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ありがとう井上

高校時代のお話。
と言っても僕の話ではなく同級生である井上壮という男のお話。
先日、会ったので良い機会だから書く。

井上は中学時代から神戸中央シニアというバキバキの名門チームで兵庫選抜にも選出された有名な右投手だった。僕もシニアリーグに所属していたので神戸中央のことも井上のことも、もちろん知っていた。
そんな井上とは平安高校で出会う。
性格はヤンチャな一面を持ちながら、実直で誠実な男。練習でも手を抜かない。人の見本になるような人間で、野球小僧そのものだった。
実力のある中学硬式チームの有望な主力選手がこぞって平安に集まる。中学時代にブイブイ言わせていたヤンチャな人間ばかりで僕は怯えていた。僕みたいなマネージャーで入ってきた人間は『お呼びでないよ。』とそんな雰囲気だった。
それはそう。平安は野球が上手い人が集まる場所だった。僕のようなヘタクソが来るところではない。本来は。
そんな中、井上は『マネージャーも大変やもんな!頑張ろな!』と気さくに僕に声をかけてくれたのを覚えている。本当に嬉しかったし、こういうやつのために僕はマネージャーを頑張ろうと思えた。

入学して間も無い1年生は覚えることがたくさんあった。平安の伝統。アップの動き。キャッチボールなどの基本動作。道具の準備。先輩とのコミュニケーションの取り方。新しい環境に慣れるだけできついのに、ハードな平安の練習は体力的にも精神的にもしんどかったはず。
でも井上は練習が終わった後もすぐに帰らず、学校の前にある寺の周りを走ったりするほど熱心に野球に取り組んでいた。
そして僕たち1年生の動きが遅かったり、まとまりが無かったら、進んで指示を出したりして組織をまとめるように率先して動いていた。

その熱心さが故に周りの選手たちが井上のことを煙たがっている時期もあった。
『あいつ、しらこない?』
※【しらこい】とは関西の言葉で『わざとらしい。』という意味がある。
『調子乗りすぎやろ。』
という人間もいた。
でも井上はそんなことをひとつも気にしなかった。なんて強い人間なんだと僕は思ったから、そういうことを言う選手に賛同することは絶対にしなかった。出来なかった。
そして、そんなマイナスな発言を率先して言う選手はしっかり平安を辞めていった。

井上は僕と同じで、親元を離れ、寮にも入らずに京都でひとり暮らしをしていた。
僕は寂しくなると、よく井上の家に泊まりに行っていた。好きな音楽を聴きながら井上は常にストレッチをしていた。ケガが多い身体なのを自分で知っていたからか、井上は自分の身体とよく向き合っていた印象がある。
そんな一生懸命な井上のことを僕は尊敬していたし、ひとりの友達として好きだった。
『あんなに練習で頑張ってるのに、家でも頑張ってるやん。こいつほんま報われてくれ。』と僕はいつも思っていた。

そんな立派な井上も1度大きな挫折を味わった。
2年生の夏だった。井上は野球部を辞めそうになった。本当に辞めそうになった。
僕は当時、井上から来たメールを昔の携帯に保存していた。
『おい井上、お前最後まで頑張ってんぞ!!すごいことやぞ!!』と引退したときに言うために保存していた。

あれほど野球に真摯に向き合い、チームを束ねようと自分と人のために全力を注ぐ男が平安を辞めるのは絶対に嫌だった。この思いが井上のためになるかは当時考えたこともなかったけど『おい井上、お前は絶対3年間やり遂げるべきや。頑張ってるお前には絶対良いことがあるから。』とその一心だけで井上が一人暮らししていた家に行って泣きながら説得した。
監督や先生もみんな説得して、井上はもう一度頑張ろうと平安に踏みとどまった。純粋に嬉しかった。

それからも井上はケガと向き合い、チームとも向き合った。投手として戦力になることは正直あまりなかったけど、井上の一生懸命な姿勢はチームの大きな力になっていた。
試合で登板することはほぼ無かったけれど井上の『存在感』というものはすごく大きかったから最後の夏、しっかりベンチに入って甲子園のメンバーにも選ばれた。
井上の努力は全員が見ていて知っていたから選ばれて当然のこと。勝つためには強い人間が必要だ。井上はそれを体現したような人間だった。
3年間しっかりやり遂げた井上はすごくかっこよかった。

井上のことを思い出すと絶対に忘れられないことが1つある。
それは最後の夏、京都大会で優勝して甲子園出場を決めて、閉会式が終わった後のこと。
メンバーの選手たちは首から金メダルをぶら下げていた。グラウンド内で写真撮影があった時に井上が僕のところに来て『おい笠川、お前も頑張ってんから、これ!』と自分の金メダルを僕の首にかけてくれた。
一生忘れない本当に嬉しい思い出になった。
辞めそうになったけど、必死に踏みとどまってずっと頑張り続けてやっと幸せを手にした井上がかけてくれた言葉と金メダルはすごく重たかった。こんな人たちがいる野球部のマネージャーを務めている自分にも誇りを感じることができた。

(当時の写真。右下が井上。左下の僕がかけているのが井上の金メダル)

井上は引退したあとも『野球の指導者になりたい』と保健体育の教員免許が取れる大阪体育大学への進学を希望して、野球推薦ではなく一般入試を選んだ。
引退してからも必死に勉強していて試験に見事に合格した。正直まともに勉強をしてこなかった僕たちのような野球部が一般入試で大阪体育大学に受かるなんて快挙中の快挙だった。
在学中には野球部に所属しながら教員免許も取得して、現在は某大手会社でバリバリの営業マンとして活躍している。
僕は井上と先日、東京で会った。井上は普段関西に勤めているが、東京に来た理由を聞くと『良い業績を残したから会社で表彰される。』とのこと。
そんな井上に『なんで仕事頑張れるん?』とサラッと聞いてみた。
『そら、あの3年間あったからやろ。』
と笑顔で答えた。
井上はそういう男だ。
『笠川見とったらおれも頑張ろうってほんまに思うで。』と井上に言われた。
僕も井上を見ていたら頑張ろうと思う。
僕と井上は、野球の仲間は、競技人生を終えても人生において切磋琢磨できる関係だ。
そんな井上の目標は『高校野球の指導者』。
この先、会社で活躍して高校野球の指導者になって素晴らしい野球人の井上が更に素晴らしい野球人を育成していくことが僕は楽しみでならない。
ありがとう、井上。

野球界では今、球数問題など様々な問題が議論されていて向き合うべき問題点がたくさんあるらしい。でもそのほとんどはマイナスイメージを軸にして議論に発展するという事象が目立つように感じる。これが野球界にとって良いことなのか悪いことなのか正直、今の僕にはわからないけど、あまり良い気分にはならない。『野球界のこの部分は素晴らしいから、ここを更に伸ばしていこうよ。』の話がほとんど見受けられないから余計に。僕が知らないだけかもしれないけど。

でも野球をやっていたら、そんな問題を軽く超越するかけがえのない一生の仲間ができる。
とにかく野球の魅力はそこにあると強く思う。
大人になってからその魅力を本当に理解したし、野球の繋がりというのは説明しきれないほど凄まじい。
長く続ければ続けるほど仲間は増え続ける。だからこそ、僕は長く野球を続けてほしいと思う。うまいもへたも関係ない。
野球に携わろうと思ったらどこまででも携われる。
やってきたからそれは確実にわかる。
どうかこの先も『野球を頑張れたから、社会でも頑張れる。』という人たちが増えればと思う。
それだけは信じてたい。
綺麗事でも美談でもなんでもない。
本気でそう思ってるし、実際そうなってる。

そのために、僕も頑張る。

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#教育 #指導

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