やんちゃもんの後悔
「やんちゃそうな人が多いなぁ」平安高校に入学して初めて3年生を見たときに僕が思ったことだ。ただやんちゃなだけじゃなかった。何かオーラのようなものを纏っていて神々しさがあった。顔つきも本当に漢らしくてかっこよかった。練習中の雰囲気も本当に厳かで隙が無く「これが平安か!」と僕は口を開けながら見ていた。そして先輩達は6年ぶりに夏の甲子園出場を決める。そんなかっこいい3年生の姿に僕達は強烈に憧れた。
それに比べて、僕達の学年は比較的、真面目で大人しい人間が多かった。しかし、その中で異質の存在感を放つ同級生がいた。「坂口 隼斗」という男前のサウスポー。大阪の中学校出身ですごくやんちゃな男だった。中学生の頃から何度か対戦したことがあって、僕も坂口の存在を知っていた。僕は肩が強くて球が速かったのでたまに投手として試合で投げていた。坂口のいるチームの打者にデッドボールをぶつけてしまい、試合後にそのチームのバスに拉致されたこともある。喧嘩とかそういう乱暴な事とはまるで無縁だった僕は心の底から怯えていた。そして帽子を奪われてツバを折られた(笑)
坂口は野球の実力は高いけどまともに練習をしない。素行不良の中学生だった。「お前は平安に行け。」と、所属していたシニアの指導者に平安に行くことを決められた。「練習キツイから最初は行きたくないなと思ってたけど、なんやかんや平安に行けるっていうのは嬉しかったよな。頑張って甲子園行こうと思って平安に行くことにした。」坂口はそう思って平安に進んだ。
平安での生活が始まった坂口は当然、平安の練習や守らないといけない最低限のルールに戸惑った。それだけじゃない。もともと普通に学校生活を送ることにも慣れてなかったやんちゃな坂口はグラウンド以外でも苦しむ場面が多かった。今でも覚えている。入学初日に担任の先生にありえないくらい歯向かって大説教を受ける姿を。「この人は筋金入りだ」と僕は思った。「何回も辞めようと思ったし、無理やと思った。浮いてたし。野球部のやつらと一緒にいても楽しくなかった。」と坂口は振り返る。当たり前のことを当たり前にやろうとしない坂口は本当に野球部から浮いていた。野球部よりもサッカー部の人たちとよく一緒にいた。楽な道へ、楽な道へ。志を持たずに、ただただ漠然と毎日やらされるように練習についていった。
3年生が引退して新チームになった。3年生の勇姿を見たのか、坂口も少しずつ、本当に少しずつ変わっていった。そして、冬が明けて春になると背番号1番を付けていた。もともとポテンシャルが高くて、身体の柔軟性も凄まじかった。投手として素晴らしい能力を持っていた。「普通にやれば間違いないのになぁ」とみんな最初から思っていたはず。それくらい実力があった。
春の大会前に坂口 対 3年生で試合をした。「おい、絶対抑えてこい。このままエース取るつもりで気合入れていけよ。」監督からそう声をかけられた。1番を付ける坂口と3年生の意地を試したんだと思う。坂口はここでボコボコに打たれた。そして春の府大会も1次予選で敗退。まったく結果を残せず、期待に応えられなかった。「たぶんあの時の1番は3年生の投手に危機感を感じさせるためにもらった1番で。それは感じていた。でもせっかく1番もらったから、このまま付けときたいなと思った。でも春に負けてから頑張ってるつもりでも、全然うまくいかなくて。どんどん落ち込んでいったな。考える余裕がまったく無かった。」坂口はどんどんダメになっていった。ダメなときの坂口はとにかくわかりやすい。走っていても投げていてもそれが顔に出る。やんちゃだけど気持ちは強くなかった。
監督は坂口にとにかくいろんなことを伝えていた。ただ叱るだけじゃない。何か意地を試すような、奮起を促すような、そんな気持ちがあるように僕は見えた。監督が坂口に期待してるのは「やんちゃもん」ならではの反骨心だった。坂口にそれがあれば、間違いなく最高の投手になると僕も感じた。でもこの時の坂口はそれがわかっていなかった。マウンドで打者に対峙していく投手は誰よりも気持ちが強くないといけない。高校野球は1発勝負。半端な人間には務まらないのが投手というポジションだ。ある日の練習試合で坂口は立ち上がりから調子の良くない日があり、すぐにマウンドから降ろされた。その時、監督が坂口に伝えた言葉を鮮明に覚えている。「お前は今日の試合、完全試合で抑えようと思ってマウンドに立ったか?」そう言った。坂口は自信が無さそうに返事をした。「そら、こうなるわな。投げる前から決まってんねん。何のために練習してんねん。何のためにマウンド立ってるねん。おれは野手やけど、10回打席立ったら、10回打ったろうと思って打席入ってたけどな。そうじゃないと後悔せえへんか?そう思ったら練習も頑張れへんか?そうじゃない自分に腹立たへんか?勝ちたくないか?必死になれよ。甘すぎるよ。自分に甘すぎる。」監督は坂口に向けて強く言った。僕はこの言葉を強烈に覚えている。試合で最高のパフォーマンスを発揮しようと思ったら日頃からの準備が必要不可欠。目標達成に向けてこれでもかと準備をするから良い練習になる。その準備をして試合に挑んだ結果がまた何かを教えてくれる。野球の魅力はこういう部分にあるんだと監督の言葉が教えてくれた。監督は決して目先の結果だけで怒らない。日頃から坂口の姿勢を見てるから、そう伝えたんだと思う。
坂口は野球に取り組む姿勢に関して指導されることがとにかく多かった。それでも簡単には変われない。坂口にはうまくいかないことがあまりにも多すぎた。うまくいかなくて、辛くて楽しくない。その気持ちが大きかった。
そして新チームを迎えた2年生の秋、坂口は練習中にグラウンドから逃げ出した。グラウンドから京都・亀岡駅まで歩いて45分。財布だけを持って駅に向かい、電車に乗って家に帰った。それから学校にも来なかった。僕は坂口と同じアパートで下宿をしていた。部屋のベルを鳴らしても出ない。部屋の中から物音も聞こえない。電話にも出ない。だから坂口の父親の携帯に連絡した。大阪の実家に帰っていた。朝が弱くて、寝坊の多い坂口を毎朝起こしてから僕は学校に向かっていた。僕は坂口が消えてからも部屋にいないとわかりながら同じように毎朝ベルを鳴らして学校に向かっていた。もしかしたら帰ってきてるかもしれない。そう期待していた。すごく寂しかった。どうか辞めないでほしかったし、すごく心配だった。やんちゃだけど、僕もよく理不尽に坂口に殴られていたけど、悪いやつじゃなかった。素直でいいやつだったから。嫌いになれなかった。それはみんな知っていた。最初は浮いていたけど、どうにか授業も寝ないように頑張ってたし、なんとか練習についていこうと踏ん張っていたのもみんなわかっていた。スタートの時点では周囲の人に比べるとたしかに劣っていた。でも気付けば素行不良の坂口の姿はさっぱり消えていた。だから、みんな声をかけた。そしてそんな坂口を変えたのは決して見放したりしなかった監督や森村先生(部長)や杉山先生(副部長)だった。愛のある厳しさで坂口を徐々に良い方向へと変えていった。だからこそ、ここで辞めたら、ここで逃げたらダメだと。最後までやり遂げてほしいと。僕はそう思いながら坂口が帰ってくるのを待った。
そして「ここで辞めたら何も残らない。しんどいけど、最後まで頑張ろう。」そう思った坂口は1週間後くらいに帰ってきた。帰ってきた坂口を誰ひとりとして責めたりしなかったし、みんな待っていた。坂口はそれがすごく有難かった。「最初は頭がいっぱいいっぱいで人の気持ちを考える余裕がなかった。気持ちが落ちていた。でもおれはみんなに迷惑しかかけてないのにみんな支えてくれたし、背中を押してくれた。普通やったら見捨てられてる。めちゃくちゃ助けてもらってた。それは今でもすごく感謝してる。」と坂口は言う。
そして冬の練習がはじまった。前回の捕手・戸嶋について書いた内容にもあるが、冬の練習では全員がタイムを切らないと終わらないトレーニングがある。このトレーニングでなかなかタイムが切れない坂口は「みんなにまた迷惑をかけてしまうと思ったし、タイムを切れない自分が悔しかった。」体力のない坂口は毎朝早くに学校へ来て、学校の近くにある梅小路公園で一生懸命に真冬に大汗をかきながら走っていた。もともと何かを毎日継続して過程を積み重ねることができなかった坂口。それでも「弱い自分に打ち勝つために頑張ろうと続けた。気付くのが遅かったけど、みんな本気で頑張ってたし、自分もその中に入りたかった。もう裏切りたくなかったし、一緒に甲子園に行きたいと思った。いっぱい怒られたけど、その気持ちだけで毎日頑張れた。」と強い決意を持って、最も苦手だったことに自分から取り組むようになった。その姿が本当にかっこよかった。そしてタイムも切れるようになっていた。このしんどい冬を乗り越えた坂口は人間として野球人として確実に変わった。
そして自信も身に付けた。春先の沖縄遠征でも沖縄尚学を完璧に抑え込み、結果も徐々についてくる。冬の成果が表れたことが嬉しかった。しかし春の大会の準決勝では福知山成美にボッコボコに打ち込まれて、猛烈に落ち込んだ。監督にもいっぱい怒られていた。でもこれは今までと違う感覚の落ち込みだった。「まだまだこんなもんか。でもなんとかこういう強い相手を抑えたい。このままじゃ終われない。」そう思ってすぐに前を向いた。どれだけ怒られても良い意味で気にしなくなった。下を向いてる時間が坂口には無かった。ラストチャンスの夏の甲子園に向けて、チームにも一体感が生まれてきた。坂口も練習中に同級生や後輩に発言することが増えた。自分でやらないと人に言えない。人に言えるだけの努力も坂口は積み重ねるようになっていた。そして練習試合でも結果を出すようになっていた。しかし、活躍すると同時に後悔もした。「悔しいな。でも長い間、逃げ続けて頑張ってなかったからエースにはなれないやろうな。もっと頑張ってれば、エースになれたかな。なんでもっと頑張れへんかったんやろ。」夏の大会が始まる前に坂口は自分の過去を悔やんだ。でも、その後悔が坂口の背中を押した。「エースになれなかった原因がわかってるから余計に悔しかった。でも、もう最後の夏やから。今の自分ができることは全部やろうと思って必死に投げたよ。」坂口はエースにはなれなかったけど、何度も自分を救ってくれたチームに対して、そして自分に対して、何か良いものを残したかった。だから絶対にマウンドに立って、相手を抑えたい。最後に3年生らしい活躍をしたかった。そして坂口は夏の大会の3回戦。先発投手としてマウンドに立った。
1対0の完封勝ちだった。初回に取った1点以降、援護が無かった。それでも決して動じることなく、ひとりずつ丁寧に、丁寧に。しっかり腕を振ってゴロを打たせるように低めに投げ込んだ。走者を出しても牽制で殺す。坂口はこの試合、1塁牽制で3個のアウトを奪った。どんなにダメなときでも背中を押してくれた仲間のために、弱かった自分を強く変えてくれた指導者のために、そして後悔ばかりを繰り返した自分自身のために、今度は坂口が懸命に腕を振ってチームを勝利に導いた。夏の坂口はすごく頼もしかった。4回戦でも先発して好投して試合をしっかり作った。坂口がいなかったら、このチームはどうなっていただろう。与えられたところでとにかく一生懸命に。坂口は次にバトンを繋いだ。
そしてしっかり勝ち上がって京都大会で優勝し、甲子園出場を決めた。
「お前がおってよかった。」怒られ続けた監督にやっと褒められた。「あぁ。頑張ってきてよかった。」と甲子園に行ける喜びと監督からの一言が嬉しかった。そして甲子園でもマウンドに立った。9回表のビハインド、無死1塁からマウンドに。堂々たる投げっぷりで打者3人12球で完全にねじ伏せた。最後の打者からは見逃し三振を奪った。左バッターのインコースに力強いシュートを投げ込んだ。最後に今までで1番のベストピッチングを見せた。
「甲子園もそうやけど、夏の大会は予選からずっと投げるのが楽しかった。もっと投げたかった。最後の三振は最高やったよ。めちゃくちゃ気持ちよかった。」あれほど嫌になって辞めようとした高校野球を最後は楽しむことができた。僕は本当に感動したし、嬉しかった。もっと投げてる姿を見ていたかった。
監督は坂口にずっと求めていたことがある。「もっと3年生らしい気迫を見せないと。もっと投げたいっていう気持ちを自分から見せないと。自分から『投げたいです!』って言えるくらいにならんとあかん。もっと自分自身を人に見せていけって。」監督が求めていたのは技術じゃない。投手としての意気込みや強い気持ちを求めていた。しかし、坂口は引退するまでその期待に応えられなかった。自分から投げたいと言う勇気が坂口はどうしても持てなかった。「3年間、最後まで人の期待に応えられなかった。その悔しさはずっとある。甲子園でも先発で投げたいって言えば、投げさせてもらえたからもしれない。監督もそれを待ってたかもしれない。とにかく最後まで『投げさせてください!』って言う勇気を持てなかった。ビビってたよな。あの3年間は後悔しかしてない。」と坂口は平安での3年間を振り返った。
高校を卒業しても大学で野球を続けた。1年生の春からリーグ戦で投げて勝利投手にもなった。でも「もう野球はいいや」と突然、大学を辞めてしまった。大学で初勝利を挙げたときも監督から連絡がきた。「おめでとう。これからもしっかり頑張るんやぞ。」その電話が嬉しかった。でも野球を辞めてしまって、坂口はまた監督を裏切ってしまった。もう2度と監督の前に顔を出せない。そう思っていた。「野球を辞めて迷惑をかけたし、裏切ったけど、でも平安のおかげで自分の中に芯みたいなのがしっかり残ってた。だから大学を辞めてからもフラフラしなかった。すぐ働きだしたけど腐らずに今も頑張れてる。もし平安じゃなかったから、今でもエグイことしてたかもしれへん。そういう人間やったから。当たり前のことすらできなかったから。おれはとにかく大切なことに気付くのが遅かった。自分のことダサいと思ったし、悔しい経験もした。今はちゃんとそれに気付いたから。気付くのが遅かった分、倍になって自分のところに返ってきてる。前より今の方が監督にも森村先生にも杉山先生にも仲間にも感謝の気持ちが増してる。平安でよかったと心から思うし、みんなと野球がやれて楽しかった。いっぱい後悔はしたけど、嫌ではなかった。なんなんかな、あの学校は。うまく説明できないけど、すごい学校やったと感じるな。」そう話してくれた。
監督とは2度と顔を合わせれないと思っていたが、怒られるのを覚悟して坂口は大学を辞めてから数年後、監督と会って謝った。監督は坂口を許した。甲子園100勝を決めた試合直後、僕は坂口を誘い、差し入れを持って監督のところへ挨拶に行った。坂口はそのときも監督に謝っていて、監督もまたそれを笑いながらイジっていた。僕はその姿を見たとき嬉しくて泣きそうになった。大切な人と大切な人の縁が切れるのはどうしても嫌だったから。
そして、そのずっと前から監督は僕と連絡を取るたびに「あいつは何してんねん。大丈夫なんか?」と坂口のことをよく気にされていた。僕は坂口とも連絡を取っていたし、関西に帰ったときは会っていたから「元気に仕事頑張ってますよ!ちゃんと坂口も反省してます。」と伝えたら「ほなグラウンドにも連れてこいや。もういつまでも気にせんでええから顔見せにこいって。」そう言っていた。監督の温かさや優しさを強く感じた。こういう監督だから僕達は卒業しても会いに行きたいと思うし、応援したいと心から思える。それは坂口も僕もみんな同じ気持ちだ。
後悔しても大丈夫。
後悔してるということを真摯に受け止めて、それを自分の人生に繋げれば、また必ず成長できる。坂口は自分自身の行動によって広げてしまった厳しい現実を何度転んでも立ち上がって乗り越えてきた。それを乗り越える方法に気付かせたのは監督や先生方、そして仲間の存在でもある。たしかに気付くのは遅かったかもしれない。でも坂口は素直で良いやつだからそれにしっかり気付いた。負けっぱなしでは終わらなかった。何度でもやり直せる。
坂口は今も必死に仕事を頑張って、会社からの独立を目指している。この1年が勝負だと言っていた。坂口はきっとその勝負に勝つ。
後悔を後悔のままで終わらせない。
弱気なやんちゃもんは、強気なやんちゃもんに立派に変わった。
だから坂口は勝つ。
平安は弱い人間を強い人間に変える力を間違いなく持っている。
誰よりも熱い漢たちが深い愛情を持って育ててくれるからだ。
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