい前に、中国や韓国をはじめとして他の国が基幹産業に参入してきましたので、日本の取れるシェアが当然下がりました。そして、大手企業がこれはまずいと、中国をはじめ東南アジアに製造拠点を移してコストダウンで生き延びようとしましたが、これにより日本の中小企業のものづくりの仕事が大きく減ってしまい、日本の製造業の空洞化が始まったと思います。日本の中小企業のメッカと言われた大田区や東大阪でも倒産、廃業がここ20年で相次ぎましたよね。今、日本の産業で元気なのは多分自動車だけだと思います。マスコミはITだ、IoTだ、AIだってはやし立てますが、ここに日本経済界のワンパターンの限界を感じております。経団連だろうが同友会だろうが、答えがそこしか見つけられないというのは、言葉は悪いですが経営者が産業全体を見る能力が極端に低下しているというのが私の見立てです。こんなことを言うと財界から怒られるので、あちこちで言っています(笑)。

画像3

加島 これは厳しい指摘ですね(笑)。

堀切川 今の日本経済で元気なのは自動車だけなので、自動車が元気なうちに日本の新しい基幹産業を生み出して育成しようというのが国の方向性だと思うのですが、少なくとも10年以内に自動車産業並みに急成長を遂げるような大きな基幹産業は日本に新たには生まれないと私は思っています。このまま行くとやっぱり日本の産業は縮小していくしかないのですが、そのならないためには産業構造を根本的に変えていく必要があるわけです。これからやるべきなのは、日本が世界に先駆けて新産業を小さくてもいいからたくさん作るべきだと思っています。今までなかったようなミニ産業をたくさん集めて積み重ねていけば、一つの基幹産業並みの雇用吸収力や経済力を持つことができると考えています。

加島 ミニ産業はそう簡単に作ることができるものなのでしょうか?

堀切川 具体例を言いますと、一時期ポケベルがとても流行ってブームになり、ポケベルで儲けた会社がいくつもでてきましたが、その後に携帯電話やスマートフォンが登場するとポケベルをやっていた会社はなくなったわけです。このように産業の置き換えが起こると、花形産業が次から次へとめまぐるしく生まれるわけです。中心となる会社が1社あって、その会社に協力する連携企業なりが何社かあって、一つの花模様になっているのですが、儲からなくなったらこの土俵から消えていく。咲いた花は散るって考え方です。そして散ったところにまた別の人たちが別の産業を補うわけです。このように新陳代謝を繰り返すことは、全体で見ると成熟した産業構造の構築につながってくるわけです。このようなモデルでは産業規模がスタート時点では相当小さいので、既存の中小企業さんのうち元気なところが中心となって作るのがいいんじゃないかと思っています。


堀切川 そういう意味で地方の地域産業というのは今までは基幹産業を支える生産拠点、下請けの役回りを担っていましたが、これからは元気な一部の中小企業が新分野開拓を目指す開発拠点にならないといけないです。それが地域産業のこれからの生き延びる道なので、地方でこそ、地域でこそ、産学官が連携してこのような元気のある企業を応援して、新しい製品づくりや新産業づくりをやっていかなければなけないと思っています。実際は大企業でさえも新しい事業を興すときには自社で全部開発して製造するわけにはいかず、中心となる部分は自分達で開発するが周辺部分は全て協力企業に開発を依頼するわけですよ。地方の中小企業の社長さん、元気な社長さんほど全部自分たちだけでやりたがる習性がありますが、それだと失敗するので、地域が連携して単独でできない部分を応援してもらったほうが良いというのが私の考えです。そのためにも、実効性のある地域産学官連携モデルを構築して実践していくことが大事ですね。

加島 今、全国では産学連携がすごくはやっていますよね。

堀切川 残念ながら、今の産学連携は研究費を取るための方便でしかないようなものが多いと思います。研究費を企業から取ってきた件数や金額でコーディネーターの人の業績が決まったり、先生の評価が決まったりするという残念な大学が多すぎます。このことが、大学は使えないという一部の風潮を生んでいるのではないでしょうか。大学の先生が研究費や競争資金をもらうのは全然構わないのですが、少なくともその何倍もの金額の製品を売って税金として国等に還元しなきゃいけないというのは計算したら分かるのですよ。そういう意味では全国の産学連携の90%以上は失敗だと思っています。研究費等のお金をもらってもその何倍も売上で貢献しなければならない、その心構えでやらないといけないです。

地域の産学連携により魅力的な新製品づくりを目指す

堀切川 一昔前だと失業者が多いので雇用を生むことが大事だと言われてきましたが、今はもう全然逆の状況でして、人を雇いたくても雇えないという中小企業が増えております。これを打破するのにどうしたらいいかというのは難しい問題ですが、魅力ある雇用を作るという意識を地方自治体も中小企業も持たないといけないと思っています。単なる雇用を生んでもダメで、景気が悪くなると道路工事を増やして日雇いの人を増やすという高度成長期のやり方は今では通用しないです。魅力ある新製品を出せる会社にならないと人が来てくれないと思うのですよ。そういう新しい製品群を作れる会社だったら、東京から地方に移住して地方に根付いてくれるかもしれません。そのためには地域の産学官が連携して、いろいろな人がこの会社で働きたいと思えるような成果を出さないといけないと考えています。地方で雇用のミスマッチを埋めていくためには魅力ある新製品の開発に取り組むという意識が大事だと思います。

加島 具体的な取り組みをお聞かせいただけますでしょうか。

堀切川 まずは仙台市で地域連携フェロー制度が始まったのですが、宮城県知事、仙台市長、東北大学総長、東北経済連合会会長の4者が集まってラウンドテーブルをやり、そのときに国をあてにしないで地元の産学官が連携して新産業を作っていこうということを2004年に決めました。この取り決めは当時は結構画期的でして、東北大学の教員に兼業を認めて県庁職員や市役所職員として企業に派遣できるようになり、私もこのようなフェロー制度によって御用聞き型の企業訪問を始めました。その際に、私は時間とお金をかけないで地元企業との開発・実用化を達成することを目指しました。私は企業訪問自体は好きなので今までもやってきたのですが、以前はこの会社ならこういう新製品を作れるかなってアイデアが浮かぶと、それを提案するというスタイルでした。ところが、県庁や市役所の職員の立場で企業を訪問すると、単に自分のアイデアを押し売りするのとは違う活動も必要となってきます。具体的には、地元で元気な企業を訪問したときに、過去に諦めた研究開発の失敗事例を聞き出しました。どのような会社でもだいたい過去に諦めた研究開発の失敗事例をたくさん持っているのですが、ひょっとしたら企業が以前に研究開発を断念した技術課題を別の方法で解決できたのではないかと思い浮かぶことがあって、そのときには再チャレンジしてみませんかと提案します。そうすると社長が「当時の担当者を呼ぶからもう1回やってみようか」となり、遅くても1ヶ月単位、早ければ1週間単位で大学で試作品の性能評価を行ったり学生や教員を支援で出したりして、お金をかけずに早期に解決できることもあります。企業にとっては過去にお金や時間をかけて本来やりたくてチャレンジした歴史もあるので、失敗したと思っているところに別な課題解決法を提示しながら一緒にゴールを目指すと、時間とお金をかけないで新製品の開発ができます。

画像5

加島 これがまさに「仙台堀切川モデル」ですね。

堀切川 このような産学官連携のスタイルにより、様々な製品開発を行いました。例えば、地元の中小企業さんと共同開発した高圧絶縁電線の自動点検装置は東北電力さんにも採用していただき、「地域プラットフォーム賞(JANBO新事業創出賞)」を受賞しました。他にも、入院患者用に滑りにくく履きやすいサンダルを開発したり、耐滑性に優れるレース用自転車タイヤを開発したり、変わったところでは新名物料理として仙台づけ丼を開発したりしましたね。

震災とものづくり

堀切川 仙台市地域連携フェローとしての企業支援活動で印象に残っているのが、災害が発生したときの避難所用の耐水ダンボールを石巻の社長さんと共同で開発したことです。この方は初めてお会いしたときにダンボール屋、箱作り屋で終わりたくないとおっしゃっていたのですが、災害時に公民館や学校の体育館に避難したときにプライバシーを守るためのパーテーションをダンボールで作るのはどうかと私は提案しました。それから1年も経たないうちに東日本大震災が発生し、この会社の多くの従業員の方が被災して避難所暮らしになったのですね。しかし幸運にも工場は被災しなかったので、社長さんが以前に私が話したことを思い出してくれて、あちこちの避難所にダンボールを寄付しました。ダンボールでちゃぶ台を作るのですが、丸いダンボールに30cmくらいの脚を付ければご飯を食べることができる台になるんですよ。これが避難所で非常に評判が良かったです。ブルーシートの地べたで食事するよりは、配給されたおにぎりやおかずを1つのテーブルで家族が囲って食べると気持ちが前向きになるのですね。何年か前に国連防災会議が仙台で行われたのですが、大きな災害が発生したときに何が役立ったのか、何があれば良かったのか、何を事前に備えるべきであったかということを体験的に分かっている被災者が情報を世界の人に発信するのは被災地の人間の一つの務めだと思っているんですね。このため、ダンボールが役立ったということを知ってもらうために国連防災会議の場で展示物を県や市に出してもらいました。そうして世界中に情報を発信すると、耐水強化ダンボールで作られたちゃぶ台のアイデアも世界に広まって、世界中で応用されるようになるわけですね。こういう製品というのは、実は技術のレベルが高い、低いという物差しではなく、使える、使えないという、使えて便利なのに今までなかったものを開発するという試みが大切になってきます。ものづくりの中小企業は、使えるかどうか、使ってみて無いより有ったほうがいいと思えるかどうか、そこを商品の開発の判断基準としたほうがよいです。

加島 そこに気づけるかどうかというのが大きいですね。

堀切川 そうです、そうです。このダンボール箱の会社の人たちは、災害に遭うまではそこまで本気でやろうと思わなかった。だけど、被災者に自分達がなってみたら、被災地に寄り添えるものづくりができる会社だったということに気づいたわけです。また、これも被災地に寄り添う製品開発の例ですが、京都のベンチャー企業の社長さんから、防災用のどこも作っていないグッズを私と共同で作りたいとご連絡いただき、そのときに製品開発したのが頭からかぶるポンチョです。東日本大震災のときに寒さをしのぐために大きなゴミ袋を頭からかぶるということがありましたが、そこから着想を得まして、コンサートや野球、サッカーの観戦でも雨風や寒さをしのげるようなマルチポンチョを開発しました。この製品を商品化してから8ヶ月後くらいに熊本で大きな震災がありまして、熊本の避難所にこのマルチポンチョを大量に送ったところ、とても感謝されました。東日本大震災の教訓から生まれた商品が熊本の震災でプレゼントされて使ってもらえたんですよ。このような正の連鎖といいますか、技術的にはローテクだけど必要とされる製品、そういうのが私は好きです。そして、この京都の社長さんは熊本まで足を運んで、自分達の商品がどのように使われているのかを避難所で聞き回ったのです。すると、当初考えていた予想と全く違う使われ方をしていました。避難所にはパーテーションがなくて、女性や子供が着替えをするときに困っていたのですが、この会社のマルチポンチョは黒くて中が透けないので、ポンチョの中で着替えをすることができて良かったという声があったのです。今回のポンチョはサイズが大きいので中で簡単に着替えができるのですよ。ただ、子供には大きすぎたと言われたので、今度はその教訓でキッズ用の小さいポンチョも開発しました。こうやって一つの災害がヒントになって商品ができて、次の災害でお役に立って、そのときの現場の声を元に子供用の製品まで開発するという、このようにものづくりというのは実際に使う人間の立場に立つこと、私はそれが大事だと思っております。

画像6

参議院の経済産業委員会に参考人招致される

堀切川 こうやって仙台の活動だけで50件近くの製品開発を地元の中小企業と共同で行いましたが、現在は亜細亜大学で教授をしている林聖子先生に私の産学連携モデルを取り上げていただいて、産学連携学会で「仙台堀切川モデル」として発表していただきました。私の活動が大学の教授としては珍しいのと、時間とお金をかけずに地域の複数の企業から山ほど新製品がでてくるということで、林先生からヒアリングをたくさん受けて論文にしてもらったんですね。そうすると、産学連携をうまく生かしたいと考えている地域の自治体や企業、大学などあちこちから問い合わせを受けるようになりました。

加島 私もその一人です(笑)。

堀切川 林先生は私よりも私の取り組みについて詳しいですよ(笑)。今回の仙台での取り組みは、基本的には地域のトップ、産学官のトップが合意した活動であったということが第1の柱でして、企業に御用聞きに伺うことにより潜在的なニーズを拾って課題解決することが特徴ですね。そして、開発課題を抽出したら、私の研究室で課題を解決することにより、時間とお金をかけずに多数の製品化を達成することができました。このようにいろいろマスコミでも取り上げられるようになると、あるときに参議院の経済産業委員会で参考人招致されました。

加島 素晴らしいですね。

堀切川 いや、二度と行きたくないんだけど(笑)。そこでは中小企業のものづくり高度化法案の審議中だったのですが、意見を出せと言われたので、法案自体はいいのですが問題はそれをどう運用してどういう事業で成果を上げるのかということで、成果を上げるための施策事業について提案しました。与野党5会派から事前質問なしに70分くらい質疑を受けるというひどいものでした(笑)。このようにきつかった面もあるのですが、後から参議院の事務局や経済産業省の方から連絡をいただき、与野党誰一人として反対することなく衆議院、参議院、委員会、本会議ともに全員の賛成で通ったようです。

加島 それだけ堀切川先生の話に説得力があったということですね。

堀切川 それよりもこの法案が非常に重いものだったということだと思います。経済産業省の方の話では、これは基本法に近いような法律で、実はこの平成18年の法案以降、大企業一辺倒だった開発補助金が全国の元気な中小企業にも回るようになったのです。だから、平成18年以降、地方は産学連携でも何でもいいんですけど、新しいものづくりをやることに対して国が補助してくれる、補助が手厚くなったという意味ではすごく良かったと思います。

産学連携スタイルは「福島堀切川モデル」に進化

堀切川 このように私の産学連携スタイルが世間に広がっているさなか、2011年3月に東日本大震災が発生しまして、復興庁の復興推進委員会で私が今までやってきた取り組みを紹介しましたところ、その2日後に福島県の内堀副知事(現福島県知事)から依頼があり、福島県の地域産業支援活動も始めることになりました。県の予算案が議会で審議中であるという、とても忙しい時期だったのですが、途中で議案修正を入れてでも福島で仙台堀切川モデルを拡大してやってほしいとお願いされまして。

加島 とてもフットワークの軽い副知事の動きですね。しかし、それだけ堀切川先生の産学連携の取り組みが福島でも必要だと思われたからなんでしょうね。

堀切川 ええ。だからもう喜んでやらせていただくということで、福島県の職員の方と数ヶ月後には活動を開始しました。さらに福島では震災後に毎日のように会社が潰れているということで、短期間に成果を目一杯あげるために新たなスタイルを作りました。それが「ふくいろキラリプロジェクト」という取り組みでして、福島県の産業創出課の方に加えて、民間企業さんに事務局を置きました。福島市にある山川印刷所というところですが、ここが実はパッケージデザインから東京の展示会のブース作りまで全部できる、人数は少ないけど優秀な集団です。

画像7

堀切川 また、県レベルでは県内の元気な会社の細かいところまでは分からないので、それぞれの地域の産業支援機関にも入ってもらい、私と県の産業創出課、山川印刷所および地域の産業支援機関の人が一緒になって、それぞれの地域の中小企業に御用聞きに伺いました。福島は広いので毎回地域を決めて訪問するのですが、多いときには2日で7社も回ります。

加島 それはすごいですね。もう朝から夜まで休みなく動く感じですね。

堀切川 朝から夜までです。体はボロボロになりますよ(笑)。そして、今回の福島県のスタイルでは、新しい取り組みとして発明協会の人に必ず入ってもらうようにしました。訪問した会社でアイデアを出したときに、知財がらみの問題について、発明協会の方にその場でパソコンで調べていただき、類似の特許が既に出願されているかどうかすぐに調べてもらうわけですね。商品名を思いついたときも、商標についても既に出されているかどうかその場ですぐに調べてもらうことができる。このように知財についてその場ですぐに答えがでないと、企業に1回訪問して検討の結果チャレンジすることになりましたとなったときに、知財がらみでもう1回行かなければならない。特許出願をする可能性がでてきたら3回目の訪問になったりして、開発が遅れてしまう。これに対して発明協会の担当者が一人入っているだけで1回の面談で試作まで行くことができます。

加島 発明協会の担当者が入ることによってスピード感が全然違いますね。

下請けの中小企業が自社製品を持つメリットは?

堀切川 福島の中小企業とは名刺入れに入る小型の靴べらや、ナノレベルの表面粗さの杯などの数多くの新製品の開発を行いましたが、地域の中小企業が自社製品を持つということは、B to Cのふりをして実はB to Bで、例えば企業のノベルティに使ってもらおうというのが戦略の一つですね。また、別の企業さんとはスマホのカバーフィルムを開発しましたが、これはスイッチを切ると鏡になり、スイッチを入れると光を透過するという、私の中では数少ないハイテクの製品なんですね。これを自社製品第1号ということで共同研究した会社に販売を開始してもらいましたが、実はこの製品が売れるかどうかというよりも、このような自社製品を持ったということでこの会社にとっての仕事の幅を広げて新しい仕事を取れるようにすることが狙いなんですよ。

加島 どういうことでしょうか?

堀切川 このスマホのカバーフィルムの製品はグッドデザイン賞も取りましたが、今まで大企業の下請けだった中小企業が自社製品を持つということは、展示会等で集客がアップすることにより技術力をアピールできる。グッドデザイン賞などを受賞したとなると、その会社の技術力をマスコミ等で無料で宣伝してくれます。このように、自社製品を持つことの本当の狙いは、本業の下請けの仕事が増える、自社技術をアピールできる製品を持つことで他の業界の人にも宣伝することができるということです。その結果、この会社は元々はオプトエレクトロニクス分野の下請けだったのですが、自動車会社からも仕事がくるようになりました。億単位じゃきかないレベルの話がきたのです。また、魅力ある製品を作ることができる会社にはいい人がたくさん来ます。人材雇用の面でプラスになるわけですね。

加島 それはすごいですね。素晴らしいです。

堀切川 このようなことを私は過去に体験的に知っているので、福島県の県庁や発明協会の人にもずっと言っているのですが、現実にそれを目の当たりにすると中小企業の目の色が変わるのですよ。やっぱり被災地の企業というのは前を向いて走っていかないといけない。上を見る必要はないんですけど、下を向いていると辛くなるので、前を向いていくためにはやっぱり目の前の視野が広がらなければいけないんじゃないですか。このように、福島県での取り組みの成果として、新製品の開発や事業化を30件ほど行いましたが、そこから特許出願や意匠出願がそれぞれ5件ほど生まれたり、7件の商標出願をしたりしました。これも発明協会の担当者が同行したからこそ生まれた成果だと思います。また、デザイン面でもグッドデザイン賞やiFデザイン賞(ドイツ)を受賞しました。このような取り組みは先ほど申し上げた林聖子先生により「福島堀切川モデル」と命名されました。

画像8

道の駅に工業製品を

堀切川 仙台では1つの会社の行くときに平均して4人のチームで訪問していましたが、福島の場合だと1社平均で8人で訪問するようになりました。

加島 倍に増えたわけですね。

堀切川 我々のチームの訪問を受けた中小企業は、椅子が足りなかったりとか、全員が部屋に入れなかったりとかでプレッシャーを感じるようでして(笑)。

加島 けれど、それでこちらの本気度が伝わると。

堀切川 そうです。そうすると、私が一見して冗談にみえる提案をしても、この先生が言うんだからやってみようということになります。また、福島の取り組みでは、販売先の事前確保も行うようになりました。自社製品を持ったことがない会社が新製品を開発したときに、どこでどうやって売ればいいか分からないじゃないですか。だから、いわゆる「入口から出口まで」の出口を今まで下請け企業が分からなかったことについて、新製品を販売するところとして私は田舎に必ずあるアンテナショップを提案したわけです。開発した工業製品を道の駅に置いてもらおうとしたわけですよ。これはかなり斬新なアイデアなのですが、道の駅といえば普通は海辺だったら海の幸、山だったら山の幸を売って、食堂があったり温泉がついていたりするものですが、私は地元の工業分野の中小企業が開発した一般の人向けの製品を道の駅に置いてもらうようにしました。その結果、先ほど申し上げた靴べらや、おばあさんが使う特殊な釜とかは、それぞれの地域の道の駅で売れるようになるわけですね。そうすると、そのような新しい工業製品目当てで道の駅を訪れた人は地元の海の幸や山の幸もついでに買うようになります。福島の場合でも、全品検査していますって店員から説明を受ければ、風評被害と関係なく海の幸や山の幸をお客さんがついでに買ってくれる。地域の産業復興、風評被害の払拭というのであれば、やはり魅力ある新製品がないと人は来てくれないんですよ。理屈で地方活性のために人が来るべきであると言っても人は来ないです。欲しくてたまらない物を企業が作ればいいというのが私の言い分なのですが、新製品を開発したときに販売先は確保できますからねというと企業さんは安心して製品開発をできるので、これだけ短期間に多くの物を開発・事業化できたと思います。

加島 最近は地方創生が言われていますが、やはり魅力ある製品があることが大事ですね。

堀切川 このような福島の取り組みが評価されて去年に内閣府から科学技術政策担当大臣賞をいただいたのですが、この年から初めて内閣府の地方創生賞という大臣賞の枠が設けられて、地方創生賞の第1号が我々になりました。これが一番嬉しい出来事でして、大震災からの復興のために応援してもらうだけでは嫌だと、それでは本当の産業隆盛にはならないので、地方創生を国が打ち出すのであればそのベストプラクティスを福島で作ろうと知事らと話していました。今回は復興賞ではなくて、全国の47都道府県や市町村がどこでも取れる可能性がある地方創生賞を福島県が受賞できたのは本当に良かったと思います。

新製品開発の数と成功率を上げるためのこだわり

加島 堀切川先生は仙台でも福島でも中小企業との産学連携で成果を収められていますが、ものづくり成功の秘訣はございますでしょうか。

堀切川 私は商品化の数と成功率を上げることにこだわっているのですが、成功の秘訣はおおまかに言って2つあります。まずは、ミニマム目標を設定することです。実は大学の人間も会社の技術担当の人も社長さんも役所の人もみなさんに当てはまることですが、志が高すぎます。ある程度高い目標レベルまで行ったら胸を張って商品化しようという目標設定をみなさんされるのですよ。それはそれでいいのですが、私が共同開発する際に一番最初に申し上げるのは、どこまで志を下げても今まで世の中にない良い製品になれるかということ、その最小目標をまず議論します。そして、この最小目標を達成したら最初の製品化を行うことにします。実は目標レベルが高いと時間もお金もかかるのと、思わぬ壁にぶつかってダメになる確率が上がるのですよ。このため、ハードルを下げれば当たり前ですがゴールまで行ける確率が上がりますし、時間もお金もかかりません。これが私の作戦です。そして、これだけレベルが低くても世の中にない商品を出すと、やはり社会からいろいろな反響が出てきます。それが自信になって第二段階以降の開発を進めるわけです。第二段階以降は実は社会のニーズに合わせて目標レベルを的確に上げてくるんですよね。技術が絡む商品は、ベスト解なんて元々ありません。技術商品というものは実はゴールがなくて、改良を重ねていくものですので、だったらスタートを低くしたほうが間違った方向に向かう可能性を減らすことができるといつも言っています。伸びしろが大きい開発製品ほど将来性がある良い製品であると普段から申し上げていますが、このことについて地域の産学官の担当者が同じ意識を持たないと成功率は上がらないと思います。このように考えると会社の方も楽なんですよ。小さく産んで大きく育てるというのが私の一つ目のこだわりであります。

画像9

加島 二つ目の成功の秘訣は何でしょうか?

堀切川 二つ目がネーミングです。製品開発の際に最初から名前を付けると商品化する確率が異常に高いです。例えば、ドイツでiFデザイン賞を取った楕円形の杯は「けぷらーかっぷ」という名前にしましたが、これは宇宙で太陽の回りを衛星がぐるぐる回るというケプラーの法則から取ったものです。衛星の軌道が楕円なので、楕円形の杯にもこの名前をつけたわけですね。だから、小さい杯の中に楕円の模様をいくつも描いてもらいました。この杯の中に宇宙がある、すなわちケプラーの法則のカップだから「けぷらーかっぷ」というわけですね。このように開発の当初段階で製品の名前を考えると、このネーミングが錦の旗になり、産学官のチームワークが良くなります。これによって開発期間が短くなって製品化の成功率が上がります。このため、新製品が技術的に全く中身がなく特許性がない場合でも、商標だけは取ったほうが良いといつも言っています。特許と比べて商標登録は比較的簡単じゃないですか。そして、中小企業は商標権を取っただけで社員の気分が上がり、商品化しちゃうわけです。せっかくだからということで。

加島 名前がつけられると愛着が湧いてきますよね。

堀切川 そうなんです。大手企業ですと、新製品を開発するときに、途中まではVX30とかプロジェクト名で呼んでいるじゃないですか。だから失敗するんだと私はいつも言っているのですが、大手企業さんは製品開発の終盤にきて広告会社に頼んでネーミングを出してもらって、そこから選ぶようにしているので愛着なんて湧かない。我々が中小企業と組んでいるときは、自らがイメージしてネーミングを考えるようにしているので、やはり思い入れが変わると成功率が上がります。だから、ミニマム目標とネーミング、この2つが新製品開発にとって不可欠だと思います。

Me to Meの研究開発

加島 他にも成功の秘訣はありますでしょうか。

堀切川 地域の中小企業さんを訪問したときに、今までは下請けでずっとやってきたので一般の人の手に届く物を作るのをやったことがないとおっしゃるところが多いんですよね。ものづくりの本当の喜びというのは人の笑顔を見ることなので、これはやった方が良いって言っているのですが、B to BとB to Cのどちらもやりたくないという下請けの会社がいっぱいあるのです。この場合、私はB to BでもB to Cでもない、Me to Meを提案しています。自分の会社の工場の生産技術を良くすることを改善、改良と俗に呼ぶのですが、自社の生産技術のための研究開発がMe to Meに該当します。

加島 Me to Meとは、自分達のための、自分達による研究開発ということでしょうか。

堀切川 そうです。自分達のために自分達が開発する。だから、顧客は自分達になります。お金の移動はありませんが、それでもいいのではないかと思います。これを国ではプロセスイノベーション、ものづくり革命という言い方をしていますが、プロセスイノベーションって格好よく呼ぶよりはMe to Meのほうが親しみがあっていいじゃんというのが私の提案でして、Me to Meを研究開発の対象に入れた瞬間、どの会社でもできるようになると私は思っています。職人技でこけしを作る人もMe to Meなんですよ。こけしを作る道具の彫刻刀を新しく工夫するというのも研究開発でして、そういう意識を持って頂くように努力中です。

加島 Me to Meはもっと広めたい言葉ですね。

堀切川 そうそう、何かそういう新しい分かりやすい言葉を使って考えを広げるっていいでしょう(笑)。震災後には福島でも受注がこなくなって暇な時間が増えた会社がありましたが、暇な時間に開発にチャレンジしたほうがいい。アイデアがなければ自らの工場を見て、ものづくりを工夫しようと。その時間という財産を、ものづくりで将来自分達がジャンプするために使うのであれば、Me to Meによる研究開発も将来は大きな実を結ぶようになるのではないかと思います。

これからはライフサポートテクノロジーの時代

堀切川 最初のほうで述べましたように、これからは従来の既存の産業分野の枠組みじゃない新産業を作らなければならないといつも言っていますが、どういう産業かとよく聞かれますので、私はこれからは生活・生命密着型産業がくると言っています。生活密着というとメディカルやバイオの話のように捉えがちですが、それだけではなくて、我々の日常生活を豊かにしたり、安心で転倒しにくくしたり、高齢者でも動ける社会にしたりするためには新しいアイデアがいっぱい必要なんですよね。私はこれらをライフサポートテクノロジーと呼んでいます。ライフには生活と生命の両方の意味が入っていますので、我々の日常生活や健康も含めて、それをサポートするテクノロジーというのがこれからのキーワードになると申し上げております。ただ、本来はテクノロジーはライフをサポートするためにあるんですよ。その原点を忘れた産業界や大学が多すぎると思います。本来、生活にとってより豊かに安全・安心して楽しく暮らすにはどういう商品が必要なのかということを、大企業も中小企業ももう1回振り返って考えなきゃいけない。それが今の技術レベルだと、昔にはできなかったことができるようになるものが一杯あるんですよ。30年前にできないものが今はできる、そういうのを私は提案しています。だから勝率が3割から8割になるというのは技術が進んでいるからというのもあるんですね。こういう観点から、ライフサポートテクノロジーという意識でうちの会社は何ができるかって見ていただければ、おそらく全く違う業種のものづくりもできると私は思っております。

画像10

産学官金報民の六者の連携

堀切川 後は、私は産学官金公民の連携が必要だといつも言っているのですが、産学官に金融を加えた産学官金の四者についてはよく聞きますがそれに報民の二者を加えるのが大事ですね。報というのはマスコミです。雑誌で例えばこういう取り組みを地域で始めましたという情報を出すことによって、他の地域で似たような活動が生まれてくれれば、それはすごくいいことですよね。そのためには新製品でも新しい取り組みでも、ニーズでもシーズでも何でもいいのですが、報道すること、社会に知らしめるということがないと新しいものは生まれないと思っています。そして、民というのは社会なんですけど、ニーズはあくまで社会にあって産業界にあるわけじゃないんですよね。産学連携ではよく産のニーズと学のシーズのマッチング支援事業とかを今でもよくやっていますが、本当は産にニーズがあったらいけないんですよね。社会のニーズがあるものにアンテナを張るプロが産業界にいないといけないので、みんなが何を考えて、それを包括してまずは最低レベルの目標を持ちながら良い名前を付けて作って売り出せばうまくいくというのが私の考えです。

画像11

ものづくりのよろこび

加島 堀切川先生がこのように地域の産学連携活動を継続するモチベーションは何でしょうか?

堀切川 私はいつもモチベーションは充実感、達成感、満足感の3つであると言っています。この3つの中で、一緒にものづくりの具体的案件に取り組んでいるときの充実感、喜びはすごく大きいですが、やはり製品ができたときの達成感は充実感の何倍も嬉しいです。けれど、一番嬉しいのが、全然知らない人に「先生の考えたお箸でうちのおばあちゃんが自分でご飯を食べられるようになりました」とか言われるときがあるんですよ。新製品のサンダルを履いてから転ばなくなりましたとか、そういう知らない人から商品を通じて感動の声をもらうといった満足感というのは私にとって無限大だと思いますね。これを一度体験すると充実感、達成感、満足感が正のスパイラルになって繰り返していくうちに160を超える新製品の開発に携わるようになりました。今はやりの地方創生でいいますと、何もやらない地域では若者は18歳になるとその地域を捨てて東京に出てきてしまいますが、先ほど言ったような魅力的な製品を作れるようになると、それを作る会社、そしてサポーターの地方自治体や大学があるということになって、そういう魅力的な新製品が生まれるところに人は流れていくように思います。それが積算されると地域産業というものが生まれてきますので、正のスパイラルで地域産業が蓄積されていく地域と、負のスパイラルで若者が出て行ってしまう地域のコントラストがこれから大きくなってきます。地方も7割は勝てるかもしれないけど3割は潰れちゃうってなっていかざるを得ないです。

加島 確かに地方はこれから勝ち組と負け組に二分化されると言われていますね。

堀切川 国全体では高齢者だけ増えて若い人が減っていきますが、このことは実は大きなことではなくて、それよりも中小企業において下請けの仕事がなくなってしまい大企業が悪いと言って潰れていくのか、それとも暇になったので新しい商品を作りましたというのか、その違いで地域が活性化されるかどうかが変わってくると思います。私は他の地域でも企業への御用聞きをやっていて、日本全国で4つの県以外は全て行きましたが、そうしたら内閣府の復興庁も被災地での企業への御用聞き活動を始められて、国のほうでも私の取り組みのモデルが取り入れられるようになってきました。これからは、新しい産学官連携スタイルとして、仙台堀切川モデルや福島堀切川モデルを基にした取り組みが経済産業省や内閣府復興庁の主導により急速に全国各地域に普及するのではないかと思います。

加島 それは素晴らしいことですね。

ハイテクよりローテク、ノーテクを

堀切川 後は全国区の大企業さんとも共同で新製品開発を行うことがあります。大王製紙さんとは世界一摩擦係数が低いティッシュペーパーを数年がかりで根本から作り直しましたが、それまで大王製紙さんはティッシュペーパー部門で業界でずっと3位だったところこの新しいエリエールのティッシュで1位になりました。このプロジェクトは、安売りさせない高品質の製品を作ろうというのが目標でした。圧倒的な高品質のものを用意して、消費者が一箱10円高くても良い物を買うというアンケート調査があったので、値下げをさせないような売り方をしたのですね。最初は他社から安売り攻撃を受けたのですが、結局は消費者に高品質のティッシュが評価されて、売上は盤石なったようです。これも先ほど申し上げたライフサポートテクノロジーなんですね。自らの日常生活でしょっちゅう使うものに対して、技術的に差別化を図ってよりいい物を作るとうまく行くというのは、中小企業で今までやってきたことと同じスタンスなのですが、それが大企業との共同開発でも証明されたというのはすごくありがたいことでした。ただ、このようなエリエールの例はハイテクで何年もかけて大学院生と組みながらやってきたものですが、これは例外でして中小企業さんにとっては実はローテクで今までにないものをいくらでも生み出せるのですね。私はハイテク、ローテクという言葉が嫌いでして、あれは間違いだと思うのですよ。分けるとすれば、ニューテクかオールドテクなんですよ。もっと言うと、ローテクというのは何にでも使えて広がってきた基盤技術なんですね。ベースになるテクノロジーなんです。それを使ってうまくいくのが王道でして、それができない時にニューテクノロジーという言葉を使うと思っています。このように、イノベーションはローテクから生まれると私はいつも申し上げております。

画像12

平成の花咲かじいさんを目指す

堀切川 もうすぐ平成も終わってしまいますが、地域の中小企業と連携して新製品の開発に花を咲かせると意味で、私はずっと「平成の花咲かじいさんを目指す」と言ってきました。今までいろいろな中小企業さんを応援してきて、これだけの成功事例を作ることができたということは、全部の企業とはいえませんが元気な中小企業はあと一歩で成功する力を持っていると思うのですよ。ただ、そのあと一歩をどこに進めたら良いのか、どうやれば売れる製品になるのか、その体験がないので壁にぶつかっているわけですね。そこで、私はそのような企業さんの背中を押す係だと思っています。

加島 「平成の花咲かじいさん」というのは面白い例えですね。

堀切川 以前に、「気がつけば 連携成果 白寿越え 山岳間に 花咲きわたる」と詠んだことがあるのですが、100件以上の製品開発に携わる中で、爺さんで、産学官で、企業さんが主役で開発を行い、満開の花を咲かせるのはあくまで企業なので、私の仕事というのはアイデアを出して実用化まで誘導すること、背中を押すことだと思うのですよ。ただ、それだけでもこれだけの成果を出すことができたのは、国内で山ほどある中小企業さん、頑張った企業さんを累積するとそうなるということなんですね。これからもそういった地方の中小企業の後押しをするような活動に取り組んで全国の各地域で小さな新産業を数多く創出していきたいですね。これこそが地域産学連携の新しいスタイルだと思います。

加島 本日はとても長い時間に亘って非常にためになる話をお伺いすることができ、ありがとうございました。

(取材日:2019年1月22日 東北大学青葉山工学部キャンパスにて)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?