カリノ
もう会えない人たちについて書いた文章です。
ライターで友人のマツオカミキさんとの交換ノート。 「書くこと」をテーマにした、手紙のような、ひとりごとのような文章。
初めての小説創作の経過・感じたこと・考えたことなどの記録です。
数年前、私はオンライン英会話にはまっていた。 何度目かの流産がきっかけで体調をくずし、会社も休職し、毎日家でぼんやりと過ごしていた頃の話だ。 初めのうちは、突然おとずれたその休暇をそれなりに楽しんでもいた。 朝起きて、仕事へ出かける夫を見送り、簡単に家事をすませ、散歩がてら図書館まで歩き、帰ってきて借りた本を読む。夕方が近づけば買い物にでかけ、そこそこ丁寧に夕食をつくり、夫の帰りを待つ。 そんな毎日。 平穏で、優雅と言えなくもない時間だったけれど、私はすぐ
昨年末、転職をした。 とある大学内の、とある研究プロジェクトの事務局で働いている。 社会学系の研究プロジェクトだ。 私の仕事は事務まわりのあれこれ。会計処理だったり、サイトの更新だったり、シンポジウムの手配だったり、研究データの処理だったり、論文の整理だったり、報告書の作成だったり。 事務室は、古びた十階建ての建物の一角にある。何年か前に内装工事をしたらしく、外から見るほど中は老朽していない。最新というにはほど遠いけれど、空調や水まわりも整備されているし、耐震増強だってさ
先月、人間ドックに行った。 いつもはだいたい夏くらいに行っているのだけど、今年はコロナの影響で年度ギリギリになってしまった。時期はずれてしまったけれど、いつもと同じ施設で、いつもと同じように検査を受けてきた。 こう言うと、たいてい怪訝な顔をされるのだけれど、私は人間ドックが好きだ。年に1度だなんて言わずに、毎月行きたいくらい。 怪訝な顔をする人々は、たいてい「だってなんか見つかったらこわい」と言う。 確かに、自分の体の悪いところが見つかったらこわい。もう手遅れだったら
秘書課の宮野さんは、私の女ともだちだった。 ひとつ年上で、おしゃれで、仕事ができて、最初は近よりがたい感じがしたけれど、実際に話しをしてみると、気さくで、ほがらかで、私のつまらない冗談にもよく笑ってくれる、優しい人だった。 更衣室のロッカーが隣同士で、最初のうちは朝や帰りにあいさつをし合う程度だったけれど、だんだんと仲良くなって、時には一緒にランチに出かけたり、仕事帰りにお茶を飲んだりするようになった。 話すのは、たいてい恋の話だった。 あの頃の私には、そういう「女と
あれは、たぶん、二年くらい前のいつかの夕方。 いつもと変わらない、保育園からの帰り道。後部座席にはチャイルドシートに座った娘がいて、その日の出来事を楽しげに話していた。お友達と遊んだことだとか、先生に読んでもらった絵本のことだとか。 私は娘の話に相槌をうちながら、ハンドルを握っている。一通り話し終えたのか、娘が口をつぐむ。 車内に流れているのは、私がつくったプレイリスト。一つの歌が終わり、瞬間の沈黙の後、新しい歌が流れる。私は、耳をそばだててそれを聞く。ちらりと確認した
少し前に、noteでマガジンをはじめた。 うまく文章が書けなくなって、ライターをやめて、それからしばらくした後に、自然と「書きたい」と浮かんだものをテーマにした。 書きたいことは次々にあふれてきて、あれもこれも、とメモした下書きはどんどん増えていった。そういうのは、ただただ楽しい。 でも、実際に書くとなると、楽しいだけではすまない。頭の中ではきらきらしていたはずの記憶が、文章になると、ありきたりで、形だけとりあえず整えられた、レプリカみたいになってしまう。だけど、そうい
私の家の前には「さかいめ」があった。 小学二年生の時に引っ越しをした先は、地方の住宅団地で、区画整理された敷地に真新しい家々が並んでいた。私の家はその団地の真ん中あたりに建てられていて、目の前を走るまっすぐな道は、近所の子供たちから「さかいめの道」と呼ばれていた。 その道は見た目には他の道と何も変わらなかったけれど、子どもにとっては重大な境界線だった。その道を境に、小学校の学区がちがっていたのだ。その道の東側の子どもたちは七小学校に、西側の子どもたちは六小学校に、それぞれ
もう会えない人たちについて、書こう。 そう思いついたのは、つい最近のことだ。 ライターとしての仕事にいきづまり、私的な文章まで書けなくなってしまっている間、それでも私は「何かを書きたい」とずっと考えていた。何も書けないのに、何かが書きたい。でも、何が書きたいのかわからない。一体、何なら書けるのか。 そんなことを考えながら、半年が過ぎ、一年が過ぎ、私は仕事として書くことをやめた。そして、昔していたように事務職として会社に勤め始めた。 退屈な仕事の代表のように思われがちな事
今年の春、フリーライターをやめた。 ほんのわずかに引き続き書いているものもあるけれど、でも本当にほんのわずかだ。新しく仕事をするつもりも今のところはない。 フリーになったのが2016年の冬で、ライターの仕事をはじめたのはその前の夏。だから、書くことを仕事にしていた期間は、4年に満たない。 ライターをやめたかわりに、会社勤めの事務員に戻った。誰かと一緒に働く日常が恋しくなったから。収入を安定させたかったから。細々とした理由はいくつかあるけれど、でも一番の理由は、シンプルに
かつて、世界の中心は「恋愛」だった。 若い頃、たまに会う友人たちとお酒を飲みながら尋ね合う「どう?幸せ?」という言葉は、「恋愛がうまくいってるか?」という意味だった。好きな人がいて、その人と恋人としてきちんとつきあえていて、相手の気持ちにも自分の気持ちにも、それから二人でいる未来を望む気持ちにも揺らぎがない状態かどうか、という意味だった。 たとえそれ以外のことが二重丸だったとしても、仕事が順調だとしても、温かい家族に囲まれていても、心通い合う友人がいたとしても、「恋愛」の
小説家が社会的なことに対して発言する/しないスタンスって、そのときどきにムードの変化があるとはいえ、小説家は機能しなさすぎている、ものを言わなさすぎているんじゃないかと、言われることも多いです。(『みみずくは黄昏に飛びたつ−川上未映子訊く/村上春樹語る−』川上未映子、村上春樹) 2017年に出版された村上春樹インタビュー集。聞き手である川上さんは私と同い年。そして、「十代の頃からずっと村上作品を読んできた」と、この本の冒頭に書かれている。これも、私と同じだ。 だからどうし
ある夏の日。 私は小学六年生で、自分の部屋で一人、棒アイスを食べようとしていたところだった。夕方、もうすぐ日が暮れようという時間になっても、まだ部屋の中は暑く、椅子の上に立てた膝の内側にじっとりと汗がにじむ。 階下にいる祖母に名前を呼ばれ、私は「なあに」と声を上げた。普段、祖母は台所とトイレのついた自分の部屋で過ごし、私たち(両親、私、弟)とは別々に生活していた。けれども、何かがあるとこの時のように部屋から出てきて私たちに声をかけた。たとえば、背中がうまく掻けなかったり、
4月6日月曜日。晴れ。外は強い風が吹いているらしいが、家の中は窓からの日差しが穏やかに差し込むだけで、穏やかな空気に満ちている。 家には私一人で、いや、猫が、猫も二匹いる。さっきまで娘のおもちゃのボールを取り合ってリビング中を駆けずり回っていたが、ボールが家具の後ろに入ってとれなくなってしまいゲームセット。急に消えてしまった獲物を探してしばらく所在なさげにうろうろしていたが、諦めたらしく、今は二匹寄り添って窓辺でひなたぼっこをしている。さっきの騒ぎなんて嘘のように、ゆったり
こんにちは。ライターの狩野ワカと申します。ご覧いただきましてありがとうございます。こちらのページでは、お仕事の依頼について記載しています。 ライター歴は3年。紙・WEBの両方で執筆しています。これまでの実績とプロフィールをご覧いただき、ご興味をお持ちの方はぜひお気軽にご相談ください。 ◼️これまでのお仕事 ・エッセイ 子育てや家族のことを中心にエッセイを執筆。とある会報誌で季節ごとのエッセイなども書いています。数百字程度の短いものから、長文エッセイまで対応可能です。 こ
明けましておめでとうございます。今年最初のnote、この一年の抱負をまとめておこうと思います。年末にも一度書いたんですけど、今度はより具体的に。 今年は6つの目標を立てました。 ① 優しい妻&母を目指す あえて一番初めに持ってきました。日々、基本的に心穏やかに平和に過ごせるのは、夫と娘のおかげなので、彼らに感謝して、その感謝がきちんと伝わるように生活したいと思います。 ② WEBエッセイのお仕事を増やす 2018年最後のお仕事が、WEBメディアに掲載していただく長文エ
明日から夫と娘が冬休みに入り、私も一緒にお休みします。これが今年最後のnoteになるので、来年の目標を書いておこうと思います。 1.外に出る 2018年は本当に内にこもった1年でした。ほとんどの時間を一人で過ごしたし、「居心地がいい」とわかりきった人としか会いませんでした。それは、そうしたいと思ったからそうしたのですが、最近、新しいものに触れたくなってきました。なので、来年はもっと外に出たいと思います。新しい場所に出かけて、知らない人に会いたいです。noteのイベントにも行