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近世百物語・第七十四夜「奇妙な人たち」

 私は、時々、奇妙な人々に出会います。それは、生きている人なのか、それとも霊現象のひとつなのか、それらについては良く分かりません。と言うのは、本人に聞く訳にもいかないからです。

 ある時、駅の構内で、頭がふたつ分くらいの大きさの人を見ました。その人の頭は、普通の人のふたつ分くらいの大きさがありますが、それはまるで別な頭の一部を合成したかのように見えました。その人が、ゆっくりと歩いていました。しかし、誰も気づいた様子はありません。と言うことは、他の人には見えていないのか、さもなくば、
——見ないようにしているのでは?
 と思いました。
 無意識に見ないようになる人は、かなりいます。そう言う時は、近くの子供を観察します。まずは人間である可能性を知るため、出来る限り落ち着きの無い種類の男の子を探すのです。落ち着きの無い男の子は親に特徴があります。そう言う子の親は姿勢が悪いのです。歩き方もバタバタした感じがします。
 そう言う子連れの大人を見つけると、子供の視線を観察します。視線の先に不思議そうな人がいれば、その人は実在しています。しかし、その子ですら気づいていなければ、それは実在ではないのかも知れません。
 この時は、そのような落ち着きの無い男の子が、その人を見ていませんでした。これは霊体である可能性があります。ですので、次に霊的な力を持っているような子供を探します。それは女の子が多いです。そう言う子供は賢そうに見えますが、どこか影があります。
 その時、そう言う影のある女の子を見つけました。その子は、ちらっとその大人を見て、目をそむけるようにしていました。と言うことは、頭がふたつ分もある男の人は、
——霊的な現象であるのかも知れない。
 と言うことです。
 その時、
——なんだ、やっぱり亡霊か……。
 と思い安心しました。
 また、ある時は、道ばたで骸骨のような少女を見かけました。ほとんど骸骨に皮膚が被っているだけで、手足も筋肉らしきものは見えません。しかし真っ昼間の出来事です。これは実在の人間なのかも知れません。近くに人もいなかっので犬を観察しました。
 犬は霊的なものを見分けます。その時、犬は少女に無関心のようでした。ですので、どう見ても骸骨のように見えていましたが、
――たぶん現実に存在する実在の人間だ。
 と思うことにしました。

 首が折れている人とすれ違ったこともあります。それは都会の人ごみの中でゆっくりと歩いていました。その男は首の骨が折れていて、首がぶらぶらしていました。首の骨の端も皮膚から出ています。これが造りモノでないなら、あきらかに亡霊です。
 その時、
——そう言えばお盆も近いしね。ただ自分が死んだことが分からずに、さまよっているだけの存在に過ぎないのに……。
 と思ました。
 それで、小声で軽く祓いました。するとやはりそれは消えてしまいました。

 またある時は、頭の無い人を見ました。その人は暗い道端に立っていました。ちょうど天神祭の花火の日です。川端を人ごみに、混じって歩いていると、時々、電柱の影に立っている亡霊を見たのです。
 頭の無い亡霊はそれのひとつでした。何本かの電柱とか路地の奥に何種類かの亡霊が立っていました。人が好きなのか、それとも人が多く出て来たので、ついでに出て来たのか、理由は分かりません。ただ夜の人ごみの中には、時々、人で無いものが混じっています。
 手首から先だけとか、足だけの連中も見たことがあります。空中に浮かぶ手首を見ると、何だか不思議でなりません。
 そんな時は、祖母の言葉を思い出します。
「それが何であるにしろ、この世には不思議なものはまだまだいる」
 と言われました。
 祖母はかなり高齢になってからも、見たことが無い種類の霊現象に、時々、遭遇したそうです。それが理解出来るか出来ないかは別として、奇妙なものはたくさんあります。まだ知られていない種類の自然現象もあるかも知れません。

 また、ある時、天井を這う種類のものを見ました。人くらいの大きさがあって、あきらかに獣ではありません。それは山に住む種類の人のような感じでした。山に住む種類の人と言うのはボロボロの着物姿で、着物のところどころに植物が生えています。そして長いひげで、外見はまるで絵の中の仙人のような雰囲気がありました。その仙人のようにも見える何かが天井を這っているのです。
——これは、どう見ても心霊現象だろう。
 と思い、やはり祓いました。
 ためしに軽く祓ったのに、すぐに退散してしまったので、低俗な霊にいたずらされ、幻覚を見ただけなのかも知れません。

 また、ある時は目の無い人が歩いているのを見ました。目の無いとは、目の部分がまったく無いのです。顔の目のある場所が普通の皮膚になっていました。それは目の見えない人ではありません。目、そのものが無いのです。これはノッペラ坊の一種ですが、妖怪のようなものではなく、やはり低俗な霊が見せる幻覚のようなものです。
 幻覚と実際の心霊現象の見分けがつかなければ、何でもすぐに信じてしまいます。そう言う霊能者はこの世に多くいます。そのような人たちが心霊現象に遭遇して、それを信じても、ただ低俗な霊たちが喜ぶだけなのです。
 最近、
——何とかの生まれ変わりです。
 と、自称する人が多くやって来ます。見ると、一応に心が弱く自分の都合の良いことだけを信じる傾向があるようです。
 これも、低俗な霊に心を惑わされているだけの現象ですので、みなさんも自分の都合だけで、霊的なものを信じないよう心掛けてください。
 実は多くの霊現象は、時間軸を無視するかのような働きをみせます。人の感じる時間軸とは別な時間軸の中に霊現象はあるのです。
 一般的な人の持つ時間軸では、一秒の間に一秒の出来事しか起こりません。しかし霊現象が絡むと、現実の一秒の間に何時間もの霊体験をしてしまうのです。たとえば、亡霊を見て襲われたとします。何時間か逃げて、ようやく助かったと思った時、ふと、時間が経っていないことに気付きます。滅多に気付くことはないのですが、たまたま気付いたとしたら疑問が渦巻くと思います。
 なぜ、時間が経っていないのだろう?
 そして、今、体験した出来事は夢だったのかと思うかも知れません。しかし、夢ではありません。近くにいる複数の人も同じような体験をするのです。そして、人によっては体験の中で存在そのものが消えてしまいます。死ぬのではなく消えるのです。
 霊現象の多くは人の意識に仕掛けられるものです。意識だけがどこか別なところに飛んで、現実と見分けのつかない世界の中で様々な体験をします。そして、現実に帰って来た時、その体験がはじまったすぐの時間に戻るのです。しかし、ここで、場所を移動していたら、まわりの人たちからは消えるように見えてしまいます。一瞬の出来事過ぎて、移動を認識出来ないのです。

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