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練習試合で監督が流した涙

取材に行けない。そしてアルバイトも休業になった。
正直、仕方がない。どうしようもない。
「逆にチャンス!」すぐにそう思えるのだからバカはラッキーだ。
そもそもハナから貧乏ったれ。失うモノもそんなにない。
僕は高校時代の恩師である平安高校・原田英彦監督の教えを伝える書籍を出版するという目標がある。
その目標を達成するための大切な時間にすれば、マネタイズが後ろにずれるだけで、今の時間に確実に良い意味を持たせることができる。可能性を拡げる時間にすると決めた。
そして、この目標は監督が監督でいる間に達成したい。
「いつかできたらなぁ」じゃダメなんだ。だからやる。すぐにやる。
高校時代に書いていた野球ノートとメモ帳を読み返すところから始めた。
未熟なノートだけど7、8年前の自分の文章からは確かな熱量を感じた。

2010年11月14日(日)  対  関大北陽戦

「チームが変わるキッカケになる試合」そういう試合がある。
この試合は間違いなくそんな試合だった。
ランニングスコアを見て頂いたらわかるように、とんでもない試合だ。
試合前の雰囲気は最悪だった。
先攻だったけど先にノックをした。先にノックをするという事は、直後に対戦校がノックをする。土を荒らしたままではいけないからホームベース周辺だけ整備をすぐにしないといけない。僕たちは細かい役割をそれぞれが担っていた。その整備をするのは試合で先発しない投手がやることになっている。投手間で話し合って事前に決める。この日、その作業が出来ていなくて整備をする者が現れなかった。皆さんにとってはどうでもいいことかもしれないが、実際どうでもよくはない。
相手がノックにスムーズに入れない。配慮に欠ける行動だ。そして何よりも自分たちがいつも出来てることが出来ていないのが良くなかった。
「何してんねん上級生。何の準備も出来てないやんけ。いつも出来てることが出来てへんのやから気が緩んでる証拠やろ。」監督の言うとおりだ。試合前にものすごく怒られた。僕も「お前マネージャーやろ。人が気付かへんことに気付けるのがマネージャーや。ボーッとしてるマネージャーなら、別にお前じゃなくていい。」と怒られた。言われてからやるのは誰でも出来る。言われる前にやることこそが主体性だ。監督の言うことに間違いはなかった。
新チームが始まり、最上級生になった僕らは秋季大会で早々に敗れた。「上級生に責任感がまったく無い。下級生のほうがプレーでチーム引っ張ってるやんけ。プレーじゃなくてもいい。上級生が本気にならんと。姿勢で引っ張らんと。夏もお前らで負けるぞ。」原田監督や森村先生に毎日言われ続けていた。たしかに下の学年には恐ろしいほど実力なある選手がたくさんいた。
1番に井澤凌一朗(東北福祉大‐日本新薬)
3番に久保田昌也(國學院大-日本新薬)
4番に髙橋大樹(広島東洋カープ)
一振りで試合の主導権をたぐり寄せる、本当に頼りになる後輩だった。
この秋の段階では僕たち上級生は下級生たちを背中で引っ張ることが確実に出来ていなかった。
試合前ノックから準備が出来ていなかったのも確認を怠った上級生の責任。
実際にこの試合では序盤から上級生のミスで失点を招き、上級生がチャンスを潰した。そして試合の中盤には主将の小嶋(立正大)と内野の軸になる松下(日本大)が交代させられた。試合に出ていた上級生はこの二人だけ。ダイヤモンドの中から上級生が消え、下級生だけになった。結果云々じゃない。上級生の主力であるにも関わらず、チームが劣勢のときに引っ張れないふたりの姿勢を監督は見ていた。だからふたりは代えられた。監督は目先の結果で人を見ない。人の心を見ている。
そして、そんな上級生と比べて、後輩たちの活躍はハンパじゃなかった。
髙橋と久保田はこの試合、2本ずつ本塁打を放っている。本当にバケモノだった。
そして代えられてしまった小嶋と松下はベンチでひたすら声を出していた。どうにかしよう、今できることを、という一心だったと思う。
ランニングスコアを見てもらえるとわかると思う。9回に12点取って試合を引っくり返して勝利した。後輩たちが先輩の尻を拭いてくれた。試合に勝っても誰も喜んでいなかった。下級生は気まずかっただろう。

監督は試合が終わった後のミーティングで泣いていた。
「ナイスゲームや。すごいやんけ。おれはそう思う。」そう言った。
監督はこの試合、ベンチで大声を張り上げたりしなかった。「呆れさせてしまったかなぁ」僕はそんな思いで試合中、監督のことを見ていた。でもそれは違った。監督は僕らの意地を試していた。黙って見守っていた。
「お前らもっと喜べよ。試合、勝ったやんけ。9回に12点取って試合をひっくり返すなんて俺は見たことないぞ。すごいことや。よっしゃー!て喜べよ。上級生も頼りないけど、どうにかしようと思って必死に声出してやんけ。それでいい。普段からそのくらいの責任感持って引っ張っていけよ。やればできるんやから自信持ったらいい。絶対に勝ちたいと本気で思ったら必死になれるやろ?その気持ちは絶対に忘れるな。人に言われてやるんじゃない。自分たちの力でやらないと意味がない。試合に勝って喜べへんのは、人にやらされてるからや。人間なんやから、自分の意志でしっかり喜びを表現せんと。うまくいかなくて悔しいなら、その思いを毎日忘れんと一生懸命に練習して、自分を変えていこうや。」
監督は泣きながら話してくれた。
たかが、練習試合。されど、練習試合。
練習試合で涙を流す監督を見て、僕は嬉しくなった。
「監督も一緒に戦ってくれている。」心からそう思ったからだ。
監督は本当に厳しくて怖かった。怒られるたびに「クッソ!見とけよ!」と僕も選手も悔しくて成長して見返してやろうと頑張る日もあった。でもそれだけじゃない。僕たちに寄り添い、近くで声をかけてくれることもあれば、遠くで見守ってくれることもある。一緒に笑って一緒に泣いて戦ってくれるのが原田英彦だ。だからこそ僕たちは監督や先生たちと一緒に喜びたくて甲子園を目指した。「甲子園なんてどうでもいい。人として自立して卒業してくれ。」監督はいつもそう言うけれど、それでも僕たちはそんな監督を漢にしたかった。

この日の練習試合は確実にチームに一体感が生んだ。
監督が僕たち上級生を信じて黙って見守ってくれたこと、そして試合後の言葉が、臆病な上級生たちの背中を押して勇気付けてくれた。
それから上級生は徐々に逞しく成長していった。プレーの話じゃない。
後輩の井澤、久保田、高橋のように打てはしないが、学年問わずに鼓舞し合えるチームを主将の小嶋が中心になって上級生が作りあげていった。下級生は上級生を立てていたし、上級生も下級生をリスペクトしていた。
夏を迎える頃には僕も感じるほど、みんなかっこいい3年生になっていた。
そして卒業して8年。監督は僕に笑顔で言う。

「お前らヘタクソやったけど一生懸命、頑張ってたぞ。楽しかったな。」

あの日々があったから、僕は今も人生を楽しめてます。
ありがとうございます。



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