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御伽怪談短編集・第九話「先夫の死霊が」

 第九話「先夫の死霊が」

 拙者は鈴木桃野とうやと申す儒学者。儒学と申すは、孔子にはじまる古来の政治・道徳の学びのことである。世の中に少しは名を知られておるが、儒学とは関係のない『反古のうらがき』と申す本に不可思議なることを書き記して、世の不思議を知ることやや度々たびたびとなりぬ。
 さて、今回は、友人の斎藤朴園ぼくえんの奇妙な体験について少し語ろう。
 ある時、朴園に後添えの妻が来ることとなった。一昨年の流行り病で妻と死別し、寂しい想いをしていたが、まずはめでたいことである。今度の妻も、前夫と死別して朴園の元へ嫁ぐと言う。上品な雰囲気もあり、中々の知性も兼ね備えていた。話はトントン拍子に進んで、祝言のその日は……互いに再婚のこともあり……ごく親しい者たちだけを呼んで簡単に済ませた。
 簡単と言っても、何部屋もの障子や襖を取り払い、床の間の前に金屏風を立て、新郎新婦を座らせて、若輩者とは言えノド自慢の拙者が、
——高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて。月、諸ともに出潮いでしおの、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや、住之江に着きにけり……。
 などと、僭越せんえつながらめでたいうたいを務めたのである。それから三三九度の酒が振るまわれ、婚礼の儀式を終えた。
 新妻には里から何人かの下働きの女が付いて来た。朴園の家の下働きの者たちとも親しげな雰囲気で、まずは良い祝言であった。彼女らが不仲で問題が起こる祝言しゅうげんも、広い世の中にはたくさんある。
 祝言は高砂に終始したような印象があった。互いに再婚であり、はじめてのことではなかったため、気恥ずかしかったとも言う。
 春の終わりの季節であった。夕方の頃、庭を眺めながらの祝言に、嫁となる人が小さく、
「あっ」
 と叫ぶと、顔色は青ざめて震えていた。
 朴園は驚いたが、嫁となる人は、
「いえ、何も……忘れてくだされ」
 と目を伏せて申した。だからすぐに忘れたと言う。
 嫁となる人は素晴らしい女性であった。
 当の朴園も、
「良い妻が、来れば来るものでござる」
 と、感心し、しばし喜んでいた。
 しかしである。婚礼が無事に済んだ矢先のこと。わずか一日目の朝だと申すに、妻は畳に両手を深々とついて、
「突然のこととは存じまするが、どうか離縁してくださりませ」
 と、深々と頭をさげて願うのであった。
 まったくの青天の霹靂へきれきに驚いた朴園は、
「何か気に入らぬことでもあったか?」
「いえ」
「では、どのような仔細により……」
 色々と尋ねたが、妻は青ざめた顔をしてボトボトと涙をこぼすばかりで理由を言わなかった。強く引き止める訳にも行かず、とりあえず実家に帰すこととなった。
 それからしばらくしてのこと。婚礼に付き添っていた下働きの者が、たまたま道端で朴園の屋敷の者に出会ったことがあった。
 その時の噂話によると、
「夕暮れに奥様が庭から家に入った時、先年亡くなった夫が座敷に座わり、恨めしそうにこちらを見ていた……と奥様がおっしゃられて、たいそう恐れておりました」
 とのことであった。もちろん朴園を含めて、婚礼に参加した者は誰ひとり、そんなものは見ていなかった。
 下働きの女によると、
「その後、再びどこかへ嫁ぎましたが……哀れなことに井戸に飛び込んで儚い命を終えられてしまい、新しい夫も、にわかの病で亡くなりましてござりまする」
 とのことであった。
 果たして亡夫の亡霊を見て狂気したものであろうか?
 それとも何らかの祟りでもあってのことか?
 その理由は分からない。
 朴園も、
「はやく離縁して実家に帰した故、拙者も厄から逃れられたのであろう」
 と語ると深くため息をついた。怖ろしい出来事である。

 このように亡霊を見て自ら死ぬ事件は、お盆に増えると言う。夏のお盆もそうだが……意外にも、冬の時期にも増えるのだ。ちょうど旧暦の薮入りの頃は、亡くなった身内が帰って来やすく、亡霊を見ることの多い時期である。しかし、普通は亡霊を見たところで、嫁ぎ先のから急いで帰ったり、井戸に飛び込んだりはしない。何かの特別な理由があって、亡くなった人に恨まれていれば話は別だが……。この体験談もそのような雰囲気がした。『反古のうらがき』より。〈了〉

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