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近世百物語・第四十五夜「魔魅など」

 北海道には動物としての狸がいません。エゾ狸がいるくらいです。これは化かす狸とは種類が違います。北海道では人を化かす狸を全般に〈ムジナ〉と呼んでいます。こう呼んでいるのは祖母だけかも知れませんが、一般には〈魔魅まみ〉とも呼ばれます。
 祖母によると、夕暮れの道端に、時々、出現するそうです。魔魅は、夕方の薄暗闇の中で、両手を広げて人を驚かす種類の霊現象です。その多くは影のように黒く大きいと言っていました。私は、それが魔魅なのかどうか分かりませんが、子供の頃、不思議な大きな黒い影を見たことがあります。
 やはりそれは夕暮れ時でした。その時間を、古くは〈たそがれ〉と言います。朝方の、ほんのりと明るい時間を〈かわたれ〉と言うそうです。これらは単に〈誰そ彼〉と〈彼は誰〉と書き、同じ意味を持ちます。そして、この朝の時間にも不思議な現象がついてまわります。
 魔魅を見たのは夏のキャンプの夕暮れでした。山奥で肝試しが行われるような不気味な場所です。吊り橋がかかっている奥にお地蔵さんが立っていました。ほとんど、お地蔵さんのためにあるような吊り橋ですが、夏には子供たちがキャンプに行かされるのです。小学生の時は毎年のように、キャンプに行っていました。毎回、毎回、同じ場所で肝試しがありました。もちろん、お地蔵さんのところでです。そして、何人もが、ただの肝試しではなく、本物の亡霊を見てしまいました。私はここで見たことはありません。しかし、見た人の話によると、
「女の生首が飛んでいた」
 と言うことでした。珍しい抜け首だったのかも知れません。見れなかったのが残念です。
 私がここで魔魅を見た時は、吊り橋へ行く途中の道をひとりで歩いていました。少し暗く岩影になった部分から視線のようなものを感じました。そちらに目をやると、大きな何かが立っていたのです。人よりはずっと大きなものですが、生き物のような気配はありません。ただ、立ったまま、こちらをジッと見ているだけでした。
 その時、 
——これが、きっと魔魅だな。
 と思いました。
 それとほぼ同じものを、大人になってから、三重の元伊勢の行場ぎょうば近くで見たことがあります。そこは狸の巣のようなところでした。
 その時も、
——これは、たぶん魔魅かな?
 と思いました。

 魔魅と言えば、いたちも魔魅の一種です。もちろん、動物の鼬は無関係ですが、妖怪の類の鼬は魔魅として考えられています。鼬の鳴き声は不吉で火事の前兆だとも伝わります。私は鼬の鳴き声を聞いたことがありません。

 妖怪の鼬の仲間に、鎌鼬かまいたちと呼ばれるものがいます。
 良く、

——鎌鼬は、空気中に真空状態が出来て切れる自然現象。

 と説明されています。空気の中に真空など出来るのでしょうか? これについては迷信で、今だ科学的な根拠がないそうです。
 また、鎌鼬は、

——構える太刀である〈構え太刀〉がなまった言葉である。

 と言う説もあります。本当かどうかは分かりません。ただ、鎌鼬に切られた人の話を祖母から聞いたことがあります。
 昔、祖母の近くにいた人が、
「真冬で、ぶ厚いオーバーを着ていたのに、その上から、突然、鎌鼬に切られた」
 と言っていました。
 血は出なかったそうですが、
「まるで刀で切られたように、パックリと傷口が開いた」
 と言っていました。

 鎌鼬が人に憑依とりつくこともあるそうです。

——鎌鼬に憑依かれた人は刃物で人を切ろうとする。

 と聞いています。
 理由の分からない通り魔の類は、案外、それなのかも知れません。いづれにしろ、死んだ生き物の死骸から発せられる〈苦しみなどの波動〉が集まった霊体が変化したものと考えられています。それを受け取った人が様々な無意識の行動を行ってしまうのです。

 以前にも書きましたが、子供の頃、なぜか通学路に馬の生首が落ちていました。毎日、生首が腐敗して朽ち果てて行くのを見ながら小学校に通っていました。それはやがて白骨化しましたが、この時は、霊的な現象を見ることはありませんでした。私は牛や馬の霊を一度も見たことがありません。そんなものが果たしているのでしょうか? それについては分かりません。
 亡霊になろうとなるまいと、死んだ生き物が、生きている者に悪さをすることはあるようです。
 祖母は、
「苦しんで死んだ小さな動物が人の慈悲の心につけこんで悪さをする」
 と言っていました。ですので、
「動物の死骸を見ても、けして可哀想と思うな」
 と、きつく言われていました。
 最初に祖母にそれを言われたのにはキッカケがありました。北海道は自然が多いので野生の動物たちがたくさんいます。動物が多いと言うことは、それだけ死骸を見ることも多くなります。

 ある時、動物の死骸を見ました。まだ私は五歳だったと思います。幼い私にとっては大きな生き物の感じがしました。犬くらいの大きさですが、それがいったい、どんな生き物なのかについては記憶がハッキリしません。
 ただ、
——とても可哀想だ。
 と思いました。
 死骸を見た日の夜から、突然、高熱にうなされました。原因は不明でした。往診の医者が来ましたが、
「とにかく分かりません」
 としか言っていませんでした。
 次の日、祖母がやって来て、
「これは、低俗な動物霊の憑依つきかけているものじゃな」
 と言い、祓ってくれました。
 その時、はじめて、
「いいか、動物の死んだのを見ても可哀想だと思うな。やつらは、その気持ちに乗って悪さをするんじゃ」
 と言われました。
 もし、動物の死骸を見て嫌な気分になった時は、

——祓い給え、清め給え。守り給え、さきわい給え。

 と唱えてください。そして、家に帰ってから冷たい水道水を流しながら手を洗い、そのまま拍手かしわでを二回打ってください。それで大丈夫ですので……。

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