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近世百物語・第十夜「喪服ついでに」

 ある時期、喪服の人ばかりを見かけることがありました。こっちの方は確実に生きている人で、一緒にいる者の目にも見えていました。そういう時期なのか、それとも、その頃、葬儀を体験していたので敏感になっていたのかは分かりません。しかし、とにかく良く見ていたのです。そんな中で、ついでに人ではない物も一緒に歩いていました。何度か人ではない喪服を見かけることがあったのです。

 以前、大阪の阿倍野区に住んでいました。近くの晴明通りの先に安倍晴明神社があり、霊友会などのたくさんの宗教施設に囲まれた不思議な土地です。
 当時、私はマンションの一階に住んでいました。以前、タクシーで幽霊を見たのもこのマンションの前のことです。
 夜中の帰り道、二件手前の部屋に老人が入って行くのを見掛けました。老人は戸を開けることもなく、スッと玄関の中へ消えて行きました。ほのかに線香の匂いがしました。
 その時、小さく指差して、
「あっ、あの家に喪服のお爺さんが………」
 しかし、横にいた妻の目には見えていません。不思議な顔をしてその空間を見つめるだけでした。
 それから暫く、その家の人が実家へ帰っていました。やはり何かがあったらしいのですが、聞く訳にもいかずそのままになってしまいました。

 正体不明の喪服の人々にも出会います。
 もう、数十年前のことですが、梅田の書店の宗教のコーナーに友人と行った時、喪服の男が、本を抜いては下に落としている姿を見ました。
 大阪の梅田には奇妙な噂がつきものです。有名なお初天神が近くにあります。ここは昔、心中の名所で、何度か禁止令が出ています。戦後は焼け野原となり、たくさんの人々が亡くなりました。

 喪服の男は、ゆっくりと片手で本を抜き、そのまま手を放して本を落としていました。何冊も何冊も本が散らばりました。
 近くにいた友人に、
「あの人は、なんで本を抜いては、落としているのだろう?」
 と尋ねると、
「誰もいない。本がひとりでに落ちて行く」
 青ざめた表情をしていたのです。
 店の店員たちも叫んでいます。
「本が、本が、誰かが抜くように、勝手に落ちて行く」
 泣きそうな顔で震える人もいました。
 喪服の男を見ているのは私だけのようでした。本を抜いて落としている以外、別段、不思議なところはないのです。他の人には本だけが見えていることが、かえって不思議でした。
 まわりの人々がパニック寸前でいるのを無視するかのように、男はずっと本を落とし続けていました。
——さて、どうしたものかな?
 と、考えながら喪服の男を見つめていると、いつでもそうですが、男と目が合いました。すると、男はニヤリと笑いながらスッと消えて行ったのです。
 そこではじめて思いました。
——何だ亡霊か……。
 本が落ちる現象も、その時におさまりました。でも、あれはいったい、どんな目的があって起きた出来事なのでしょう?
 どんな意味を、持つと言うのでしょう?
 あのニヤリと笑う喪服の男の白い歯が印象的でした。

 喪服のついでに、夜中に見る黒い人々は喪服なのでしょうか?
 京都に住んでいた頃、夜中に船岡山に昇りました。船岡山は紫野と呼ばれる地域で江戸時代には処刑場と墓場がありました。ふもとには閻魔大王の象が安置された千本閻魔堂があり、
「そこで閻魔さんを見してから処刑したんや」
 と、地元で言われている場所です。
 当時の船岡山には街灯がありません。山と言っても岡程度の大きさで、真っ暗で不気味な岡です。私はここが好きで満月の夜に昇っていました。それは、京都の夜景を一望出来るからです。

 そんなある満月の夜のこと、この日は絶好の船岡日和……そんな言い方があるかどうか知りませんが、とにかく良い日でした。
 トボトボと暗い山道を登っていると、何やら近づいて来る気配を感じました。懐中電灯の類は持っていません。せっかくの満月に人工的な明かりなど、野暮と言うものです。
 目をこらして見ると、月明かりの影の中に上半身のみの黒い人が、こちらに向かって歩いて来るのです。腰から下がないので、飛んで来たのかも知れません。しかし歩いているようなヒョコヒョコした感じがしました。
 その不思議なものは、片目が月明かりで光っている以外、全身が真っ黒で、喪服を着ているようにも、ただ黒いだけのようにも見えました。そしてそれと目が合いました。
 その時、むこうが驚いているのを感じました。しかも、相手が先に目を逸らしたのです。
 私も、
——見ては、まずいのかな?
 と思い、目を逸らして、道の右側を避けながら歩いてしまいました。すると、相手も反対側を避けながら歩いて行きました。ただ、それだけのことでしたが、あれも理由がわからない現象のひとつです。
 ただ、
——相手も、こちらがいる理由は分からなかっただろうな。
 と思うと、少しだけ、おかしく思いました。

 世の中には、
「自殺しようとする人は、黒い影のようなものが見える」
 と言う霊能者もいます。これはありうることだと思います。しかし、自殺する人を見たり、自殺の現場に遭遇したことがないので、私は見たことがありません。

 平成の終わり頃、新宿で二度ほど喪服の人を見たことがあります。一度目はバスターミナルで立ちすくむ男でした。男は喪服姿で浮かんでいました。三十センチほど浮いていたと思います。
 二度目は駅の構内で、喪服の男が歩いていました。男は普通に見えました。しかし、顔の横に、もうひとつ小さな顔がついていたのです。
 いずれの場合も、近くを通る人たちの動きが不自然でした。喪服の男を見ないように、無意識に顔が動くのです。まるで何もない空間を怖れて顔を背けるようにも見えます。何度かこのような場面は見ています。亡霊のことが見えていない人と、見えていても無意識に避ける人とがいるようです。そして、避けている人の記憶には何も残りません。たまたま慣れている人が、亡霊の類を見て記憶しているだけの現象なのでしょうか?
 顔を背けた人の中に友人がいて、そのことについて尋ねると、まったく覚えがないと答えるだけでした。

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