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播磨陰陽師の独り言・三百六十二話「重陽の節句のこと」

 重陽の節句は、陰陽道の祭りである五節句の、最後の節句にあたります。古くは御九日おくんちと呼ばれていました。これが訛って〈くんち〉となり、今の〈長崎くんち〉などのお祭りの名前の元となりました。
 今は新しい暦で数えますが、こと「重陽の節」に限っては旧暦を重要視しています。その訳は、中秋の名月(旧暦八月十五日)を祝ってからでないと、感覚的に〈重陽の節句〉が来た感じがしないからです。
 とは言え、新暦の九月九日は一般的には重陽の節句です。
 今年の中秋の名月は新暦九月十日にあたります。重陽の節句を新暦で祝うと節句の後に名月が来てしまいます。これは、やはり感覚的に妙な気がしますね。皆さん、ぜひ、十日には名月をご覧ください。
 さて、重陽の節句には、秋の七草を愛でる風習があります。春の七草は粥にして食べますが、秋の七草は食べません。
 秋の七草は、奈良時代に山上憶良やまのうえのおくらが選定した万葉集の中に登場します。
 曰く、
——秋の野に、咲きたる花をおよび折り、かきかぞうれば、七草の花。萩の花、尾花おばな葛花くずはな、撫子の花、女郎花おみなえし、また藤袴、朝顔の花。
 とあります。
 茱萸ぐみ袋と言う物を腕にかけたり、家の柱などにかけて、邪気を祓ったそうです。茱萸袋は、赤い袋の中に「からはじかみの実」入れたものです。からはじかみは、良い匂いのする実で、生薬としては健胃・利尿・駆風くふう・鎮痛剤などに使われていました。この中の〈駆風〉と言うのは、
——匂いで風邪を寄せ付けない。
 とされるものです。
 季節の変わり目の風邪を引きやすい時期ですので、この祓われる〈邪気〉とは風邪から来る万病のこととされていました。
 また、この日は九が重なる、つまり〈苦の重なる日〉でしたので、これから冬を迎えるために、
——人が死にやすくなる時期に対して備える。
 と言う意味もありました。
 旧暦では、この日から、百と十日後あたりに大晦日を迎え、百八の煩悩を祓う訳です。
 この百八つ、昔から、
——煩悩は、四苦と八苦で百八つ。
 と言われています。つまり、四九・三十六と八九・七十二を足して百八となる訳です。
 重陽の節句には、菊を浮かべた酒〈菊酒〉を飲み、長寿と健康を祝うのことが、一般的に行われます。
 この菊酒、今の解釈では、
——菊に浸した酒、あるいは菊を浮かべた酒。
 と言うことになっていますが、古くは味醂みりんのことを意味していました。
 江戸時代中期に発行された田植え歌を集めた『田植草紙』の中に、
——酌を取らせて、参れや加賀の菊酒。
 と言う一節があります。ここで言う「菊酒」は味醂のことを意味しています。味醂は、今では調味料のひとつとしてしか認識されていません。しかし、古い時代は〈美味しい甘酒〉のようなものであったそうです。
 昔は、特に美味しい物のみを〈味醂〉と呼ぶ地方までありました。
——手首に風邪よけを巻き、家の柱にも風邪よけを飾り、味醂を飲んで体を健康にした。
 と言うあたりが、実際の重陽の節句の姿だったのだと思います。

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