スタメンを提案する仕事
平安高校時代のお話を。
試合に出場するスタメン9人を決めるのは監督さんの役割です。
僕は試合前に自分が考えたスタメンを監督に提案します。
それがマネージャーの仕事でした。
そして監督が試合のスタメンを決めます。
監督『なんで◯◯を7番に下げた?』
笠川『昨日のシートバッティングがあまりにも良くないと思ったので下げました。逆に◯◯のほうがシートで結果残してるので打順を上げてみました。◯◯は今、自主練も遅くまで集中して頑張ってます。』
監督『よし、じゃあそれでいこか』
監督『なんで◯◯を試合に出すの?』
笠川『◯◯は学校でもコツコツ頑張ってます。練習でもしっかりテーマに沿って実践してるので出した方が良いと思います。』
監督『そうか。ほなそれでいこや。』
監督『なんで◯◯の名前が無いねん。』
笠川『テストで補講にかかっています。◯◯のほうが一生懸命やってます。』
監督『そらあかんなぁ。じゃあ◯◯入れてみるか。』
監督『◯◯を試合に出してどうなる?』
笠川『最近、打っているのでこのままでいいと思いました。』
監督『昨日の◯◯の練習のプレーちゃんと見てたか?全然、気持ち入っとらんやんけ。ちゃんと真剣に見てるか?無責任に、いい加減なこと言うなよ。マネージャー失格じゃ。』
笠川『◯◯はプレーは全然ダメですけど、声出して必死にチーム盛り上げてます。ベンチにいれたらプラスになると思います。』
監督『そうやな。入れてみよか。』
と、いうような感じで監督は僕の話にしっかりと耳を傾けて、理由や意図もしっかり確認して、そのうえで監督がスタメンを決めていました。
なぜこれをマネージャーがやるのかという理由は僕も考えました。
これは憶測ですが、たぶん合ってます。
それは『監督のもうひとつの目になる』ためです。
監督の仕事は多岐に渡るからです。監督も毎日、練習に来れるわけではありません。
中学野球の視察、大学・社会人への挨拶回り、解説等のお仕事。大忙しです。
『この人めちゃくちゃ大変やなぁ』と僕は現役の頃から察していました。
監督も『お前達からすれば1対1の関係やと思うけど、おれからすればお前達とは1対70の関係や。2年半ずっと毎日、全員の相手をするの難しいぞ。だからひとりひとり自立して自主性を持って考えれる大人になってくれ。』とよく言われていました。
これは大人になるための教育です。
これをわかっている選手とわかっていない選手は確実にハッキリしてました。
いや。わかっている、わかっていないではなかったです。自分で気付けるかと自分では気付けないかの差です。
それをハッキリと理解して自立しようとする選手はきっちりした役割を手にしました。
メンバーはもちろんのこと。
応援団も然り、ランナーコーチも然り。
うまい、へたの技術の話ではありません。人間としての中身のことです。
ちょっと話は逸れましたが、僕がこの役割をしていくうえで大切にしてたことがあります。
それは、自分で『たぶんこういう意図があるから監督はこういう役割を与えてくれてるんやろうな。』と人の意図や気持ちを踏まえて考えることです。
別に監督から『おれのもうひとつの目になってくれ』と頼まれたことは一度もありません。勝手にそう思って自分で考えてやったことです。
そう思うことで選手をサポートするうえで監督と極力同じような目線に立てば何らかのプラスになると思い込んでました。
毎日しんどい練習をして、試合に出ようと頑張ってる選手を試合に出すか出さないかを選ぶという仕事の時点で僕には重苦しい部分もありました。
でもその分、しっかり一人ひとりのことを見ようと思えてより一層の自覚や責任感が芽生えました。
監督にはたくさん怒られましたが、僕がいくらダメでも僕の話をしっかり聞いてくださいました。
最後まで僕が監督についていこうと思ったのはこれもひとつの理由です。
そんな僕は新チームが始まってすぐのOP戦でも秋の大会でも記録員を外されました。
マネージャーとしてあまりにも質の低い仕事を露呈していたからです。
でもその時も監督は僕を野放しにせず、役割を与えてくださいました。
『今日から試合中はノート持って気付いたこと全部書きなさい。試合終わった後のミーティングでそれ全部伝えろ。それで自分らで会話せえ。おかしいなと思ったプレーがあったら、当事者に何でそのプレーをしたか理由もちゃんと聞け。』
と言われてその役割を始めました。
これがすごく勉強になりました。野球が勉強になったというのはもちろんですが、マネージャーとしてどうやってチームの中に入り込んでいくかが勉強になったのです。
仕事の出来ないマネージャーが選手から信頼されるわけがありません。信頼できない人間の話には誰も耳を傾けてくれないです。それは当然のこと。
この役割を最初やり始めた時もあまり良い雰囲気ではありませんでした。『まともにマネージャーの仕事も出来ないお前に、おれらのプレーの何がわかんねん。』という空気感がありました。それはたしかに感じました。自分がチームから浮いてる感じがものすごく怖くて情けなかったですけど、逃げてはなりません。逃げても良いことはないからです。
そんな状況でどうすれば良いかを考えた時に『どういう言葉を選んで、それをどうやって聞いてもらえるようにするか』ということに目を向けました。
チームにどうやって伝えるか。
そして個人によっても言動の受け取り方は違うのでそこも考えました。
ケツを叩くように強い伝え方をすることで理解する人もいれば、優しく諭すような伝え方をすることで理解する人もいます。人はそれぞれです。それを考えるのは、人を深く知ることに繋がって勉強になりました。
それを試行錯誤しながら、話を聞いてもらえるように努めました。
時間はかかりましたが、嬉しいことに会話がめちゃくちゃ増えました。
『外から見てておれのあのプレーどうやった?どうしたらええかな?』
『こういうところ見といてほしい。』
『気付いたことあったらまた言うて。』
と僕が歩み寄ることで、選手も理解してくれて歩み寄ってくれたのです。
みんなとの信頼関係を作れたのは、この仕事のおかげでもあります。
僕も人間ですから情があります。チャンスを掴んでほしい選手に、試合の前の日に『おれ明日、監督に言うてみるからチャンスあったら思い切っていけよ。』と伝えることもありました。きっちり前の日から準備をさせてあげたかったのと、お前の努力はちゃんと見てるから監督にも伝えるよ。という僕の気持ちです。
逆に、良くない選手をベンチに下げるように提案するときは黙ってました。僕から言わなくても外されることの理由は自分でわからないといけないからです。それで拗ねてる人間にはきっちり理由も説明します。『テストの点が悪くて補講かかってるのに、そんな人間が試合出てたら周りに申し訳ないやろ。ちゃんと学校生活も自覚持ってやらなあかんて。監督はそういうところも見てはるよ。』と。
『意地悪なやつやなぁ』
『笠川、絶対おれのあのこと言うたやろ』
と思ってる人もいたはずです。そんなことはわかってます。でも人に優しくして甘やかすことだけしてたら良いことなんてないと言うこともしっかり自覚してたので、そこは容赦なく僕は僕の考えを持っていました。
今これを書いていて『人に強く言われたら弱気になってしまうクソみじめな人間やったのに、マネージャーをやり始めてから自分の考えをもとに人に意見をしっかり主張できるようになったなぁ』と思いました。
わりと人間は成長できてるもんです。
でも成長できたのは、監督からヒントをもらってそのヒントに対して自分で考えて気付こうとしたからだと思います。
スタメンを提案するひとつの大きな仕事のお陰で、僕はたくさんのことを学ぶキッカケになりました。
最後に。
監督が以前、東京で行われた講演でこのように言われてました。
『最近の子はネットワークやらが発達したせいもあるのか、自分で考えるという意識がものすごく低いです。調べればすぐに答えが出る時代なので。自分で考えるという意識が低いと、ひとつヒントを与えてもそれに気付かないのです。だから最近の子供たちにはわかりやすいように「君には、このような良い要素があるから、その良い要素をこのように活かしていこう。」とヒントを多く与えて導いていきます。2年半では短すぎて時間が足りませんので。気付かないまま卒業されても困ります。その後の人生で気付くことも良いのですが、早めに気付くことに越したことはありません。そういう意味では今は僕がいちばん子供達に干渉し過ぎてるのかもしれませんね。』と話す原田監督は若干、寂しそうでした。
『勝てるチームはおれがおらんでも勝てる。大人の集団は、自分らで気付いて、自分らで言い合う。おれが黙ってても勝ちよる。そういうチームにならなあかん。』と僕らもよく言われていました。
事が終わって気付くのは誰にでも出来ます。
事が終わる前に自分で気付いて自立できたら良いなと思います。
僕も、もう大人です。今さら何かをする時に後悔もしたくないので、自分で気付けるように生きています。
あの3年間の間で気付けたから、それが今の人生に確実に活きてます。
終わり。
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