かろ / Tomohiko Kato
ご飯関係。
展覧会に行ったときの感想文。Instagramに投稿しているものと基本的には同内容です。
最低限のルールさえ守れば本来方法なんて無いんですが… 「こんな方法もあるよ」ということで、何らか参考にしたり取り入れていただけるようなら幸いです。
陶芸・宗教・都市計画など、多岐にわたるバックボーンを持つ黒人芸術家シアスター・ゲイツ。特に陶芸に関しては日本の愛知県常滑市に1年間留学しており、現在も関わりを持ち続けております。いっぽうTEDのプレゼンテーション動画では、廃墟となった住宅(リーマンショックでしょうか…?)を地域コミュニティの拠点として再生している様が紹介されていたりもしており、その活動内容は非常に多彩。 展覧会も陶芸のみならず、廃材を用いたペインティングやレディメイド、パフォーマンス、膨大な図書のコレク
麻婆豆腐が好きだ。 特別辛党というわけではない。しかし「その気になればどこまでも辛くできる」料理が好きなようで、この麻婆豆腐も、中華を食べる時は相当な確率で注文している一品である。 カレーも好きということを考えると、どうやらご飯にかけられるドロドロ系が好きらしい。ただし私の唾液に含まれるアミラーゼは相当濃いらしく、片栗粉で作られる麻婆豆腐のドロドロをあっという間にサラサラにしてしまう。食事の際は小皿に専用のスプーンで取り分けるなど、注意が必要である。 しかしそれでも
読書記録という、まとめた形で投稿をしてみたいと思います。 いちおう自分ルールとしては3冊以上、合計で1500字ぐらいたまったら更新、というスタイルで行こうかと。1冊単独で感想文が1000字を超えるようであれば、単独で記事を投稿します。すべての本について感想文を書いているわけではなく、実際はもうちょっと読んでます。 そんな感じで、とりあえずよろしくお願いします。 タイ・トレッドウェル/ミッシェル・バーノン 宇佐和通訳『死刑囚 最後の晩餐』(筑摩書房) アメリカでは「ラ
斎藤文夫氏は川崎市議会議員・参議院議員など、政治家として活動していた人物。現時点で6000点の浮世絵コレクションを持っており、ここ川崎浮世絵ギャラリーは氏のコレクションを借りる形で運営しております。今回は江戸中期の鈴木春信から明治の楊州周延まで、浮世絵(主に錦絵)の変遷を時代順に辿った内容。 個々の作品を観るのももちろん良いんですが、個人的には浮世絵史みたいな流れで観るのが楽しかったです。 最後に来る月岡芳年の凝りに凝った描き方を考えると、春信のそれはだいぶ素朴で簡素
少し前から目の調子が悪いとは思っていた。 受験勉強で急激に視力を落とした大学の時以来、基本的には眼鏡着用で過ごしていたのだが、ここ何年か、「眼鏡をかけないほうがかえってよく見える」ということがちょくちょくあった。たとえば美術館で作品を観るときも、眼鏡越しに作品を観るのではなく、上目遣いで作品を観てしまったり、鬱陶しくなって眼鏡自体を外してしまうこともある。 今考えればそれが老眼の始まりだったのかもしれないが、「自分が老眼である」とは一切考えていなかった。38〜39歳
人に悪口を言ってはいけない。 よく言われますし、私自身気をつけているところです。ネットでは努めてそういう話はしないことにしていますが、オフラインでは結構率直なことを言ってしまう時もありますし、オンラインでも「言ってしまった」ということは正直、過去何度もあったかと思います。 しかし、悪口とはそもそもなんだろう。 考えてみると意外に曖昧です。なんとなく「相手を傷つける言葉」ぐらいのイメージはあると思いますが、そもそも悪口はなぜ言ってはいけないのか、友達同士でもバカバカ
肝細胞がんを患い、77歳にして人生初の入院を経験した著者。冒頭のエッセイ「初体験入院日記」はその際の体験を断章的にまとめたものです。入院を経験したことがある人であればより楽しんで読めると思いますし(「思い出させるな!」という向きもあるかもしれませんが)、これから入院する予定のある人にとってはちょっとした予習になるかも。 私も最近、人生初の入院を経験というものを経験しましたが、読んでいて、私自身の体験と重なるところもあります。たとえば、脊椎麻酔を打たれて回復するまでの間、
私が最初に台所に立って作った料理は卵焼きだった。 本人の自覚としては目玉焼きのつもりだったかもしれないが、「目玉焼き」ではギリギリなかった気がする。目玉焼きは白身を固めるのに工夫が必要だったりと、実は料理としては難しい。しかし、「卵焼き」ならそこまでではない。黄身がクラッシュしても、目玉焼きやオムレツが出来損なっても、火力や油が足らず、フライパンにガンガンこびりついても、卵に火が通ればそれは「卵焼き」である。クワバタオハラがいればそこが大阪であるのと同様(©永野)、自明
ザ・キャビンカンパニーは阿部健太朗と吉岡紗希の二人による絵本作家・美術家のユニット。Eテレの子供番組、ポケモンとのコラボレーション、こどもの読書週間ポスターなどといったコラボレーションも多く、名前を知らずとも、ひょっとしたら彼らの作品にお目にかかっているかも知れません(私はポスターを観たことがありました)。 非常にプリミティブで、力強いパワーに満ち満ちた作品。既に色が塗られた画面に型紙を貼り、新たな色を重ねるという手法も面白いです。最初はクセのある絵柄にたじろいでもいた
地元から電車で移動し、新宿駅に降り立ったとき、 「こんなに…だったのか!」 と、その匂いに驚いた記憶がある。 昨春、「コロナ禍」というものに世間的に一区切りがつけられ、マスクの有無にそれほど目くじらを立てなくて良くなった頃の話だ。どんな匂いかはあえて表現しないが、一言で言うならまさに「都会の匂い」だった。 新宿には美術館もライブハウスもあり、そこまで頻繁ではないが過去に何度も訪れている。JR新宿駅で下車し京王線なり京王新線なりの私鉄に乗り換え、別の場所に移動すること
初夏というには酷暑なある日のこと、冷蔵庫の中に木綿豆腐が置いてあった。 どうやら家族がパッケージを見間違え、絹豆腐だと思って買ってきてしまったらしい。我が家の場合、私以外は基本的に絹しか食べない(どうやら食感があまり好きじゃないらしい)。私もたまに高橋由一インスパイア系の焼き豆腐を作ったりするぐらいで、この暑い日にわざわざ焼き豆腐を作ろうという気分でもない。 どうしようか… と悩んでいた折、ふとYouTubeでみた「肉そぼろ」のことを思い出した。それも、ひき肉を油と
ある日の帰り道。 その日はやたらと電車の遅延が続いた。ある路線では信号機故障、また別の路線では車両点検… という風に。 私が乗った電車内でも車掌から、「少々見合わせます」というアナウンスが入ってきた。どうやらある踏切で、自転車の立ち往生があったらしい。人身事故などの大きな遅延ならまだしも、これぐらいなら遅延といってもたかが知れている。別に急いでいるというわけでもなかったので、私は (そんなもんか) ぐらいの感覚でスマートフォンをいじっていた。 そして5分も経たな
私が始めて三島さんの作品を観たのは2021年、六本木・森美術館のグループ展。割と政治的なものにも傾きやすいテーマの展覧会で、作品はおろかインタビュー映像も力んだもの、気取ったものが多いなか、大阪のおばちゃん全開の自然体で語る三島さんの姿はひときわ印象的でした(ちなみに十三だそうです)。 缶や新聞・チラシなどの「ゴミ」を題材に陶器を作るという作品アイデアも新鮮で、ほどなくしてART FACTORY城南島に常設展示されている《20世紀の記憶》も観に行きました(※過去記事のリ
7〜8年ほど前、ある若手グループ展に出かけたときのこと。私はある作品に目が留まった。 だいぶ前の話で作者名も覚えておらず、作品の詳細も正直あやふやなのだが、日本画のスタイルで描かれた静物画だったことははっきり記憶している。確か柿を描いていただろうか。若手の展覧会とは思えない、だいぶトラディショナルに振り切ったテーマだが、技術的な水準が高く、観ていてちっとも退屈ではない。むしろ「若いのに」という面白さもあるし、新奇なもの、学生時代の癖が抜けていないのか、教官受けしやすいよう
あれは小学校4年生か5年生の頃、ほぼ毎朝を言っても良いぐらい、うどんを食べていた時期がある。 なぜそんなにうどんにハマっていったのか、今考えても思い出せない。当時からしても「なんでこんなに食べるようになったんだろう…?」と、我ながら不思議に思っていたぐらいだ。 食べ方は常にざるうどん。シマダヤのうどんを茹でて、当時、家にあったガラスの、表面がザラザラの器に盛って食べていた。もう30年も前のことになる。ミスタードーナツの景品だったのか、ガラスの底にキャラクターの浮彫のよ
入院しているとき、コメントでおすすめされた本。 ちなみに1981年に日本語で最初に刊行された時のタイトルは『死の淵からの生還――現代医療の見失っているもの』。更に1979年に刊行された際の原題は『ANATOMY OF AN ILLNESS AS PERCEIVED BY THE PATIENT』(拙訳:患者の立場から感じた、ある病気の解剖学)とだいぶ一般化されたタイトルとなっており、必ずしも「笑い」の効用のみにスポットを当てた本ではないことは留意しておいても良いかと思いま