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近世百物語・第七十七夜「話し掛けてくるもの」

 無言の行の最中さいちゅうのことです。朝になって、
「おはよう」
 と言われたので、慌てて起き出して、
「おはようございます」
 と挨拶しました。 
 眠い目を擦りながら開くと、そこには誰もいませんでした。時々、神道系の修行のために、山にこもりますが……それは山で体験したことです。
 無言の行と言うのは、三日三晩、言葉を使わない修行のひとつです。基本的には言葉のけがれを祓うものですので、人の言葉を使いません。もちろん、筆談なんかとんでもありません。この時は必ずわなが掛かるようです。このような思いがけない場所で、時々、話し掛けてくるものがいるのです。何人かの先輩に話すと、
「同じような経験をしたことがあるよ」
 と、皆、言いました。

 また、ある時は、京都の大きな神社の境内を夜中に友人と歩いていると、友人が言いました。
「以前、このあたりに小さなほこらがあって、そこを通ると女の笑い声がすることがあったそうだ」
「怪談ですか? 怖そう」
「どのあたりのこと?」
「あぁ、ちょうどあの暗闇のあたりで……」
 指差した瞬間、そこから女の笑い声が響くと、そのまま友人は真っ青になってひとりで走り出したのです。私にはただ亡霊が笑っているだけのように感じたので、その場で祓ってしまいました。ゆっくり歩いていると、休んでいる友人に追い付きました。
「やぁ、逃げ足が速かったね。感心したよ」
 と言って少し笑いました。
 休んでいた友人が驚いて、
「あの笑い声が聞こえなかったのかい?」
 と言ったので、
「もう、祓ってしまいました」
 とだけ言っておきました。それ以降、笑い声がすることはなくなったそうです。夜中に聞こえる女の笑い声は不気味です。同じような笑い声を、別な場所で何度か聞いたことがあります。決まって寂しげな、人のいない場所ばかりでした。

 またある時、電話ボックスで電話をしていると、混線しているのか奇妙な声がまじっていました。ガサガサとかゴソゴソと言ったノイズの中に微かに女の人の泣き声が聞こえます。電話の相手には聞こえていないようで、
「ノイズすら聞こえませんが……」
 と言っていました。
 しかたがないので祓おうとすると、ボックスの前に悲しげな女が立っているのに気付きました。もう真夜中です。しかも人がいなさそうな寂しい場所を選んで電話していたのですが……悲し気な女がジッとこちらを見ているのです。
——これは無視して祓うしかないな。
 と思いながら女をにらむと、たじろいで退がりました。
 その瞬間、小声で、
「祓い給え、清め給え」
 と、つぶやいて、エイと気合いをかけると女は消えてしまいました。
 電話の向こうで、
「えっ、何か言った?」
 と聞かれましたが、
「別に何も……」
 と言って笑って誤摩化しました。もうノイズもありません。その時はやはり新月で近くに墓場があったようです。電話ボックスから出て自転車で走り出すと、へいの向こう側にたくさんの墓石が見えていました。

 また、ある時は、京都で夕方に河原を散歩していました。その時、人が見えていないのに微かな話し声が聞こえてきました。
——どこからするのだろう?
 と不思議に思い近くを歩いてみると、小さな祠を見つけました。声は、どうやら祠から聞こえているよう。耳をかたむけると、何かの呪文をブツブツと唱えていました。それは私の知識でも、祭文なのかお経なのか祝詞の一種なのか分かりません。古語のようでしたが、意味は分からなかったのです。祠に向かって拍手かしわでを二回打ち、真意を尋ねようと思いました。しかし、最初の一回で声が止まりました。そして気づかなかったのですが、言葉が止むと、突然、あたりに蝉の鳴き声が響きはじめました。それまでは、蝉の声が聞こえていなかったことになります。何だか分からないけど不思議な感じがしました。

 また、ある時は、北海道で、やはり夕方に道ばたでたくさんの人の声が聞こえました。近くに人はまったくいません。誰もいない場所で、うるさいくらい声がすると、不気味さを通り越してわずらわしくさえあります。その時に聞こえたのは、やはり何語か分かりませんでした。アイヌ語のようでもあり、古語のようでもあり、現代の普通の会話のようでもありました。声が多すぎて、ひとつひとつを分離することがすぐには出来なかったのです。
 ただ、
——うるさいなぁ。
 と思うしかありません。
 そこには誰もいなかったので、耳を両手で塞ぎあたりを観察しました。しかし耳を塞ぐことに意味はありませんでした。と言うのは、耳を両手で塞いだ方が声がハッキリと聞こえたからです。
——何だ、私の中から聞こえるのか?
 と思い、耳を塞ぐのをあきらめました。そんな時は、心の中で、大祓おおはらい祝詞のりとを唱えることにしています。集中さえ出来れば、奇妙な声に心を惑わされることはありません。それで、唱えはじめたのですが、すると外からの声がひとつにまとまりました。何やら、古語で長い文章を唱えているようです。声は何種類か聞こえました。そして何種類かの時代に通用した古語で同じ内容の文章を唱えているようです。アイヌ語のように聞こえたものも同じ内容なのかも知れません。他の古語や現代風の言葉はすべて同じ文章をアレンジしたもののようでした。
 内容は、われわれ播磨陰陽師に伝わるいくつかの伝承そのものでした。しばらくそれを聞いていて、ハッとして気がついた時、私は近くの草むらで寝ていました。倒れるような姿で寝ていたので、もしかすると気を失って倒れていたのかも知れません。しかしそのような記憶もありません。時間もあまり経っていないようでした。ただ、その時の大量の言葉をほとんどを思い出すことが出来ました。
 その時、
——これが夢にしろ、現実であったにしろ、貴重な情報を得ることが出来て良い経験をした。
 と思いました。その時のことは今でも思い出すことが出来ます。そして、時々、セミナーやブログで活用していますが、誰の声なのかは今もって分かりません。
 祖母にその経験を話して尋ねた時、
「世の中には、訳の分からん貴重な体験は様々あるのじゃ」
 とだけ言って、それ以上は教えてくれませんでした。ただ、そこで知ったことを現実の世界で活用するだけです。

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