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ADHDで退職。空回りの日々を無駄にしないために。

今回はADHDで悩む30代男性にお話をうかがいました。

続くミスと孤立していく人間関係。追い詰められていく自分

もともと、自分は見落としが多い方だとは思っていました。大学のレポートでは誤字脱字はしょっちゅうでしたし、テストで問題をひとつ見落としていることもよくありました。

ただ、単位はなんとか取れていましたし、大きな問題もなく卒業できたので、社会でも同じように何とかやっていけるだろうって思ったんです。

でも、現実は甘くありませんでした。書類上のミスとかは、自分で念入りに見直したり、ダブルチェックをお願いしたり、何とかやりようもあったんですが、私の場合、短期記憶がとても弱かったようなんです。約束をしてもすぐ忘れて放置してしまったり、数分前に受けた指示を忘れて全く違うことをしてしまっていたこともありました。

それに、表情や声色に気を配ることもできませんでした。いろいろ勉強して知ったんですけど、普通の人は、言葉以外に声のトーンとか表情で自分の感情を表現してるんですよね。

私はそんなことはまったく気が回らなかったし、そもそも必要だと思っていませんでした。自分は声のトーンや表情を汲み取る能力が低かったので、無意識にそれが基準になっていたんでしょうね。

まじめに聞いているつもりなのに、「聞いてるのか」って怒られたり、しっかり集中しているのに「ちゃんと集中しろ」って叱責が飛んできたこともありました。いま思えば、自分はまじめな顔を作っているつもりで、本当はただ表情のないボーっとした顔になっていたんだと思います。

そのうち重要な書類を紛失してしまうという最大のミスをしてしまいました。とてもとても怒られて、幸い書類は何とか別のところから見つかったんですけど、もうその会社の居心地は最悪でした。

なんでこんなミスをした、って当時の先輩に詰め寄られて、それで私は説明をしました。後から思えば、勝手な事情を一方的にまくしたてていただけだったんですけど。それを遮って、その先輩に「病院行って来い」って怒鳴られました。

その頃は何もかも上手く行っていないせいでいつも憂鬱でしたし、もしかしたらうつ病かもしれない、と思って、それなら薬を飲めば治るだろうと病院に行きました。

それから何度か問診や検査を経て、診断は下りましたが、うつ病じゃなくてADHDと、それに由来する社会不適応だと言われました

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2自身の性質を自覚して始まった、空回りの日々
ADHDといっても、私はまだ程度が軽いほうだったみたいです。グレーゾーンというらしいんですが、検査の結果ではどちらかというとそちらに近いと言われました。それでも私の場合は、ぎりぎり障碍の範疇だということで手帳は取ることができました。

診断が下りたことを会社に報告して、何度も面談を重ねて、休職か退職か選ぶよう言われたので、退職する方を選びました。これが正解だったのかどうかは、今でもわかりません。

会社を辞めて、でも当時は1人暮らしでしたから、何か仕事はしないとって焦りました。ただ、当時は障害者雇用という選択肢はなぜか浮かばなくて、町で見かけたバイト募集の求人に片っ端から応募していましたね。

でも、前の会社を辞めた理由って、当たり前だけど必ず聞かれるんです。そこだけのせいとは言いませんけど、バイトもなかなか決まりませんでした。そのうち、なけなしの貯金も底をつき始めて、仕方なく実家に戻ることにしました。その頃には、完全に人が怖くなっていましたし、「自分はなんてダメな奴なんだ」という気持ちでいっぱいでしたね。

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3他人への恐怖を克服したい。決意からの挑戦
実家に帰ってからも、空回り癖は治りませんでした。焦ってどこかの求人に応募して、落ちて、虚無感に浸って、また焦って動き出すのサイクルでしたね。正直、もう生きてるのもいやだって思っていた時期でもあります。

相当参っていて、母に愚痴をこぼしました。慰めてほしかったのか助けてほしかったのか、自分でもわかりません。母には「障碍だって言うなら、ちゃんと薬をもらって飲みなさい」と言われました。そこでようやく、自分の特性と向き合おうって気になったんです。

病院に行って、ADHDの薬を処方してもらいました。同時に、生活を改善するようアドバイスもその時に受けました。その時はだいぶ生活リズムが狂っていて、朝に起きられたら奇跡というくらいでしたから、至極当然のアドバイスだったと思います。

ただ、どうしても気が緩んでしまうようで、アラームをかけても、親に起こしてもらっても、いつの間にか二度寝して、結局昼過ぎまで寝てしまっていました。会社に行っていた頃はぎりぎり朝に起きられていたので、何か義務感がないとダメなのかもしれない、と思って、どこか今の自分でも通える場所はありませんかと医者に相談したんです。

そこで紹介されたのが就労移行支援でした。最初はそれも遅刻することが多かったんですが、何とか1ヶ月くらいで生活リズムが整い始めたんです。久しぶりに、夜にすっと眠れて、アラームなしで朝に起きられた時のうれしさは今でも忘れられません。

今は移行支援に通いながら、障害者雇用で仕事を探しています。空回りしてた頃みたいに、また失敗するんじゃないかという恐怖もありますけど、支援スタッフの方に「失敗は汚点じゃなくて財産」って言ってもらえたんですね。その言葉を忘れずに、がんばっていきたいと思います。

当事業所のお問い合わせはこちらからです。ご興味がある方、ぜひ見学にいらしてください。​


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