僕とお母さんと高校野球

どうしても友達に送りたかった写真があったので、高校のときに使ってたガラケーを久しぶりに手にしました。
すごい懐かしい写真がもりもり出てきました。
普段から厳しいルールや規則で縛られた僕たち平安高校野球部員には緊張の糸が解ける瞬間が一般的には少ないですけど多少ありました。
もちろん法に則ったルールの上です。そのルールの上で健全かつアホみたいなことで信じられないほどおもしろい遊びをしてたことを思い出しました。
北海道の修学旅行でこっそり宿を抜け出してカラオケに行ったときの動画は今見てもゲラゲラ笑えるものでした。
そんなものばかりが僕のガラケーには眠っていました。

そういえば、メールはどうなのかなと。メールボックスを見ました。当時のままメールボックスには数々のメールが残ってありました。
女の子に振られる返事のメール。
地元の友達や中学の担任の先生からの甲子園に出場したときのお祝いのメール。
もう平安を辞めたいと考えてる同級生からのメール。(そいつは最後までしっかり誰よりも頑張りました。)
そして、母親からのメールです。
そのメールを見て色々と当時のことを思い出しました。

僕は平安高校在学中、1年生の頃は実家がある奈良から京都まで電車で通っていました。
歩いてる時間とかを含めたら家から学校まで1時間30分くらいかかる道程です。
誰よりも早く学校に行って顧問室の掃除をして1日が始まり、夜の全体練習が終わって自主練習が全員終わってから誰よりも遅く帰るというのがマネージャーです。
朝は5時の電車に乗って夜は終電で帰る生活でした。寝れる時間は4時間、5時間です。
それより少ないときもありました。

帰りの電車で寝過ごして終電がなくなって、携帯がないから公衆電話で家に電話して、それから車で迎えに来てもらうこともありました。
そして寝坊をすれば取り返しがつきません。絶対に間に合わないので、仕事前の母親に奈良から京都まで車で送ってもらうことも。

帰りの迎えの車で『最近どう?』話かけられても疲れた僕は『ほんま喋りかけんといて、疲れてるねん寝させて』と言ったり。
寝坊したときは自分が悪いくせに『いやほんま間に合わんって、はよして』と言ったり。

当時は自分のことだけに精一杯で余裕が本当になくて親に対してものすごく悪い態度をとっていました。家でまったく喋らなくなりました。

僕は高校に入ったとき太ってたんですけど、どんどん痩せていって表情も悪くなってきたのか2年生になる前の冬に原田監督から『お前最近大丈夫か?元気ないぞ。しんどいか?気付かんくて悪かった。』と声をかけられた日がありました。僕はもうそのとき何かの糸が切れたのかズタボロに泣いたことを覚えています。

それから僕は監督さんや担任の先生や両親を交えていろいろ話をして学校の近くでひとり暮らしをすることになりました。
というのも、寮はあったんですけど、将来のこととマネージャーという立場もあって、そして何よりも笠川は悪さを絶対にしないというそこに関しては謎の信頼もあって『ひとりで暮らしたらまたいろいろ勉強になって自立をすることでマネージャーとしての成長に繋がる。』という話です。
後々、話を聞いたら『安心してください、僕もちゃんと様子は見に行きます。あいつは大丈夫です。』と監督から話をされていたようです。まったく知りませんでした。
僕にとっても寮でみんなと暮らすより、また違うところでひとりで暮らすことで違った何かが見えてくるんじゃないかなとめちゃくちゃポジティブに考えました。
あと何より ひとり暮らし ってめっちゃかっこいいやんとシンプルに思いました。

そして、ひとりで暮らすことに。

最初は帰ったら洗濯をしてご飯を作ってという生活はそれはそれでしんどかったです。何より家族が近くにいないことがめちゃくちゃ寂しいと思いました。
あれだけひどい態度を取ってた人間がです。
そこでめちゃくちゃ反省して気がつきました。

しんどいのは僕だけだと思ってたんです、野球をやってる自分がそんなに偉いか、誰にやらせてもらってるのか。高校に通えるお金は親のお金、今ここでひとりで暮らせてるのも親のお金。このひとり暮らしのお陰で僕は本当に家族への気持ちと平安高校で頑張ろうと思う気持ちが改めて強くなりました。

朝も夜も僕で寝れてないのに、親は僕以上にもっと寝てません。夜ご飯も朝ごはんもお弁当も当たり前のように親が用意してくれてました。そして仕事に行くんです、お母さんもお父さんも。
どっちが辛いかは明白です。
僕は自分の為に、親は僕の為に。
頑張るベクトルが僕に向いてるのに、そんなことに気付かず、僕はとんでもない態度で親に接していました。大馬鹿野郎でした。

ひとり暮らしを始めてからもそうです。
監督や森村先生に死ぬほど怒られて、自分のバネにするだけでいいのに、誰にもぶつけなくていいのに、ワンワン泣きながら八つ当たりするかのように母に電話をする日もありました。

今思えば基本的に母は、ぎゃあぎゃあ泣きながら喋る僕の話をしっかり聞いてくれるスタンスでした。
そして聞き終わって後でメールで死ぬほど的確で自分の小ささに気づかせてくれ?内容のメールを送ってくれました。
家族は本当に偉大です。母は偉大です。
そんなことを高校野球が教えてくれました。
本当に有難い経験です。

結局、僕が何を言いたいかというと…

↓↓↓↓↓

高校、大学と野球を続けるのはそれはそれは簡単なことじゃありません。めちゃくちゃお金かかってます。えげつない金額です。

そして僕なんかマネージャーです。
親からしたら子供が甲子園で試合に出てるの見たいじゃないですか普通は。
すごい両親やと思います。
それでも試合に出て活躍できるのは、9人。
そしてベンチ入りメンバー。たった数人です。
そしてその中からプロや社会人で野球を続けてお金をもらって野球を仕事にできる人間もさらに一握り。めちゃくちゃ厳しい世界です。
グラウンドでプレーする選手の裏にはスタンドで声を枯らす部員がいます。
メンバーに入ってグラウンドで活躍する選手の親御さんはスタンドから少し遠くに見えるグラウンドの中にいる息子を見守ります。
メンバーに入ってない選手の親御さんはグラウンドにいる選手を応援している近くにいる息子を見守ります。
これってすごいことなんです。
本当に野球は勝負の世界やと思わされる瞬間です。
僕がいちばん胸が痛くなる瞬間そして熱くなる瞬間です。
グラウンドにはスタンドには本当に現実が詰まっています。
いろんな人のいろんな想いがあって、野球は成り立ってると常に思います。
同じような量の練習して、同じようにたくさん自主練習もして、なぜこんなにも違いが出るんだと思うときも僕にだってあります。
してない人が試合に出てることだってあります。でもそれはしょうがないです、大切なのは結果です。勝つためには結果です。
その勝負の世界で立派に活躍することは何よりの恩返しやと思います。
それが出来る人は本当にかっこいい。

ただ、それ以外でも絶対に恩返しはできます。高校で3年間頑張ったこと、それがあれば大切な何かが必ず身につきます。
いいじゃないですか。
ランナーコーチをしてても、
スタンドで応援してても、
ボールボーイをしてても、
マネージャーでも、
いいじゃないですか。
自分が『これだけは頑張った。』と胸を張って言えることがひとつでもあれば、それで大成功です。
その身についた一生錆びない経験をしっかり社会で使えることが出来れば、野球が終わってからのその後の人生でも絶対に恩返し出来ます。
絶対です。

僕が選んだ恩返しの方法は『野球で培ってきたもので世の中に出て行く。』ことです。それで家族に恩返ししたい。と思って行動してたら、テレビに出れたり、ラジオに出れたり、トークライブをして多くの人が集まってくださったり、取材を受けたり、取材をして記事を書いたり。なかなか普通は経験できない仕事が野球のおかげで出来るようになりました。
ただ、まだまだです。
でもまだまだ叶えたいことはあります。
僕は本当にまだまだです。
高校、大学と私立の名門で野球をして、卒業して立派な百貨店で社員としてしっかり給料もらって働きました。安心安心と思ったら今度は辞めて芸人になってアルバイトで必死に食い繋ぐ息子のことは本当に心配で心配で仕方ないと思います。
でも僕がそういう道を選んだのも、やっぱり野球です。全部、野球なんです。
お父さん、お母さんが僕にやらせてくれた野球なんです。
そんなまだまだな僕が胸を張ってお父さん、お母さんに『育ててくれてほんまにありがとう』と言える日はまだまだ先か、意外と近くにあるか、それはまったくわかりませんが、僕はこれからも自分の為に全力で頑張るのみです。それが家族の為になると信じてます。

と、昔のガラケーが今の僕にとって大切なことを教えてくれました。

野球を今してる学生も、野球を終えた人たちも、野球を見守る親御さんたちも、野球を通して人生を豊かにしてほしいなと思います。

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