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御伽怪談短編集・第七話「疫病神を退散」

 第七話「疫病神を退散」

 天保八年(1839年)二月下旬のことであった。その日、予・宮川政運まさやすの次女の乳母をしている者が、俄かに高熱が出て、夜具を引きかぶって寝てしまった。病に苦しんでいる様子であった。家の者も心配してあれやこれや手を尽くしたが、回復する兆しはみられなかった。乳母は名を〈おでん〉と申し、まだ若かったが、子供の頃から当家に仕えていた。

 翌朝、少し持ち直して乳母のお伝が、
「さても不思議なること。昨夜より私の枕元に、奇妙な男がおりまする」
 と妙なことを申した。お伝を見ても不思議な男は見えなかったが、病のせいか顔色も悪く、何だか薄ら寒い空気を感じた。
 予は首を傾げてお伝に尋ねた。
「それは、いかなる者であるか?」
「いかなる者かは存じませぬが……汚い風呂敷包みを背負った、痩せぎすの嫌な感じの男が……昨夜、煙のように現れて、少々透けた姿で……」
 お伝が自分の枕元で見たことを告げた。
 予は、ごくりと生唾を飲み尋ねた。
「今も、見えておるのか?」
 するとお伝は小さくうなづいて申した。
「左様で……」
「まだ、ここに?」
「おりまする」
 予は目を細めた。
「はて、何も見えぬが?」
 予にはある種の霊感があった。これは先祖代々生まれつきのものである。だが、その力は弱く、霊として強いものしか見えなかった。
 お伝は、
「ほれ、このように……汚れた着物にボロいはかま、頭には、やはり汚れた白烏帽子が乗って、ニタニタと嫌らしい顔で笑っておりまする」
 と何もない場所を指差した。
——白い烏帽子? 神の類か、なれば予には見えぬな。
 と思い尋ねた。
「烏帽子とは、神職などの着けたる物か?」
「にしては、少々きたのうござりまする」
 汚い烏帽子を被る神と申せば、貧乏神や疫病神の類であろう。予には神を見る力はない。
「男は何か申すのか?」
「はい、この男が申すには……」
 と少し沈黙した。それから、
「われは、この家へ来たところ、ここにはおられず。今、立ち去るところである。その方は、われと共にきたるべし。連れて参ろう……」
 などと、しわがれた声で申した。どうやら男の真似をしている様子に、
「それで何と答え申したか?」
「いやじゃ、いやじゃと答えると、また、同じ話を繰り返しまする。穏やかなれども、そのしつこさと申せば、他に類もなきごとく……」
「今も申してござるか?」
「はい、何度も何度も……はじめは、まったく熱があるもので幻かと存じますれども、まだ、私の近くに見えておりまする」
 その言葉を聞いて、予は、
——これは、世に言うところの疫病神であろう。
 と思い、お伝の枕元に、いくつかの貴い霊符を置いてみた。霊符は悪霊祓いのものを中心とした。それから、蔵から家宝を探し出して、先祖から伝わる道真公真筆の掛け軸を枕元に掛けた。
 すると、どうであろう。お伝はことのほか顔をひきつらして、震えながら枕元に視線を移した。カタカタと箱枕が揺れていた。しばらくして、お伝は大きく溜め息をつくと、
「もう、大丈夫にござりまする。あの者は今、立ち去りましてござりまする」
 そう申すと、にわかに顔色も良くなった。お伝は両手を上げて、大きなあくびをすると、病まで全快したかのように見えた。まったく不思議なことであった。

 それから何日か過ぎた三月六日のこと。上野山内の三崎みさき稲荷社でお祭りがあった。三崎稲荷は赤い鳥居のこじんまりした神社で、江戸の火除け稲荷として有名である。
 春の日で晴れていたこともあり、予は長女を連れ、幼い息子の手を引いて出掛けることにした。鶯の声はまだぎこちなく、長女が耳をそばだてた。
「父上さま、鶯のヒナでござりましょうか?」
「まだ、練習中であろう」
 予が笑うと、息子も手を伸ばして笑っていた。暖かい日差しの中の子供たちの笑顔は、何ものにも変え難い一番の宝物であった。

 さて、やがて山内にさしかかった頃のことである。しきりに左の歯が痛み出した。片手で頬を押さえても堪え難くなり、とうとう祭りには行かず、やっとの想いで引き返してしまった。息子は泣いていた。娘は諦めたらしく、弟をあやしていた。
 家に着くと、不思議なことに今まで痛かった歯が、まるで拭い去るかのようにおさまった。もちろん虫歯などはない。
 その時のことである。家にいた乳母のお伝が、
「前のように寒気がします」
 と訴えたと思うと、突然、何かに取り憑かれたような目つきとなり、男の声を出した。
「堪えがたし、堪えがたし」
 それからお伝は震えながら、尾を追う子犬のようにクルクルと回り出した。
 予はお伝を睨みながら、刀の柄に手を掛けた。
「おのれ、先日の疫病神の仕業か?」
 太刀を抜き放ち、
「何の罪咎もない女を、あくまで悩み苦しめるとは……」
 と睨みをきかせ、ゴクリと生唾を飲んだ。祓う覚悟を決めたのだ。正確に言うと、祓いをしくじった時、諸共に死を覚悟したのである。そして、叫んだ。
「われ、播磨の国・物部もののべの神祀る源の政運まさやすなり。伝家の宝刀・初代国久を持て、祓い清めん」
 と、祭文を唱えて、いきなりお伝の背中を打ちすえた。もちろん、峰打ちであった。
 悲鳴をあげるお伝は、雷に打たれたように海老反りながら、一瞬、われに返った。そして震えながら叫んだ。
「お許しを……かの者は大いに恐れ、すぐさま立ち去ると申しておりまする」
 しかしまた、何かに取り憑かれたような目つきで、こちらを睨んだ。
 予は、言葉を畳みかけて、
禍津者まがつものは、すみやかに立ちね」
 と、切っ先で空間に、祓いの五芒星を描いた。ギラリと光る鋭い刃に、お伝の視線が奪われた。
——あとは、もう、斬り殺すしかない。
 決死の覚悟でお伝を睨んだ瞬間、お伝が男の声で力なく言葉を発した。
「どうか、障子の下をお開けください」
 その言葉を聞き、予は無意識に障子を突き破っていた。お伝は障子の前まで数歩動いたかと思うと、ガクンと頭をさげて、
「もはや、この家から離れまするぞ。その後に塩をまき、ほうきで掃き清め給え」
 と告げると、その場に倒れてしまった。
 やがて、ふっと起き上がると、ハッとしたようにつぶやいた。
「私は何を?」
 その声は、お伝のものであった。もう正気に戻っていたのである。あたりの雰囲気は変わっていた。
 しばらくしてお伝が、
「かの男が申したことには ……」
 と前置きして、
「先日、ここを立ち去って、いまだ行くあてもなく探し歩いていたところ、上野山内で、ここの主人を見かけ、左肩に乗ってまいりました。祓いの太刀が恐ろしい故、ここを立ち去りまするとのこと」
 それから、しばらく気を落ち着かせ、ゆっくりと続けた。
「われら疫病神が立ち去った跡は、必ず塩を撒き、祓い箒で掃き清めてくだされ。先日、去った時に、この清めをしていれば、こうして戻りはしなかったものを……と悔しそうに申して去りました」
 とても奇妙な出来事であった。
 疫病神が、この家にはおられずと申したのは……当家では月々の三日に小豆粥炊をいているからだろうと思っている。
 わが家には小豆粥の習慣がある。しかし、それは疫病神が家に好んで立ち寄らないためでしかない。この物語のように、どこかからついて来て、誰かに取り付く事件は、世の中には、しばしばあったようである。流行り病の多くは家にいれば大丈夫だが、外を出歩くと、どこかでついて来るものである。『宮川舎きゅうせんしゃ漫筆』より。〈了〉

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