笠川 真一朗

京都市南区在住 平安高硬式野球部→立正大硬式野球部→松屋銀座百貨店→芸人(ワタナベエ…

笠川 真一朗

京都市南区在住 平安高硬式野球部→立正大硬式野球部→松屋銀座百貨店→芸人(ワタナベエンターテインメント)→ライター(朝日新聞社4years.)→京都ハンナリーズ広報 https://4years.asahi.com/author/11003100

最近の記事

やんちゃもんの後悔

「やんちゃそうな人が多いなぁ」平安高校に入学して初めて3年生を見たときに僕が思ったことだ。ただやんちゃなだけじゃなかった。何かオーラのようなものを纏っていて神々しさがあった。顔つきも本当に漢らしくてかっこよかった。練習中の雰囲気も本当に厳かで隙が無く「これが平安か!」と僕は口を開けながら見ていた。そして先輩達は6年ぶりに夏の甲子園出場を決める。そんなかっこいい3年生の姿に僕達は強烈に憧れた。 それに比べて、僕達の学年は比較的、真面目で大人しい人間が多かった。しかし、その中で

    • 諦めることを諦めた

      「戸嶋一貴(とじま かずき)」という奇跡を起こした正捕手がいた。3年間、一度も監督に褒められたことがない男だ。ただただ野球を楽しんでいた中学時代。突き抜けた能力は無い。オールBの能力で中学レベルなら野球が楽しめた。なぜ平安から誘いがあったかも未だにわからない。1番最初に声をかけてもらったのが平安だった。ただ漠然と甲子園に行きたくて、伝統もあって、家から近い平安に行くことに決めた。嬉しかったけど最初は断ろうと思ったらしい。「平安キツいからな。でも高校野球なんてどこもキツいよな。

      • 平安のエース

        「太田 翼」というサウスポーが僕らのエースだった。公式戦初登板は3年夏の大会の準々決勝。この日が来るまで原田監督はエースを隠し続けた。 太田は中学時代に僕と同じチームの生駒シニアでプレー。現在、読売ジャイアンツの今村信貴と二枚看板だった。弱小チームだったが太田と今村がいたから試合にもそこそこ勝てた。打っても投げても何をしてもセンスがあって本当に頼れる存在だった。そして平安高校に進学。卒業後は近畿大学でプレー。そして社会人野球の強豪・日本生命へ入社。3年間プレーして野球を引退。

        • 練習試合で監督が流した涙

          取材に行けない。そしてアルバイトも休業になった。 正直、仕方がない。どうしようもない。 「逆にチャンス!」すぐにそう思えるのだからバカはラッキーだ。 そもそもハナから貧乏ったれ。失うモノもそんなにない。 僕は高校時代の恩師である平安高校・原田英彦監督の教えを伝える書籍を出版するという目標がある。 その目標を達成するための大切な時間にすれば、マネタイズが後ろにずれるだけで、今の時間に確実に良い意味を持たせることができる。可能性を拡げる時間にすると決めた。 そして、この目標は監督

        やんちゃもんの後悔

          僕とお母さんと高校野球

          どうしても友達に送りたかった写真があったので、高校のときに使ってたガラケーを久しぶりに手にしました。 すごい懐かしい写真がもりもり出てきました。 普段から厳しいルールや規則で縛られた僕たち平安高校野球部員には緊張の糸が解ける瞬間が一般的には少ないですけど多少ありました。 もちろん法に則ったルールの上です。そのルールの上で健全かつアホみたいなことで信じられないほどおもしろい遊びをしてたことを思い出しました。 北海道の修学旅行でこっそり宿を抜け出してカラオケに行ったときの動画は今

          僕とお母さんと高校野球

          ありがとう井上

          高校時代のお話。 と言っても僕の話ではなく同級生である井上壮という男のお話。 先日、会ったので良い機会だから書く。 井上は中学時代から神戸中央シニアというバキバキの名門チームで兵庫選抜にも選出された有名な右投手だった。僕もシニアリーグに所属していたので神戸中央のことも井上のことも、もちろん知っていた。 そんな井上とは平安高校で出会う。 性格はヤンチャな一面を持ちながら、実直で誠実な男。練習でも手を抜かない。人の見本になるような人間で、野球小僧そのものだった。 実力のある中学

          ありがとう井上

          スタメンを提案する仕事

          平安高校時代のお話を。 試合に出場するスタメン9人を決めるのは監督さんの役割です。 僕は試合前に自分が考えたスタメンを監督に提案します。 それがマネージャーの仕事でした。 そして監督が試合のスタメンを決めます。 監督『なんで◯◯を7番に下げた?』 笠川『昨日のシートバッティングがあまりにも良くないと思ったので下げました。逆に◯◯のほうがシートで結果残してるので打順を上げてみました。◯◯は今、自主練も遅くまで集中して頑張ってます。』 監督『よし、じゃあそれでいこか』

          スタメンを提案する仕事

          智辯和歌山と僕。

          昔のお話を。 毎年、智辯和歌山と練習試合が組まれていました。 当時の平安高校の亀岡グラウンドに毎年、智辯和歌山さんが来てくださいます。 僕にとっても毎年の楽しみでした。 グラウンドの駐車場にバスの到着を迎えに行くのはマネージャーである僕の仕事です。 亀岡グラウンドの急な勾配の坂を下ってくる智辯和歌山のバス。 運転席に見えるのは高嶋仁監督です。 『ほんまにあの監督、バス運転してはるわ。すごいな。』 と1年生の頃、初めてその光景を目の当たりにしたとき何とも言えないザワザワ

          智辯和歌山と僕。