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【連載小説 第7話】初対面の小学生女児から「お父さんと結婚して」と言われた35歳、無職。

●第7話 40分デートするお父さん 



 土曜の朝もまつりが朝ごはんを作りにきた。

 駿が朝食後に掃除や洗濯など溜まった家事を片付けていたら、洗い物が終わったまつりも手伝い始めた。その間、真冬は自分の部屋でピアノの練習をしていた。つっかえてばっかりでBGMにもならないクラシック演奏が響く中でも、二人で掃除するのはなぜか楽しかった。

 そんなことをしていたらレッスンの時間が近づき、3人で家を出ることになったのだった。

 真冬をピアノ教室に送り届けた駿は、駅前のスーパーへ向かった。入り口前では、グレージュのコロンとしたミニリュックを背負ったまつりが、掲示されているチラシを眺めていた。

「お待たせしました」

「いえいえ、何食べたいか決まりました?」

「あー、す、酢豚?」

 まつりからは事前に伝えて欲しいと頼まれていたが、駿は何を食べたいのか考えても思い浮かばず、直前になってしまった。

 酢豚が食べたいわけではない。朝の情報番組で流れていた街中華特集を思い出し、適当に言っただけだった。

「りょーかいです」そう言い、まつりはスマホで酢豚のレシピを検索する。「じゃ、買い物しましょう」

 2人はスーパーの中に入り、まつりはカゴを手にした。

 今日の特売野菜の前で、まつりは「先日は本当に申し訳ありませんでした」と謝った。

「何がですか?」

「子育てをしたことのない私が、偉そうなことを言ってしまって」

 駿は2日前の彼女の怒声を思い出す。あんなに強く叱られたのは、まだ社会人になりたての頃か、はたまた学生の頃、親から……考えてみても、どれかと比べるようなものではない。怖いとか心が委縮するとか、そういう怒りとは違った。突然のことで驚きはしたが、自分の足りないものがはっきりして、まつりならそれを満たしてくれそうな気がしていた。

「むしろ言ってもらえて良かったです。何が正解で不正解か分からず、一人で子育てしてきたので」

「尊敬しますよ、ほんとに」

「いやいや、やめてください。ダメな親です。アイツいつも偉そうっていうか気が強い方だから、俺に遠慮なんかしてないのかと思ってたんですけど」

「お父さんに遠慮させないようにわざとそうして」言いかけて、「うわ、またすいません」

「いいんです、だ、ダメだししてください!」

「いやいや、本当にバカがつくくらいお節介で。私こそダメなんです」焦りながら玉ねぎやピーマンをかごに入れていく。

「そんなことありません。きょ、今日のデート?も、不手際があったら教えてくださいね。その、実は……で、デートっては、初めてで。どうすればいいのか」

 まつりはピタリと止まった。

「は……じめて?」

 駿は北海道札幌市で生まれ育ち、大学入学を機に東京へ。先にこっちへ出て働いていた姉と一緒に住み始めた。

 そして彼が20歳の時に真冬が誕生。父親代わりになろうと決め、それから姉と共に真冬を育ててきたという。昔から消極的な方で友達も多くなく、学生になってからは真冬の世話と大学、社会人になって間もなく姉が亡くなり、一人での子育てと仕事に追われて誰かと遊びに行く余裕はなかったという。

「つまり誰ともお付き合いしたことがない……」

「はい……」

「それでお父さん?」

「はい……」

 うなだれるひょろりとした男性をまつりはじぃっと見つめる。

「すごいです、宇那木さん。尊敬なんてもんじゃない」

「じょ、女性と付き合ったこともないのに女の子育ててるって、意味わからないですよね」

「いいえ。あんな説教みたいなこと言って、恥ずかしくなってきました。酢豚、頑張って作ります」

 駿は誰とも付き合ったことがない。それを他人に話したことがなかった。どこか恥ずかしかったのだ。

 しかも、それなのに父親。

 だけど、まつりには話せそうな気がした。実際に伝えれば、一つも笑うこともからかうこともなく、受け入れてくれた。駿は少しだけ、真冬が彼女に懐く理由が分かって来たような気がした。

「あれ、ちょっと待って。じゃあ宇那木さん、私より年下?」

「30です。今年で31になりますけど」

「……うわ、同じくらいか上だと思ってた。落ち着いてるから」 

「……し、失礼ですがおいくつですか」

「今年で35です」

 平日はコンタクトレンズ、休日と家では眼鏡の駿。眼鏡の奥の目がふわりと下がる。

「姉と同い年なんですね。生きていたら、姉も今年で35でした」

 その瞳はきっと、姉を思い出して優しくなっているのだ。まつりに向けられたものではない。わかってはいるのに、惹きつけられるものがあった。

 自分のようなお節介は、ただ場を掻きまわすだけの存在だ。まつりは瞳に惹かれる気持ちを消すために、次のセリフを吐いた。

「私のこと、お姉さんだと思ってください」

「え?」

「お母さんにはなれないけど、お姉さんにならなれると思います。他人の佐藤まつりにご飯を作ってもらうのは気が引けるでしょうけど、お姉さんの佐藤まつりなら気楽でしょ」そう言い、まつりは豚肉コーナーを見始めた。

 駿は、豚肉を物色する彼女の後姿にもやもやするものを覚えた。やはり、彼にその気持ちは言語化できなかった。

 豚肉をかごにいれたまつりは、ふと、駿を振り返る。

「……眼鏡、似合いますね」

「へ?」

「酢豚以外に食べたいものあります?」

「い、いやあ特には」

「じゃ、付け合わせとか適当に買っちゃいますよ」

 お願いしますと、駿は軽く頭を下げた。

 食べたいものも直前まで思付かず、スーパーに入店しても自分の話をとつとつと話しただけだ。果たしてこれはデートと言えるのか。きっと今日のデートは0点だと、駿は反省し始めた。

 0点のままで終わっていいのだろうか。まつりがヨーグルトを見ている時、そう考え始めた。

「佐藤さん」

「はい?」

「こ、今度、ちゃんと……デートしくれませんか?」

 まつりは手にしていたお腹に良いヨーグルト3パック入りを床に落としてしまった。駿がそれを拾う。

「あ、ありがとう」

「へへ、変な意味はないんです。ただ、初めてのデートがただの自分語りになってしまい申し訳なくて。デートっていうか、お礼ですね。真冬が友達と遊んでる間に食事でも」

「……ぜひ」

 お互い変な意味は心にない。お礼なだけ。

「食べたいものあったら言ってください」

 それでもまたつながった縁に、自然と心が温かくなる二人だった。

 もしかしたら、このまま、本当にパートナーに……などと、まつりは思ってしまったのだった。

 お昼ご飯だけのつもりが、まつりは夕飯の買い出しもし始めた。それを見た駿は、「じゃあ明日の朝はパンにしましょう」などと朝用のイングリッシュマフィンをかごに入れた。

 ぴぴぴ、と駿の青い綿シャツの胸ポケットから音がした。真冬の迎えの時間を、スマホのアラーム機能でセットしておいたのだ。

「すいません、真冬迎えに行ってきます」

「あらら、もうそんな時間」

 駿は財布からクレジットカードを取り出し、まつりに渡した。

「これで払ってください」と、早足でスーパーを出ていった。

 まつりは、クレジットカードの表にアルファベットで記されている駿の名前をまじまじと見る。

 UNAGI。

「ああ、鰻食べたいなあ。高すぎるか。無難におしゃれなカフェとかにするか」と次のデートについて呟いた。

◇◇◇◇◇

 ピアノレッスンから戻った真冬は、目ざとく、二人の気持ちが微妙に変化したことを表情から感じ取った。

 かといって、変にはやし立てたりしない。優柔不断でうじうじした父は、じっくりゆっくりが合っているようだ。まつりも父と同じくゆったりスタイルが合っているらしい。

 今までが急すぎた。いきなり女性を連れてくるのではなく、父の性質に合わせるべきだったと真冬は分析した。

 40分デートの次は、1時間デートだろうか。それはノロノロしすぎか、など、真冬は二人に合ったデートスタイルを練り始めた。


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