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近世百物語・第一夜「霊能者の日常」

 日々不思議な体験をするので百物語と言うものを書くことにします。私は播磨陰陽師の末裔。先祖代々生まれながらの、いわゆる〈霊能者〉と呼ばれるやつです。
 霊能者だと人に伝えると、それを知った人は途端に、
「後ろに何か見えますか?」
 とか、興味津々な感じでこちらを見ます。時には後ろを振り返って……自分で見えると思うのでしょうか……それなら苦労はいりません。
 そんな時は少し閉口しますが、おもむろに口を開き、
「いつでも見える訳ではありませんし、あなたの後ろは、悪い霊はいませんよ」
 と答えることにしています。
 その理由は、説明がややこしいのと、正確に伝えたところで、相手に理解出来るとは限らないからです。そして、後ろにいるとも限らないのですから……。

 さて、幽霊の類は、夜昼かまわず現れるものです。人が見ていようといまいと関係なく、あたりをさまよい歩いているような気もします。
 私は白い女の姿をよく目にします。時には半透明であったり、現実の人間のようでもあったりもするのですが、しかし、それを幽霊だと思って見ている訳ではありません。まるで、実在の人間であるかのように、生々しくリアルに見える存在なのです。現実と幽霊の区別があまりついていないのが現状なのかも知れません。
 それが、たまたま同席した者の目に見えていないことを知った時、はじめて、
——たぶん、幽霊の類だろう?
 と、思うだけのことです。

 大阪の阿倍野に住んでいた頃、真夜中のタクシーでの帰り道。自宅近くになった時のことです。
「えぇと、あの白い着物を着た女の人のあたりに止めて下さい」
 と、停車位置を伝えると、一瞬、運転手さんは返事もせず、凍りついたように動きを止めました。それから、不思議そうに首をかしげたのです。
 運転手さんの様子に気づき、
——夜中に、真っ白な着物を着た女が歩いているのは不自然なのか?
 と思いました。
 その時、同乗している妻の目には女が見えてはいないらしく、震える声で、
「そこには、誰もおらんよ」
 とだけ伝えてくれたのです。
 私の目には、電信柱の前に、白い着物姿の髪の長い女の人がハッキリと見えていて、悲しげにうつむき加減で立っていたのですけど。

 またある夜は、近づいて来る自転車の後ろに乗った笑う女の人が、髪を振り乱して運転手の肩を掴んでいるのを見ました。
 それで思わず、
「あの自転車の後ろの女の人は、なんであんなに怖ろしい顔をして、笑ってるのだろう?」
 と、つぶやくと、 近くにいた友人が、
「だ、誰も、いないよ」
 と、震えながら言ったのが聞こえました。
 そう言えば、女の人は半透明で、後ろの景色が透けて見えていたっけ。その瞬間は、どこかおかしいとか、不自然と思うことはありません。どんなに不可思議なことだとしても、見た瞬間は、ごく自然に見えているですから。

 あの日も、天王寺の喫茶店で朝食を食べながら、窓から外を見ていました。近くに病院があるからか、白衣の女性がふたり、楽しそうに会話をしながら歩いていたのです。その片方の頭のあたりに、髪を振り乱した半透明の女が、笑いながら漂っていました。
 幽霊の類は見慣れています。そう驚くほどの存在でもないのですが、しかし、狂ったように笑う女の幽霊は、とても怖ろしいものです。
 どんなに笑っていても、声らしきものは聞こえません。時として、声だけの存在もありますが、今、目の前にいるそれは、声を立てずに笑っていたのです。そして、笑う女の幽霊と目が合いました。
 一緒にいた妻が、様子のおかしい私に気づき、
「どうしたの?」
 と尋ねました。私はそのまま驚いて、一瞬、固まったようになっていたようです。
 少し気をとりなおし事情を話すと、同じ方向を見ていた筈の妻が、
「その白衣の、ふたりも見えてない」
 とだけ答えてくれました。
 それで、
——なんだ、人かと思っている方も、一緒に幽霊だったのか?
 と思った瞬間、少しだけホッとしました。そして、深い夢でも見ているような気がしたまま、深くため息をついていました。

 また、ある時、真夜中の京都を何人かで歩いていると、橋の入り口に、托鉢の僧侶が立っているのを目にしました。
 その時、
「こんな真夜中に托鉢するだなんて、最近、珍しいなぁ」
 と、つぶやくと、そこにいた全員が、少し首をかしげたのです。
 そして、不思議そうに、
「托鉢って、どこにそんな人が?」
「そこにいるでしょう」
 私が橋の入り口を指さすと、一瞬、全員が青ざめた表情になりました。
 それから口々に、
「な、なんも見えてないけど、少し線香のような臭いがする」
 と、言葉にならない震えた声でつぶやくのでした。
——線香の匂いが漂っているのだから、たとえ私が見た者がいなかったとしても、何かあるのだろう。
 と、その時は思いました。
 いつも思いますが、あれは、いったいどう言うものでしょうか?
 たまたま〈幽霊〉と言う便利な言葉で表現してますが、その存在は、実体とは何なのでしょう?
 そして、それらの存在がこの世界に姿を現す本当の意味は?
 そんなことを考えれば考えるほど分からなくなるのです。

 よくある話ですが、世の中には、
「死んだ人には、もう、会うことも出来ない」
 と言う類の、悲しげな物語が多くあります。しかし、そこいらに亡くなった人がウロウロするのを見る日常では、彼らの存在は、ただ陰気で面倒なだけです。
 時々、
——お願いだから、見えている人に安易に頼らないで欲しい。
 と思う訳です。ただの感想に過ぎませんが面倒なこと極まりなしです。

 そう言えは、よく人から、
「幽霊は実在ですか?」
 と聞かれることがあります。〈実在〉と言う言葉の定義が、聞く人によってまちまちだから、正確に答えようとすればするほど苦労します。現実の物体ではない霊体を〈実在〉と呼ぶべきかどうかもハッキリとはしません。
 ただ、そんな時は、
「何らかの情報を感じて、その人が心の中に作り出し、記憶している存在なだけです」
 と答えることにしています。
 何を感じるかは、人によって違っています。時には幻覚や妄想のこともあり、時には、本当の霊的なものの場合もありますが、霊的なものに化かされていることが多いのです。しかも、幽霊のすべてがそう言う訳ではないので、話はさらにややこしいです。
 そう考えると、
——この世界を作り出すような、偉大で大きな自然と呼ばれる力は、まだまだ我々の理解の外にあるなぁ。
 と思うのみです……。終わり。

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