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ノーマン・カズンズ(松田銑訳)「笑いと治癒力」岩波現代文庫

 入院しているとき、コメントでおすすめされた本。
 ちなみに1981年に日本語で最初に刊行された時のタイトルは『死の淵からの生還――現代医療の見失っているもの』。更に1979年に刊行された際の原題は『ANATOMY OF AN ILLNESS AS PERCEIVED BY THE PATIENT』(拙訳:患者の立場から感じた、ある病気の解剖学)とだいぶ一般化されたタイトルとなっており、必ずしも「笑い」の効用のみにスポットを当てた本ではないことは留意しておいても良いかと思います。

 筆者は1964年、重度の膠原病にかかり、その際、500人に1人しか全快しないと言われたことから「単に受身の傍観者に甘んじてはだめだ」(p6)と、自らも治療のための方策を探ることとなります。その結果、採り入れられた方法はアスピリンなどの鎮痛剤の代わりにコメディ映画やユーモア本で爆笑し、それを鎮痛剤の代わりとすること(笑い療法)、そしてビタミンCを大量に摂取することでした。主治医との連携をもとに行われたそれらの治療法の効果はてきめんで、結果的に彼は病気の克服に成功します。

 あくまでこれは40年以上前の話であり、「笑い」による病気治療への好効果(自己治癒力の向上etc.)も認められていますし、ビタミンCの大量摂取も「高濃度ビタミンC点滴」として、自由診療ながら複数のクリニックで実施されているようです。プラシーボの効果、あるいは精神と肉体のつながりといった話題も以前以上に聞きますし、本文の最後では「生活の質を、少なくとも治療と同等に大切することは可能」(p156)と、今で言うところのQOLについて説いている箇所もあります。
 が、この本の目的は「ビタミンCで病気が治る!」というような表面的な話題に終始するものではないと思いました。特に患者の立場からは「人間が自分の病気や身体障害から回復しようと思えば、自分自身である程度責任を負わなくてはならない」(ルネ・デュボス、p171)という、患者自身の態度、当事者意識が問われているように思えます。

 それは医者に任せっきりにすることでもないですし、反対に病院批判にかぶれてネグレクト状態に陥る、あるいは現在で言うところの代替療法(病院と連携するのではなく、むしろ切り離しにくるタイプ)に捕まることでもありません。
 ではどうすれば良いのか。筆者は次のように指摘します。

 この場合に必要なのは――他のあらゆる問題の場合と同じく――ビタミンをまったく無視もしないし、またそれだけを健康の鍵と見なしもしないというバランス感覚である。

p122、太字引用者

 こうしたバランス感覚を完璧に追求するとなると少々難しくも感じますが、それでも目指さなければならないところというところになるのでしょうか。

 こうした当事者意識を持ってこそ、最初に述べた笑い療法やビタミンの話なども積極的な意味を持って現れるように思いました。いくらこれらの療法が有効だからと言って患者に強制すれば良い、というものではなく、患者自身が「回復の信念」(p31)を持つことが良いプラシーボ(偽薬)となり、自然治癒力を高めてくれる。しかしその前提がなければむしろ害悪をもたらす可能性もあるかもしれない。

 この点に関しては、中央アフリカはガボンの外科医であるシュヴァイツァー博士のコメントが端的で、的を得ているように想いました。

どの患者も自分の中に自分自身の医者を持っている。(略)わたしたちがその各人の中に住んでいる医者を首尾よく働かせることができたら、めでたし、めでたしなんです。

p55

 ちなみにこの病院ではなんと「呪術医」という人たちが存在しているとのこと。「呪術」という文化にそもそも馴染みがない我々には怪しさしか感じませんが、機能性障害や軽度な心因性の病気については呪術医による「治療」が行われ、実際の負傷などの重い肉体的疾患を持つものには外科医による手術等の治療が行われるとのこと。想像以上に合理的な役割分担が行われていることは面白いです。

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