御伽怪談短編集・第六話「幽霊なきとも」
第六話「幽霊なきとも」
予、根岸鎮衛の元を時々訪れる友人に、栗原幸十郎と申す浪人がおった。彼は小日向に住んでいた。時々、予の屋敷を訪れては、様々なことを話してくれた。
だが、そんな時も、
「お奉行様は、よく幽霊などのことを書かれておられるようでござりまするが、それがしは信じてござらん」
と、笑っていた。
幸十郎は浪人の身分ではあったが、近隣の旗本の屋敷へ出入りし、
「中でも、ひときわ懇意にしている屋敷がござった」
と、常々申しておった。旗本の屋敷には小太郎と申す幼な子がいた。
幸十郎は、小太郎が産まれた翌年の正月に初めて屋敷に招かれた。その次の端午の節句に折り紙の兜を渡すと、小太郎は、
「おいちゃん」
と、はじめて言葉を口にした。
父親が、
「ありがとうでござるぞ」
と申すと、大きな口を開けて、
「あんがと」
と笑ったそうである。
すでに今年、五歳になるその家のひとり息子は、いたって愛らしい子供であった。幸十郎は、節句や祭りがある度に、小太郎に小さなお土産を持って屋敷を訪れていた。
五歳と言えば可愛い盛りである。まだまだつたない言葉使いであったが、話すこともしっかりとして来て、好き嫌いのハッキリする年頃であった。
小太郎は、いつも土産を喜んでくれていた。幸十郎にとっては自分の子ではなかったが、這えば立て、立てば歩めの親心……を地で行くような心持ちであったと言う。キラキラした眩しいばかりの笑顔や笑い声が、幸十郎に、生きる希望を与えていたのかも知れない。
彼は武家の三男に生まれだそうである。見るからに頭も良く腕も立つが、残念なことに三男の身分ではその才能を生かす場所はない。何のためにこの世に生まれて来たのか、自分自身に問うばかりの人生であろう。少し生まれるのが遅かったばかりに、愚鈍な兄たちに生きる場所を奪われている。それを思うと気の毒な気さえした。世の中の武家の多くの末弟には、天から与えられた才能を生かす場所など与えられていなかった。さらに不幸なことに、末弟になればなるほど、頭も良く、能力に長けていたのである。武家を支える家長制度は、そのような犠牲の上に成り立っている。予がそんなことをつらつらと考えていると、幸十郎が申した。
「その子の愛らしさと申せば、拙者もはやく祝言をあげて、子が欲しゅうござる」
「ほほっ、それでお相手は?」
「お奉行さま、それはまだでござる。良い娘子がどこかにおりませぬか?」
「どこぞに士官したら良かろう」
など下世話な話に花が咲いては笑っていた。
幸十郎は、なぜか中々士官したがらなかった。良い士官先なら、予がいくらでも紹介すると申すに、何度か断られていた。本人が望まぬ以上、その話を進める訳にも行かなかった。もしかすると幸十郎には、彼なりの考えあってのことかも知れない。
そんなある秋の夕暮れのこと。懇意にしていた旗本屋敷をしばらく訪れていなかったところ、屋敷から使いの者がやって来たと言う。ちょうど九月の八日……重陽の節句の前日であったそうである。
使いの者は、深々と頭を下げ、
「今宵は、ぜひにでも、栗原殿に屋敷をお訪ねくだされとのこと」
と急な知らせを告げた。
コオロギが静かに鳴いていた。慌てて使いの者の跡をついて行った故、子供に土産のひとつも持って行くことは出来なかった。幸十郎はそのことを歩きながら思い出したが、すでに屋敷が近づいていた。秋の夜は寂しげだった。やがて死にゆく虫たちの声も、別れを告げているかのように聞こえたと言う。案内の者が持つ提灯の明かりが、頼りなげに左右に揺れ、空は曇っていた。
屋敷の表門に着くと、玄関はひっそりとしていた。幸十郎が玄関より上って、勝手の方の廊下を歩いていると、かの幼な子が、いつものように顔を見せた。幸十郎の袖を引きながら、前になり、後ろになって遊んでいた。しかし不思議なことに、笑うことも、話すことすらなかった。何かしら暗く重苦しい雰囲気がしたと言う。
薄暗い廊下を行き過ぎると、勝手の方に、しめやかに逆さ屏風が立ててあり、それが一瞬だけ見えた。
ふと、幸十郎は、
「不吉な屏風……死人でも出たのか? それで悲しげな……」
と思い、何気なく通った。その時、今まで遊んでいた筈の子供が、いなくなっていることに気づいた。
ふと、線香の匂いが鼻をかすめた。
主人が出て来て頭を下げると、重そうに口を開いた。
「かねて病の床についていた悴が……先ほど、疱瘡にて……」
涙をこぼし、うつむく主人の手は震えていた。
「あっ、あの子が……」
思わず叫んだ幸十郎は、その時のことを、
「驚いたのはもちろんのこと、怖さが先に立ちましてござる」
と、これは直に幸十郎が語った物語である。
江戸時代、幼い子供は病で死にやすかった。それは、疫病神に取り憑かれた結果だとされることも多く、特に疱瘡の神は嫌われて幼い子供を好むとも言われていた。
人が亡くなると、本人は数日の間、死んだことも認識出来ず、現世を漂っていると言う。この子も、しばらくは彷徨っていたと思う。本人は暗い表情なだけであるが、はじめて見た人がいたとしたら怖いと思う。子供の霊は、怖がる大人に反応して、だんだんと自分のことを認識するようになる。それも、やがて終わる日が来るのだが……。『耳嚢』より。〈了〉
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