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何でも良いは何でも良くないんだ本当は


こんばんは。

今日は絶好調なのか、筆が進みます。加瀬です。

最近、テレビを見ていてうわーこれ名言だなあと思うことがあったので、ぜひ皆さんにも紹介させてください。

正確に一音一句覚えている訳ではないので、要約した内容をご紹介させて頂きます。

ゲッターズ飯田さんが話していたことなんですが、

死にたいは、生きたいに変えたいなんだ。生きたいに変えたいけれど、語彙力が足りなくて表現できずに死にたいになっている。
本来なら本を読んだり物を聞いたり、自分の語彙力を上げる活動をすれば、だんだんと死にたいを表現できるようになる。そうして自分がどうすれば生きたいに変わるかわかるのだ


こんな内容を話していたのですが、


すごくないですか?



なんか、目から鱗な気分なのだけれど、

すっと懐に落ちるような…不思議なお話です。

考えてみれば、私もそうなんです。ずっと死にたいと思っているけれど本当は死にたいわけではなくてもっと現状を変えて楽しく生きたいのです。

言葉に変えると簡単なことなのだけれど、やっぱり語彙力が足りなかったのでしょうね。

反省します。


その話に少し付随して思ったんですが、

何でも良いって言葉もこれと同じようなことなんじゃないかと。

例えば、ご飯何が食べたい?や、今日は何したい?と聞かれたとき。

私たちは思った以上に何でもいいを多用しています。

けれど、実際には何でもいいわけではなくて、

(美味しければ)何でもいい。

(楽しければ)何でもいい。

このように、何でもいいの前には()がつくのです。

そして掘り下げると、私たちはその時に聞かれて即答できるような料理を知らなかったり、食べたい味を表現できなかったりします。

楽しい気持ちになるような、今すぐできそうな遊びもまた、知らないということに気づいたのです。

つまり、語彙力を高めることや、新たな知識を得ること、そういったことにnoteを続ける価値や意味があるのかもしれないなあと、ふと思いました。

この先継続して、何か変わるのが楽しみです。

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